パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

傘がない

2016年01月21日 07時54分25秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

昨日は起きたら雪が積もっていた
しかし、雪は自分の家の周りでは午前中に溶けてしまった

そこで思い出した歌がある
井上陽水の初期の作品「傘がない」

以下歌詞抜粋

都会では 自殺する若者が増えている

今朝来た新聞の片隅に書いていた

だけども問題は今日の雨 傘がない

 

※行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ

君の町に行かなくちゃ 雨にぬれ※

 

つめたい雨が 今日は心に浸みる

君の事以外は考えられなくなる

それはいい事だろう?

以下省略

音楽を歌詞だけで評価するのはよくないかもしれないが
この歌詞はある意味すごい

多くの人は少しだけ心に後ろめたさを感じながら
この歌を聴くとホッとする
それが実感ではないのか
みんな同じだと

ところが一方で困難な問題に真正面から取り組む
マザー・テレサのようが人物もいる
この人の存在を知ってやはり人はホッとする
世の中捨てたもんじゃない と

話はいつもの様に飛ぶが、
最近のSMAPの解散報道について
いろんな想像力を働かせて あれこれ考える人がいる

そのうちの一人は、この問題から「奴隷制度」のことを
連想したようだ(SMAPが奴隷という意味ではない)
ある状況から抜け出せないのは、何故かを考えたということだが
ケンブリッジ大学の歴史学の教授のジェリー・トナー氏の
『奴隷のしつけ方』という本を引っ張りだして
何故、多くの奴隷がその制度を覆さなかったのかと言う疑問の答えが
「自由を求めて立ち上がるよりも、今の状況がましだ」という状況を、
さまざまな知恵を集めて体制側が作ったことにある。

この指摘は、ドキリとするほど当てはまる
問題は、拡大解釈をすれば奴隷とされている人たちが
自分たちがその立場になっていることに気づかいないでいること
程々の利益が与えられて、思考停止し、自ら判断することを面倒くさい
と思うようになっている
これは実はとても怖いこと

程々の利益、立ち上がるより今の状況の方がまし
未来を想像することなく、現状維持を信じたいと思っている
(現状がいつまでも続くことはありえないのに)

多くの人は自然に湧き出る感情を持っている
良い悪いを、話を聞いて判断する前に、直感で判断している

この直感について アップルのいまや伝説的になってしまった
スティーブ・ジョブズの言葉がある

「最も重要なのは、自分の心と直感を信じる勇気を持ちなさい。
それはどういうわけかあなたが本当になりたいものをすでによく知っているのだから。
それ以外のことは、全部二の次の意味しかない。」

傘がないの歌にあるように、
申し訳ないと思いつつ関心のあることは自分のこと
直感では良くないと感じていても、立ち上がるより今のほうがまし
この半ばごく自然な感情を、今はある人たちによく考えて欲しいと思っている

ある人たちとは誰か?
さて、、、、

(いつもの訳の分からない投稿でした)

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総括はなされたか?

2016年01月20日 09時18分00秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

今日は気の滅入る市長リコールの話ではなく別の話

昨日、熱っぽく話すことになってしまった反対派の人と
それだけは一緒というところがあった
それは安保法案に関することなど

秘密という概念が自分たち判断で決められ 
その法律の運用が勝手にされることは
安保法案とセットになって戦争への道を開くのではないか
と 不安になるのは無理からぬ事の認識
 

その方は近所のおばあさんの話をした
おばあさんには3人の息子があった
その3人は赤紙で戦場に行くことなった
残念ながら、その3人とも戦死してしまった
悪気はないだろうが、ある人は「遺族年金が3人分もらえていいね」
と言った
おばあさんは「遺贈年金なんて全部返すから、息子を返してくれ」
と涙ながらに言い放ったという
(自分もその話を聞いて感情を揺さぶられ、顔を見られないようにした) 

こんなことは何があっても繰り返してはいけない
簡単に平和というが、現実の世界ではいくつもの家族が
こんなことになりそうになっている

先の戦争の総括がなされていない
その反対派の方は言った
何故起きてしまったのか
何故止めることは出来なかったのか
メディアの伝え方に責任はなかったのか
誰に責任があったのか、法的にどうだったのか
そしてそれらを踏まえた上で、自分たちは具体的にどうしようとするのか
それは言葉で「深い反省  うんぬん」の言葉を発することではない 

