雑記帳(新居)

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女子バレーに関する一予言

2005-07-30 03:34:14 | バレーボール
こちらに女子バレーの記事を書くのは久しぶりだ。掲示板の方も普段はバレー用途で使うけれども、掲示板は主に大会結果のピックアップ、こちらは個人の意見または憶測ということで、使い分けることにする。

「予言」というタイトルだが、占い師のようなことをするわけではない。
女子バレーの発展は常に男子バレーの何年か後を追う形になっている。とすれば、男子バレーの歴史を振り返れば、今後何年かの女子バレーの行方が読めるのではないか、という趣旨である。
とすると、その遅れは何年分なのかというところが問題となる。

・2001~02年にかけて、アメリカが躍進、世界ベスト4の一角を占めるようになった
・2002年世界選手権でイタリアが初優勝、以降もベスト4にほぼ定着
・今年のグランプリはブラジルとイタリアの決勝(グランプリは去年決勝もこの対戦だったが)

上記から推定すると、現在の女子バレーの様子は、ブラジルがコンビバレーで世界を制し、その後イタリアの黄金時代へと移行していく、90年代序盤の男子の勢力図に酷似しているようだ。つまり約12年の遅れということだ。
となれば、以下のような予言ができる。

・2008年北京五輪までは、イタリア・ブラジル・中国が世界大会の優勝を争う。キューバもメダル争いに絡むけれども、優勝は難しい。
男子バレーの歴史を「予言書」と見なした場合、その予言書に書かれていない存在が中国である。中国の国家体制の問題も大きく関係するため、中国の扱いは難しい。しかし2008年まではチームに大きな事件は起きないと見なす。
(1996年アトランタ五輪の男子バレーで優勝したのはオランダである。しかし女子のオランダがそこまで強くなることはあまりにもあり得ないので、これは外す。)

・ロシアはオープンバレーから現代的な組織バレーへの転換に時間がかかり、この先数年は大きく低迷する。2010~12年頃に世界のトップに復帰する。

・遅くとも2010年までに、セルビアモンテネグロが世界の強豪の一角を占める。

・日本は北京五輪にわずかのところで出場を逃す。その次の2012年はロンドンでの五輪開催なので出場しやすくなるけれども、それ以降は、五輪出場にかすりもしないおそれがある。

果たしてこの予言、当たるものか、全く大外れで笑い話になるものか。

フェド杯観戦第2日

2005-07-10 01:15:10 | テニス
10日も引き続きフェド杯の観戦に出征した。

とりあえず、日本がワールドグループIIに残留してよかったのだろう。
森上にしても中村にしても、この日は勝負所でのねばり強さが目立ったと感じる。特に森上対マレーバの第1セット、森上の6回のサービスゲームのうち5回はマレーバにブレークポイントありという、常に追い込まれた状態だった。それでもブレークを許したのは2ゲームだけである。振り返ってみれば、森上がタイブレークの末奪ったこの第1セットが、今回入れ替え戦全体の山場だった。

心地よい緊張感+場内のまったりとした応援ムードはなかなか気持ちがよい。(本筋のバレー観戦においては、日本戦は新興宗教の集会並みの異様な雰囲気で行く気がしない。)今回のように、見たいチームが近場にくるのであれば、来年も是非とも見に行きたい。

以下は雑談のみ
ワールドグループと地域グループの入れ替え戦となると、きわめて矛盾した状況で見に行くことになる。観戦の目当てはおおかた対戦相手チーム(今回はブルガリア)である。しかし、日本に勝っていただかなければ困る。アジアオセアニアグループでは、さすがに見る気が起こらない。

カラタンチェバの写真撮影は難しい。ポイントとポイントの間が極端に短いためである。他の選手なら、ポイントが終わってメモをとってからカメラを構えてもだいたい間に合うけれども、カラタンはそれではとっくにサーブを打ち終わっている。ポイントが終わった瞬間に構えていないと撮影できない。この日は、マレーバの試合の後カラタンの試合という順序だったため、カラタンの試合の最初は全く撮影のタイミングがつかめなかった。
自分が優位な場面ならそれでよいのだろうが、相手の流れになっているときもそれでは困る。

ついに…

2005-07-09 02:40:24 | テニス
初めてテニスの生観戦決行である。
フェド杯ワールドグループIIプレーオフ・日本対ブルガリアを見てきた。
Morigami d. Karatancheva 26 76(4) 60
第2セット前半くらいまではカラタンチェバの強打に森上が押されっぱなしに見えた。しかし、試合後半にかけて森上がその強打を粘って打ち返せるようになり、逆にカラタンのミスを誘って、逆転した。カラタンチェバは、やはり経験が少ないためか、そうなると自分から流れを変えることができない。

Maleeva d. Nakamura 36 64 63
この試合は第1試合と似た逆転の展開(日本とブルガリアが入れ替わって)になった。
第1セット後半から第2セット序盤までは、マレーバに極端にミスが多く、第2セットもマレーバが先にブレークされたときには、このまま試合が終わるのかと思った。しかし、そこから修正するあたりはさすがである。試合の終盤2ゲームくらい、マレーバがそれまで封印していたネットプレーで立て続けにポイントを奪い、一気に試合を決めたあたりは、ベテランの味を感じた。(中村がよいストロークを打っていたため、ネットプレーのチャンスがなかったという部分もある)

