独身時代 実家からDXingを楽しんでいた頃 未だインターネットなんて導入されている筈も無く
借家住まいとなった頃にやっとパケットクラスターでDX情報がリアルタイムに近い形で入手出来る様になった
現在ならパーソナルコンピューターが無いとDXingやLOGIngも儘ならない時代と言っても過言ではないでしょうね
CQ誌ではここ数年 カムバックされるOM諸氏のための特集やFT8での運用を広くPRされています
昨日 拙者のパーソナルコンピューターの歴史を紐解いていただいたJA7MAD局とFT8モードで交信出来ました
話は時代が昭和から平成に変わった頃のお話ですから33年前位まで遡ります
当時は430MHZのFMで仙台市内の同年代の知人たちでDX情報等を共有しながら切磋琢磨していました
JA7MAD局や拙者たちは2.36 以前 掲載したJA7MYQ局たちは確か2.48だったかな?
で MAD局が使用していたPCをNECの8801から98シリーズに入れ替えたと時に
8801一式(当時 超高級品だった40MBの外付けHDD!も)を譲っていただいたのが拙者のPC歴の始まりでした
このPC-8801にTNCを接続してMS-DOS(NEC版)でパケット通信やRTTYの運用も可能になりました
(それまでのRTTYは一番上の画像にあるθ5000Eを使用していた)
それまでの「一匹狼」的DXingやSSB/CW一辺倒のDXingから大幅にDXingの幅と奥行きが広がって行きました
また この頃から前述したMYQ局やその知人の方々や福島県相双地区をはじめ東北地方のDXerの方々との交流も盛んになりました
拙者も結婚し居を現在の地に定まったのですが MAD局とは一級河川名取川を挟んだ形で
頑張って車のアクセルを踏めば3~4分で到着出来る場所でもあり
ほぼ毎週2~3回はMAD局のアンテナ・タワーを拝んで通行している様な所でもあります
OMとは拙者の仕事(某ハムショップ等)や拙の連れ合いと同系列の職業と言う事で公私に亘りお世話になっておりました
(同系列の職業⇒長が公的選挙で選ばれて就任する地方公共団体)
OMも定年退官されて悠々自適にDXを楽しまれていると想われます