同じ敗戦国のドイツはワイツゼッカーの有名な演説
過去に目を閉ざす者は、現在に対してもやはり盲目となる 
と過去を総括しているのに、我が国はどこへ向かおうとしているのか
怒りはとどまることはない

でも、その人にちょっとだけ告げてみた
戦争の総括がなされていないのと同じように
新城市では住民投票になってしまったことに対する総括がなされていないのですよ
総括がなされていないから同じようなことが繰り返され
本当ならしなくてよい運動にまで至っているのです、と

結局、話はいつもの(?)テーマに戻ってしまった
前を見ることだけがポジティブなのではなく
しっかりと過去を凝視すること
そしてその結果を次に生かすこと
真にポジティブというのはそういうことだと思うのだが 

 

 

 

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反対派の人も、しっかり話を聞いてくれる人がいます

2016年01月19日 16時56分32秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

喉が痛い
風邪のせいではありません
午前、午後とあちこちで熱弁を振るったからです

なんの熱弁? 
そう、あの活動のため

全員が全員、簡単に応じてくれるわけではありません
でも、正直な話、署名するにしろしないにしろ
市民に情報が行き届いていない
と感じることが多くあります

まずは情報の提供から
確かにこちらサイドの見方の説明になりますが
それでも最初は不機嫌にいきりたっていた方も
丁寧に(そのつもり)、いや熱っぽく話すと
少なくとも我々が何をしようとしているのか
今まで一方的に信じていたことが本当か
などと考えていただけるきっかけになった様な気がします

みんなが頑張っている
これが、励みになります
そして自分が自分に失望しないように
(自分で自分をほめてあげられるように)
頑張りたいと思っています

ところで、喉は元々丈夫みたい
サッカーのコーチ時代も大きな声は自慢でした
少しの痛みは休めば大丈夫でしょう

 

 

 

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若い人

2016年01月18日 10時38分20秒 | 徒然なるままに

偶然、新城市出身で東京で学生生活をしている方と
意見交流(それほど大げさなものではないか)をする機会ができた

遠くはなれていてもやっぱり気になるのは故郷
外国旅行に行くとそこで考えるのは日本のこと
当たり前の様にあったものが実はとても大切なモノだったのだと気づいたりする 

今朝、新聞に大学入試のセンター試験の問題が載っていたが
挑戦しようとしてもすぐに気力は萎えた
受験生たちは凄いな!
こんなにいろんな知識があり、考えを身につけているのかと
自分たちも通ってきた道なのだが、本当に通ってきたのかさえ
疑ってしまう

受験生たちは凄いな!
と感じると同じように、この関り合いをもった若者 も凄いな!
と感じてしまった

意見交流をしたのは現在の市政のことだが
自分がノンポリでこの年令の時何をしていたかと比較すると
思考の深さと表現力は雲泥の差

もっとも、この年代の若者の思考力がどのくらいなのか
わからないので、彼も一般的なのかもしれない
本当のところ少し安心した
というか、希望が持てた

今の若者は、、、、どうしても言いがちになるフレーズ
(ロゼッタストーンにもこう書かれていたとか?)
でも、今の若者はしっかりしてる(人だっている)

やっぱり希望は、若い人、、かな


 

 

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「合併特例債」の次のキーワードは「買戻特約」(新城市民にとって)

2016年01月17日 19時58分50秒 | 産廃

先程は訳の分からない投稿だったので、自分でも少し落ち込みそう
そこで、自分の別のブログからそのまま引っ張りだして気分転換を

でも、これも新城市以外の人には分かりにくい投稿 

今朝の中日新聞に、東三河版に市長リコール運動派と反対派が
街頭宣伝をしている様子が掲載されました
テレビ局も数社来ていたので、どこかで放送されたかもしれません

どちらの意見に賛同するか
しっかり考えて、自分の意志で決めてもらいたいものです
(しつこいようですが、リコール反対の運動をしている市議は
 議会で住民投票の結果求められた付け替え道路の廃止に賛成していません)

ところで、この運動の中で「合併特例債」という言葉が一気に表に出て
多くの人が知ることになりましたが(実務上の正確な数字は総額の70%ではありません)
この機会に新城市民の多くの人に知ってもらいたい言葉に
「買戻特約(かいもどしとくやく)」があります