初日1勝1敗は、双方にとってある程度織り込み済みか。これで第2日も楽しみだ。

以下は雑談

今回も、前日の金曜日の昼休み中にチケットを予約し、夜帰宅時にコンビニの端末から発券するという、即席ラーメン並みに即席な出征である。
(会社のネットワークを使うような危険なまねはせず、いったん自分の部屋に戻って予約している。現在会社まで片道10分のところに住んでいるので、まともな昼食をあきらめれば十分可能)

午前11時からとは、朝が早いよ(+_+)。2試合ならもっと遅くてもいいだろうに。かつて、同じ日本でのフェド杯で、3試合で8時間くらい(?)の実例があるから、2日目はこれくらい早くないとまずいかもしれないが。
これほど早い試合開始は2回くらいしか経験がない。学生時代は、朝4時台に起きて初電で大遠征とかもやったことがあるけれども、勤め人になると土曜日朝早く起きるのはとてもこたえる。結局10分ほど遅刻してしまった。それに、4時間もプラスチックの座席に座っていると、尻が痛くなる。

今回はりんかい線の存在意義を実感する出征である。川崎・横浜あたりから有明方面に行くには、りんかい線が全線開通してかなり便利になった。以前にバレーワールドグランプリのため有明に行ったときは、東京から新木場と大回りするしかなかった(新橋からゆりかもめという経路もすでにあったが…)。しかし、りんかい線、本数少ないし高い

Windows2000が延長フェーズへ

2005-07-01 16:21:37 | MyPC
この7月1日をもって、Windows 2000は、「メインストリームフェーズ」から「延長サポートフェーズ」に移行している。
この移行でサポートの内容がどう変わるか、具体的なところは、ここで説明するつもりはない。MicrosoftオフィシャルサイトなりITニュースサイトなりを参照していただきたい。

このニュースを見たときに、Windows2000はそれほど古いOSになってしまったのかと、ある種の感慨のようなものを抱いてしまった。

うちの部隊において、圧倒的に多くのマシンにインストールされ、最も慣れ親しんだOSは間違いなくWindows2000 Professionalである。現時点でも、主力マシンのほとんどがこのOSで稼働している。Windows XPは、Windows2000に比べるとほとんど無駄ばかり増えている。メモリ消費一つとっても、XPは2000に比べ100MB以上多い。Windows2000ならメモリ256MBでも何とか実用に耐えるが、XPではそのラインが512MBに上がってしまう。(ただし、アネリア以降のメーカー製ノートマシンは、Windows XPである。購入時点でXPがすでにインストールされているのだから仕方がない。)3代目ヴィカに至っては、当初Windows XPで動作させたものをわざわざWindows2000を入れ直しまでした。(これは、当初Hyperthreading Technologyを用いるのにWindows XPが必須と誤解していたため。現状はWindows2000でも問題なく利用できている。Microsoftの説明によると、HTは「積極的なサポートはXPのみで行うけれども、2000でも動作する」とのこと。Intelによると「XPが必須」。すごく謎。逆なら理解できるのだが。)
確かにXP SP2導入によりセキュリティは大きく向上しているようだが、その内容のほとんどは、Windows2000を利用していても、セキュリティにうるさいユーザなら自力で改善できるものである。(OSの設定を変更し、フリーのセキュリティソフトを使えばよい。)

とはいえ、Windows2000が当初から使いやすい道具だったかといえば、そうではない。特に、導入初期の1年くらいは、すべてのマシンでWindows 98とのデュアルブートの運用をしていたこともあり、重大なトラブルが頻発した。SP1の適用中にマシンがハング、二度と起動しなくなったこともあったし、ファイルシステム(FAT)絡みの事故は何度も経験した。
うちの部隊がWindows2000導入に大きく舵取りをする一つのきっかけは、スヴェトラーナである。スヴェトラーナはWindows Meプレインストールマシンだったけれども、Meはただでさえ不安定きわまりない上16ビットリソースをすぐに食らい尽くすという最悪の環境である。速攻でWindows2000に移行された。
もう一つの要因は、2001年頃からメモリ価格が暴落し、512MBを超えるメモリを搭載するのが当たり前になったことである。512MBを超えるメモリはWindows 9xでは扱えない。2000年頃は、当時主力のPC133 SDRAMで1MBあたり100円以上、今では考えられない値段で、当時のスーパーエースのヴィカ(2代目)でもメモリは256MB搭載に過ぎなかった。それが2001年秋には1MBあたり8円まで下がった。(それ以降DDRメモリに移行していったんは相場は上がったけれども、去年末から再び急落、現在も1MB10円以下である。)
SP2が出た2001年頃には、重大なトラブルも少なくなり「枯れた」印象が強くなった。そして、デスクトップマシンは、Windows 9xからアップグレードでなく当初から2000で環境構築されるようになる。いよいよWindows2000が文句なしの主役となったわけである。2003年にはPCでビデオ録画の運用がスタートし、137GBを超えるHDD、4GBを超えるファイルを日常的に利用するため、NTFSの利用が必須となった。Windows 9xに後戻りすることは完全に不可能となったのである。

このように、ハードウェアの進歩がWindows2000への移行を促した部分が大きい。それと同様に、次世代OSへの移行が必須となることももう見えてきている。すなわち、CPUの64ビット対応とマルチコアである。今後のスーパーエース格のマシンでは、64ビット対応かつCPUコアの総数が4つ以上になるだろう。そのどちらも、Windows2000 Proでは対応できない。
Windows2000ベースの新規マシンは、この先あるとしてもビアンカ後継のエース級ノートが最後になるだろう(Napaプラットホーム)。ひょっとするとビアンカが最後かもしれない。