発見記録

フランスの歴史と文学

ゴンクール賞の制度改革案

2008-01-17 21:20:21 | インポート

2006年のゴンクール賞はジョナサン・リテルJonathan Littellの? Les Bienveillantes ?が受賞。投票では10票中7票を得た。2007年は、11月5日、ジル・ルロワGilles Leroy ?Alabama Song? に決まる。?Alabama Song?は8票中4票しか得ていない。この日は選考委員ミシェル・トゥルニエとフランソワーズ・マレ=ジョリスが健康上の理由で欠席。高齢化はアカデミー・フランセーズと共通する問題でもある。数多くの新刊小説に目を通すのが負担になりだすことは、まだそれほどの年寄りではない私にも想像がつく。
12月以降、毎月の例会で改革案が出されている。すでに昨年からベルナール・ピヴォの提案で、無記名投票でなく、各々が理由を述べての口頭の投票un vote oral argumentéが行われた。順番はくじ引きによった。停年か、任期を定めるという案も。自身84歳になるホルヘ・センプルンは、80歳以上の者は辞表を出するよう提案。出版社での職務から報酬を得ている人は、選考委員にしない(現在これに該当する者はいないという)
Le Goncourt remet le couvert (Libération.fr 10 janvier 2008)

恐らく改革の必要が感じられだしたのは昨日や今日のことではない。前に引いたブレネールの本(1982)には、当時出ていた案として
(1) 才能発見の賞les prix de découverte ではなく、声価をあらためて認める賞 les prix de consécration(モディアノ『暗いブティック通り』(1978)のように)への転換。あるいは二つの賞の併設。
(2) 対象をその年刊行の小説に限らない。あるいはノーベル文学賞のように、作家の作品全体に対して贈る(モディアノが2000年にポール・モーラン文学大賞を受けたのも、この「全体への評価」だった)
(3) 年に一度でなく季節ごと、でなければ春と秋に授与する。アルマン・ラヌーの案だが、威光prestigeが失われると反対された。

ブレネールは1903年から40年までの受賞者を一覧し、ゴンクール賞はこの輝かしい時代の最良の作家を決まってrégulièrement見過ごしてきたと言う。「ジッド、ラルボー、アラン=フルニエ、ジロドゥー、〔ジュール・〕ロマン、マックス・ジャコブ、ジューアンドー、コレット、マルタン・デュ・ガール、シャルドンヌ、モーラン、コクトー、モーリアック、モンテルラン、ジオノ、アラゴン、シムノン、ベルナノス、グリーン、エーメ、セリーヌ、クノー、サルトル、カミュ、ユルスナール」

逆に受賞した作家の多くが今では忘れ去られている。アカデミー・ゴンクールの選択が歴史による認証を受けたのは、発見ではなく、声価を定めるconsécrationの賞として与えられた少数の例に限られる。プルーストの場合がそうだった。(Brenner, Tableau de la vie littéraire en France d'avant-guerre à nos jours

アカデミー・ゴンクールの規約変更は、なかなか難しいらしい。まず会員同士の合意が得られにくい。ヌリシエが懐かしむような友情、知的な共犯関係は、失われつつあるのか。管轄官庁(内務省と文化省)がゴー・サインを出し、国事院で承認されてようやく決まる。アカデミー・ゴンクールは「なかば国家的制度(機構)」une institution quasi nationaleなのだ。(前出「リベラシオン」記事) ゴンクール兄弟は今日の姿を予想できただろうか。