「なんだ、それ?」
と思われる方が多いかもしれません
でもこの「買戻特約」を行使しなかったために
八名地区の方々苦労をすることになっています

買い戻し特約は一番下に不動産用語のなかからコピペして紹介しますが
八名地区の例にして説明すると
もともと南部企業団地は「製造業・物流業」に限って操業ができることに
なっていた
ところが、結果的にそのどちらでもない産廃業者であるタナカ興業が入ることになった
製造業でも物流業でもないのだから、そこには売れない、買い戻す
という権利を使えば良いのですが、この権利が何故か誰かによって放棄されてしまった

この経緯はとても不思議なようで、詳しく知りたい方は
山本拓哉さんのブログを御覧ください

産廃問題 買戻権放棄の核心

この買い戻す権利を使っていれば、産廃は防げたはず
その権利放棄の過程が有耶無耶なだけに、反対運動を法に則って
地道に活動されている反対運動をしている方を知る身には辛いものがあります

産廃問題は新城市南部の問題だけではありません
庁舎建設の見直しが、市民全体の問題であり市政の進め方の象徴であったように、
産廃も全く同じように、市政の進め方の象徴です
市がなんと不誠実なことか
なんと人の話を聞かないことか
(でもそれは職員のせいなのか?)

自分たちの身を守るためには、まず知ることが大事だと思います
そして人の苦労する姿を見て、行動に移せないとしても、
共感する、思いを馳せることは人としてそうあって欲しいと思います

署名についてですが、情報量を多く持っていらっしゃる方は
署名いただく傾向があります

※買戻特約(不動産用語から)

私法上の概念で、「売主が代金額および契約の費用を買主に返還することによって売買契約を解除し、目的物を取り戻すことができる」とする特約をいう。

所有権移転登記と同時に買戻特約を登記しないと、第三者に対抗できない。また、売主が買戻権を行使できる期間は最長10年である。

新住宅市街地開発事業等による宅地分譲において建築義務、転売規制などを担保するため、あるいは、債務弁済による買戻特約を付けて不動産を譲渡して担保機能を確保する(売渡担保)ために利用される。

 

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現実!

2016年01月17日 16時26分10秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

どんなに説いても無関心の人はいる
それはある程度仕方ない

でもそれ以上に個人の自由意志を縛る出来事が
今新城市で起きている 
それは市民自治うんぬん以前の問題だ 

抽象的な表現にとどまっているが
これは他の地区でこの様なことが起きた時のために
いつか具体的にアップしようと思う

リコール署名活動は選挙運動ではないからなんでもあり!
その中で行われていること、
我々が闘っている相手はどういう存在か
実はこの行動を見ればよく分かるのだが、、、

何故、嫌われるかもしれないことをしようとしているか
何故、自分の時間やお金までを費やしてやろうとしているのか

仕方ない、自分を信じるしかない 
自分が自分に失望しないために、後悔しないために
今できることをするしかない

今抽象的な表現にとどめているのは、リアルに書くと生々しすぎるからだ
しかし、これも現実だ
(何が言いたいかわからない?  またの機会に!)
  

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新城市長リコール反対運動の人

2016年01月16日 08時54分00秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

土曜の朝も新城市の市長リコールに関する投稿
(本当は、毒にも薬にもならないお気楽な投稿が良いのですが) 

 

新城市では市長リコールの署名が始まって約10日
Aコープ前、駅前での街頭宣伝、宣伝カーでの訴え
そして数回に渡るチラシ折込
新城市長リコール反対の運動も活発化しています

リコール反対派の人は「政争だ」「2年前の市長選のリベンジ」と
訴えていますが、リコールを求める会は、庁舎見直しに象徴される
市長の進め方自体に疑問を感じています
一つは市民の声を聞かない
(その結果住民投票までなってしまった 八名地区の産廃反対の声は無視)
一つは正確な報告をしていない・説明責任を果たしていない
(庁舎建設総額等についても、その時々でくくり方の変更を勝手に行い
 純然たる比較はできていません )
そして、今後財政の逼迫が予想される中で、合併特例債を限度まで使いそうな
事業計画
その他、問題点山積み、不可解なことがいっぱいの市政に
問題提起をしたというわけです
 

