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白鳥のブログ - 日々の世界を徒然と

輪るピングドラム 第24話 『愛してる』

2011-12-25 00:39:57 | Weblog
かなりの力技だけど、一応の収束。

第1話は衝撃的だったけど、その後、いまいち、よくわからないまま、とはいえ、一応だらだらと見続けて、そしたら、後半三分の一ぐらいで、かなりギアが入れられた感じで、最後は、へぇ、という感じで終わった。

かなり早い段階で指摘されていたように、基本的には、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を下敷きにした現代の寓話だったということ。

第1話を見直してみると、最終回を暗示するように宮沢賢治の話がきちんとされている。苹果が宇宙だ、という話も既にされている。運命の話もしている。

そういう意味では、「輪る」輪は、最初から仕組まれていた、ということで。

多分、物語的な転機は、途中から、冠葉、晶馬、陽毬、の三人が実の兄弟ではなかった、というところから。言ってしまえば、兄弟姉妹の家族の関係は強固に一つのユニットで一種の安全地帯だったのが、突然、複雑で、フラットな人間関係に転じてしまった。

これはよく考えてみると不思議。彼ら三人を家族と見ていると、確かに、苹果やその他登場人物のように、三人の「外部」にある人達が謎をもたらすものとしてどうしても必要なわけで、その謎が一つずつ明らかになっていくと、あれ、この物語、登場人物が少なすぎやしないか?と思ったところで、実は三人は血の繋がった兄妹ではなく・・・、という、ある意味でお約束の展開が来る。でも、そのお約束の展開が決してあざとく見えないのは、それまでの過程で、三人が互いに互いを実の兄妹、家族であると頑なに信じ、助け合っている姿が描かれているから。

しかも、よくある、実の兄弟だと思っていたのにそうではなく・・・、という展開ではなく、それぞれが「家族」になったことをちゃんと覚えていたところ。これは大事なところで。実はこの時点で、確かに宮沢賢治が『銀河鉄道の夜』で描いたように、既に、キリスト教的な家族概念が、この世界に浸透していることが明らかなわけで。そこから、最終話の「愛」を輪(まわ)すところに繋がっていく。

で、そういったクリスチャンの世界が全部だったかというと、決してそうでもなく、むしろ、桃華と苹果が、いわゆる世界改変能力者としてあるわけで、特に最後になってようやく苹果がこの物語に不可欠のピースであることもはっきりした。『まどマギ』ではないけど、世界改変を最後に仕掛けてくるわけで。

ただし、『まどマギ』とは違って、徹底的に私的なことに集中して世界を変えてしまったにも拘わらず、いわゆるセカイ系的な空気がないのは、賢治的なクリスチャンの物語が背景にあるからなのだろうな、と感じた。

だから、最終話だけ見ると、ご都合主義的に見えなくもないのだけど、キリスト教的な意味での愛=アガペーのような、必ずしも男女の間だけでない、人と人との間を繋げる「愛」に関連付けることでむしろ説得力、というか見た目には感動を呼ぶような物語だったのだと思う。

突き詰めると、登場人物の間での愛憎劇が延々と描かれていたのだけど、その個人間の愛憎劇が、より大きな意味での愛憎を象徴するような話として、つまりは寓話のように描かれていたのが、よかったのだろうな。

ということで、もう一度最初から見返したらもっと発見はあるのだろうし、宮沢賢治の作品を紐解くことで寓話の象徴をもっと読み解くこともできるのだろうけど、まずは、思っていた以上によい終わり方だった、ということで。そして、中盤までのアレレ?感を見事にひっくり返して、物語を完結させたところには素直に素晴らしかった、といいたい。

いや、でも、これ、やはり難しい話だよ。
それを引っ張ったのは、物語だけでなく、絵柄や時折挿入された過剰なまでの作中内演劇性やギャグにあったのだろう。

とても、演劇的な作品だったと思う。
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