Jacques Chirac adoube Nicolas Sarkozy
Dans une brève allocution télévisée, le président a annoncé son soutien au candidat de l'UMP. Nicolas Sarkozy quittera le gouvernement le 26 mars prochain. (Marianne - 21 mar 2007)
ジャック・シラク、ニコラ・サルコジを騎士叙任
テレビで放映された短い声明で、大統領はUMP候補への支持を表明した。ニコラ・サルコジはこの3月26日に内閣を離れる。
ちょっと前には Sarkozy pas encore adoubé サルコジ、いまだ騎士叙任を受けず(RTL 12/03/2007)
「封土」fief (選挙地盤 fief électoral)「宗主」suzérain 「臣下」vassal 「逆臣(裏切り者)」félon など、フランスの政治報道には中世社会を思わす表現が見受けられる。
手か剣の腹で軽く肩を打つ「騎士叙任」adoubementの儀式。図は「ランスロの騎士叙任式」(BNF)
『トリスタン・イズー物語』(ベディエ編 佐藤輝夫訳 岩波文庫)で、トリスタンは父と母の死により、生後まもなく臣下の軍将ロワールに引き取られる。7年経ち「トリスタンを婦女たちの手からひきはなすべきころ」が来て、ロワールは盾持ちécuyerのゴルヴナルにトリスタンの騎士教育を任せる。
ゴルヴナルは、数年のうちに、およそ公達たるものの必ず心得おかねばならぬ、諸芸の道を教えた。彼は、槍や剣や盾や弓を扱う術や、投石のわざを授け、広い濠をも、一とびに跳びこす法も教えた。彼はまた、虚言と叛逆とはいっさいしりぞくべきものであり、弱い者をたすけ、ひとたび誓った約束は、必ず守るべきものであることを諭した。さらに、彼はいろいろな歌のうたいかたや、琴の弾きかたや、狩猟のしかたをも教えた。
信頼のできる人間が代父parrainを務める。小姓pageから盾持ち、やがて20歳になった青年が騎士と認められるのが「叙任」だった。(Fabrice Mrugala氏のmedieval.mrugala.net 中世用語集 L’adoubement du chevalier )
前日から斎戒沐浴、礼拝堂で代父に付き添われ夜を徹して祈る「徹宵(てっしょう)祈祷」veillée d’armes、これも「一大事の前夜」の意味で(Veillée d’armes au Parlement européen Le Web de l'Humanité)用いられる。
日本でも疑惑の渦中の人物が「天地神明に誓って」潔白を主張することはあるが、さすがに「ああもう、盟神探湯(くかたち)でも何でもやってくれ!」と口走ったりはしないようだ。今度は?ordalie?(神明裁判)の例。
社会党のファビウス氏はいわゆる「汚染血液事件」(首相時代にエイズウイルスに汚染された血液製剤により血友病患者が感染)で他の二人の閣僚と共に責任を問われた。
Sa mise en accusation dans l'affaire du sang contaminé a tout changé en lui. ? Tout. ? A l'un de ses anciens conseillers, il dit un jour qu'elle est pour lui une ? ordalie ?, ce rituel par lequel la vérité se révèle. ? Humanisé ?, ? plus détaché ?, aux dires de l'entourage, il va jusqu'à forcer son naturel réservé dans un livre-confession, Les Blessures de la vérité (1995). (?Trois ministres sur le banc des accusés - La blessure de Laurent Fabius?, Le Monde 06.02.99)
汚染血液の事件で告発されたことは、彼のすべてを変えた。ある日、元顧問の一人に、告発は自分にとってひとつの「神明裁判」、それによって真実が明らかになるあの儀式だと言う。このことで「人間味が出てきた」、「達観するようになった」と周囲の声、告白本『傷ついた真実』(1995)では、生来の慎重さから敢えて踏み出し語ることになる。
(詳細は「汚染血液問題で元閣僚裁かれる」OVNI 01/03/99)
大統領や閣僚の刑事責任を裁く共和国法院は、最終的にファビウス氏とジョルジーナ・デュフォワ元社会問題・国民連帯相を放免、エドモン・エルヴェ元厚生副大臣は有罪、ただし罰を免除された。
『トリスタン・イズー物語』第12章「灼鉄の裁き」で、不義の罪に問われたイズーは、焼けた鉄を手に持つことで身の潔白を明かさねばならない。
・・・鉄は真っ赤に灼けていた。彼女は熾の中に両の素手を突っ込んで、鉄を握った。それから九歩あゆむと、それを投げすて、掌をあけて、腕を十字にひろげて立った。みれば彼女の掌は、梅の木の生梅よりも綺麗であった。
このとき、すべての人々の胸の奥からは、神をたたえる感嘆の叫びごえが天にむけてどっと上がった。
『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』にはこの種の裁きのパロディがあるというが(”Parodies of trials by ordeal”Wikipedia)「灼鉄の裁き」でのイズーの策略も、神明裁判の冒涜すれすれである。最初adoubementで画像検索した時、いちばんおかしいのはこの写真だった。
英語のordealは「つらい体験、苛酷な試練」の意味でごく普通に用いられる。Cat recovers after river ordeal (CBBC April 28 2006) は、スコットランドで袋に詰め川に投げ込まれた子猫が泳いで岸までたどりついたという子供向けニュース。
神明裁判では「火の裁き」以外に「水の裁き」も行なわれた。言葉の古層は、記者にも読者にも、どの程度意識されているだろう。
フランスで政治家の「後継者」をdauphin(王太子)と呼ぶように、言葉の歴史的意味が希薄化し、単に比喩として用いられる時、翻訳もむずかしくなる。冒頭の見出しも、「ニコラ・サルコジに支持を表明」のほうが、ぱっと見た時のまぎらわしさは避けられる。その代わり表現の面白さは消えてしまうだろう。