ここでリコール反対の活動をしている人について、一つの事実を紹介します


上の表は、昨年行われた住民投票直後の6月の市議会での議決の賛否を表したもので
赤い枠で囲った部分に注目
これは住民投票の結果を踏まえて「路線の変更を伴う」ようにすることの賛否を問うたもの
わかりやすく言えば、◯ならば住民投票の結果を受け入れたもの、Xはそうでないということができます

住民投票直後の議員さんの発言は「結果を重く受け止める」でしたが
ご覧のように6人は、住民投票の結果を受け入れていません
いろんな考え方がありますが、今リコール反対の運動を行っているのは
確認できたところこの中に数人います
(それをいけないとは言いませんが、どんな人が行っているかは覚えておいてください)

この中のある人物は実務協議が行われている時も特異な活動をしています
実務協議は住民投票が終わった後、行政と住民投票を求める会のメンバーが出席し
公開の場で行われた、本来ならば妥協点を見つけるべき会議でした

この時を同じくして「どうなるの新城」(だったと思いますが)という
市長を囲んでの報告会(会議)が行われています
その会議の壇上に実務会議で使われる、しかもまだ公になっていない資料が
使われて、求める会案を批判しています

この部分は自分のブログにアップしてあります
実務協議の事前参考資料が公にされ、批判材料に使われている 

公になっていない資料の流出を市の職員の方に問うと
議員さんから要求されると断れないと言っています
(まだ公になっていないのに、そんなことしていいのでしょうか?)

また市長が在籍した会議で、この様な求める会案を批判する話が出たこと自体が、
平行して行われている実務協議の性格を現しているといえます
つまり、実務協議は妥協点を見つけるための会議では決してなかったということです

新友会のチラシは「十分に討論した」といいますが、
求める会に取っては不十分すぎる会議だったと認識せざるを得ないことになっています
(これは見解の相違で済まされる問題ではないと思いますが)

人にはいろんな意見があって、それは自由ですが
住民投票の結果を良しとしない人が、現実にこの様に表立って
活動している事実は記憶にとどめておいて欲しいと思います

新城市以外の人は、関係ないかな
それともよくある話の一つなのでしょうか 
でも当の市民にとっては重大事
多少の偏りがあるかもしれないが、何かしなければならない気がしてなりません 

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サッカーオリンピック予選 北朝鮮戦

2016年01月15日 09時20分42秒 | サッカー

夜型の人間ではないので、しかも根性なしなので
サッカーオリンピック予選 北朝鮮戦は録画で見た

結果(1-0で日本の勝利)は知っていたので安心して見られたが
ざっくりと印象を

まず最初に感じたのは体格
国歌を奏でられている時に各国ともひとりひとりをアップして
いったが、北朝鮮の選手の体の頑丈そうなこと
骨が太い、胸幅が厚い、そして背が高い
これは激しい戦いになると細めの日本には不利かな
と感じさせた

試合全体はDFが緊張感、集中力をもって対応していた
それでも何があるがわからないのがサッカー
こぼれ球等で2.3危ないと思うことはあったが
よく守ったと言うところ

選手では、久保が良かった
鈴木武蔵はもう少し足元がしっかりしないと
中島は小さいけど体格差を感じさせない働き
室谷は良い仕掛けが見られた
山中はいいキックを持っている
後ろの植田、岩波はよく頑張った
ちょっと残念なのは南野、最初は良かったけど
大嶋は攻められることが多かったので評価するには
少しかわいそうな立場かな

ところで、実はこの試合注目していたことがある
それは接触プレー・ファウル等で
どんなふうな態度をお互いがとるかという点
そして残念なのはテレビでは映らなかったが
日本と北朝鮮の選手がゲーム後にどうな気持ちの交換をしたかという点

少なくともファウルや接触プレーでは敵意を丸出し
ということはほとんどなかった
当たり前で、選手同士は相手をリスペクトするようなところも見られた
日本と北朝鮮のイザコザが政治上の問題で
その立場をサッカーの上でも同様に持ち込むことは可哀想だ
お互いに23歳以下の若者
その若者が普通に相手を尊敬し真剣に戦い合う
それができない状況をつくるのは良くない

北朝鮮の方は、可哀想だと思う
多分庶民の多くの方々は圧政に苦しんでいることだろう
恐怖政治に
でも、それを根本的に解決できるのは北朝鮮の人しかない
外から物理的、精神的に何かしようとしても
最終的には自分たちのことは自分たちで解決していかなければならない
この自分たちで解決できない状態に陥っていること
これが本当の不幸
独裁をやめさせるのは北朝鮮の方の勇気
なにか、サッカーの北朝鮮の選手が可哀想になってきた


 

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妄想と思い込み、肌感覚で感じる異様さ

2016年01月14日 09時36分53秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

またまた新城市の市長リコール運動についての投稿です
本当は、新城市の恥になる可能性があるので
少し迷いましたが、批判を覚悟で投稿します 

フェースブックというSNSサービスがあります
投稿を自分の仲間内だけやら広く一般に公開するなど
設定できるようになっています
投稿を一般公開の形にすることは、世間に対して意見を述べていることです

このフェースブックのリコール反対派の方(議員)の一般公開の投稿に
(反対意見を持つことを批判する気はないですが)
少し変な投稿がありました
ざっくり言えば、リコール署名の名前を書く様式は自由に作ることができるから
署名期間中でなくても、事前にやってしまって、日付は嘘を言っても追求できないから
彼らはやりそうだと暗示させるものです

凄い発想力です
そんなことは思いもつかなかったし
現実に表紙、リコール請求書、主旨、代表者証明書、署名収集委任状、そして署名用紙を
ひとくくりにしてホッチキスどめをするシーンを(何も書かれていない署名用紙をとめているところを)
テレビ局がカメラに納めています
それに新聞社の方々も、やっと署名行動の正式な書類ができて、急いでバタバタと
書類作りをしているところを見ています

いろんな考えを持つことは自由ですが、一歩間違えると勘違いさせるような発言は
控えるべきだと思いますが、どうでしょう
(それはもしかして、自分が逆の立場だったらやるということでしょうか?)
この投稿に、多分深く考えもしないで「いいね」ボタンを押すひとがいます
これも本人の自由ですが、今、自分たちが危機感を持って運動しているのは
このような発想を普通にできてしまう人たちが
現実を仕切っているとしたら、それは大丈夫か?
と心配するからです

妨害は、それも常識の範囲内ならいいでしょう
でも、勘違いを起こさせる内容や、一種の脅迫を想像させる内容
そして思い込みの一方的な断定、
ちょっとどうかな!です
そしてこの人(議員)は住民投票の終わった直後の議会で
住民投票の結果を尊重しない議決をした人です

以上の投稿で気分を害される方がいらしたら申し訳なく思います
賛成も反対も普通に論じあえて、一般の人が普通に判断できれば
一番と思っています

最後に肌感覚として、住民投票の運動期間に感じたある種の異様な感覚を
今回も感じています
それは一体何なのか、、、

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新友会のチラシに対する反論(署名縦覧などについて)

2016年01月13日 11時56分24秒 | Weblog

以下の投稿は新城市以外の人には分かりにくいので
まずは状況の説明を

現在、新城市では市長リコールの署名活動が行われている
一方、リコール反対を訴える人達もいる
その反対を訴える人の組織が「新友会」
普通なら折り込みが不可とされる政治的なチラシが 
「新友会」の名で3回ほど折り込まれた
以下はその中にある内容についての反論 

新友会のチラシの中にある
「半端じゃない署名の重さ」「署名簿は1週間にわたって公開され、誰が署名したか、閲覧に供されます。」

このフレーズが何を意図しているかは、少し想像力を働かしてみると千秋在住さんのブログに書かれているようなことだと思われる。

千秋在住さんのブログ どういう意味になるのか?
千秋在住さんのブログ 署名と投票

ところで署名縦覧は何故なされるか、と言えば署名チェックをした選管に間違いがないかを確認するため。
自分がちゃんと署名したにも関わらず、ハネられて不可となっているのを発見した時に、不服を申し立てるため。
その不服を申し立てる権利があるのは、署名した本人、署名活動をした受任者、リコール請求の代表者、そしてリコール対象となっている市長。

基本的には誰が見てもいいことになっているが、署名していない人が縦覧しに行くのは、
善意に解釈すれば自分の名前が勝手に使われていないかを確認するためと考えられないことはないが、
それは常識的に考えにくい。なにしろ数千枚の中から自分の名前があるかないかを、署名しない本人が探すのだから。

ところで、閲覧にはまず●閲覧者の名前、住所、縦覧年月日を書かなければならない。これは議会傍聴と同じ。
その他にも●署名簿の書き写しや、写真による撮影はしない●署名簿は、所定の場所以外に移動しない
●縦覧により知り得た個人情報をこの縦覧の目的以外に利用し、また他人に漏らさない、といった約束事がある。
つまり縦覧者にも、ある種の責任が発生する。

ここからは想像だが、メモはいけない、写真撮影もいけない、
とすると縦覧を署名の確認以外の目的で来た人物(そういう人がいたとしたら)は、
まずは署名した中に自分の知っている人物がいるか覚えておくことにする。
一人だけ見つけても目的は果たせない(?)ので、もっと多くの人の名前を探す。
出来る限り自分の記憶力の範囲内で覚えておくことにする。
そして、縦覧の場所を去ったら、その人の本来の目的を果たすことにする。

ここで一番の問題は、先の「半端じゃない署名の重さ」というフレーズ
これが個人の選択がこれからの姿勢の行く末を左右するから署名は重いですよ、
というなら別に問題はないが、残念ながらこのフレーズの使用者はその意味では使用していない。
そしてこのある種の脅し作戦(?)は埼玉県川島市でも行われた。その意味では、これは作戦上よくある事なのかもしれない。
しかし、この事によって、市民が正常の判断をしづらくなっているとしたら、それはもうリコールすべきかどうか以前の問題となる。

一番残念なのは、こうしたことが現在新城市で起きてしまっていること。
ところで、新友会のチラシでは代わりの誰かを設定せず、具体的な方策等を出さないのは無責任の指摘があるが、前の投稿でも紹介したが、仮に候補者を設定して戸別訪問して署名活動をすれば必然的に次の選挙の話になり、その際に候補者の投票依頼をすると選挙違反になる。だから、基本的にはリコールは市長の可否だけを問うことが正しい。
また対案をうんぬんというが、その対案を出すのは誰か?
先ほどの理由で候補者は設定しないとすると、対案は市民が出すことになる。
しかし市民には選挙の投票権はあるが予算提案権もなければ、議決権もない。その市民が仮に対案を出したところで、現実に行政執行権もないとすれば対案の実施は保証されない。だとすれば市民はどうすれば責任をとれるというのだろう。
つまり対案を出したり実行していくのは市長だったり市議の仕事、それを市民に求めること自体が妙な理屈。
たとえそれが一見無責任と感じられても、市民にできることは限られている。

ここまで書いてきたら腹が立ってきたのでもう少し
新友会のチラシでは勝手に「十分に検討」と大きな文字を使って書いているが
リコールを求める会は「十分に検討されていない」から行動に移っただけ。
そして中日新聞の「市民案は不可能」の記事を例に取り、明らかな事実の様に伝えているが、
中日新聞は「市長がこう言った」と発表報道をしているだけ。
可能か不可能かは、当事者同士は全く異なる見解を持っている。なにのその後の討論もなされず「十分に検討」と言えるのか。

ところで、新友会のチラシの記事を書いていると思われる人物(議員)は、住民投票が終わった時
「結果を重く受け止める」と発言したが、住民投票直後に行われた市議会では、住民投票の結果求められた路線の再変更に反対の議決をしている
(しかもそれが6人もいた。市長ですら住民投票の結果通りにするようにとしているのに)
この人は議員の発言・責任は重いとか、議決が重いとか言っているが、この判断だけを見ても言葉通りに信じるわけにはいかない。

リコールや住民投票は、選挙活動のような厳格な法律で縛られたものではなく、
ある意味何でもありのゆるゆるの法律内で行われる。
しかしだからと言って、なんでもあり!と割りきって、
バレなければできることは何でもやる!と言った姿勢は異様だ(と自分は考える)

最後に「類は友を呼ぶ」ということわざがある
似通った人は集まりやすいということ
(また人を判断するにはその友達を見れば分かるとも言われる)
この新友会のチラシを書き続ける人と、市長が似ていると考えると、、、
どうなんでしょうね、新城市の将来

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