パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

新友会のチラシに対する反論(署名縦覧などについて)

2016年01月13日 11時56分24秒 | Weblog

以下の投稿は新城市以外の人には分かりにくいので
まずは状況の説明を

現在、新城市では市長リコールの署名活動が行われている
一方、リコール反対を訴える人達もいる
その反対を訴える人の組織が「新友会」
普通なら折り込みが不可とされる政治的なチラシが 
「新友会」の名で3回ほど折り込まれた
以下はその中にある内容についての反論 

新友会のチラシの中にある
「半端じゃない署名の重さ」「署名簿は1週間にわたって公開され、誰が署名したか、閲覧に供されます。」

このフレーズが何を意図しているかは、少し想像力を働かしてみると千秋在住さんのブログに書かれているようなことだと思われる。

千秋在住さんのブログ どういう意味になるのか?
千秋在住さんのブログ 署名と投票

ところで署名縦覧は何故なされるか、と言えば署名チェックをした選管に間違いがないかを確認するため。
自分がちゃんと署名したにも関わらず、ハネられて不可となっているのを発見した時に、不服を申し立てるため。
その不服を申し立てる権利があるのは、署名した本人、署名活動をした受任者、リコール請求の代表者、そしてリコール対象となっている市長。

基本的には誰が見てもいいことになっているが、署名していない人が縦覧しに行くのは、
善意に解釈すれば自分の名前が勝手に使われていないかを確認するためと考えられないことはないが、
それは常識的に考えにくい。なにしろ数千枚の中から自分の名前があるかないかを、署名しない本人が探すのだから。

ところで、閲覧にはまず●閲覧者の名前、住所、縦覧年月日を書かなければならない。これは議会傍聴と同じ。
その他にも●署名簿の書き写しや、写真による撮影はしない●署名簿は、所定の場所以外に移動しない
●縦覧により知り得た個人情報をこの縦覧の目的以外に利用し、また他人に漏らさない、といった約束事がある。
つまり縦覧者にも、ある種の責任が発生する。

ここからは想像だが、メモはいけない、写真撮影もいけない、
とすると縦覧を署名の確認以外の目的で来た人物(そういう人がいたとしたら)は、
まずは署名した中に自分の知っている人物がいるか覚えておくことにする。
一人だけ見つけても目的は果たせない(?)ので、もっと多くの人の名前を探す。
出来る限り自分の記憶力の範囲内で覚えておくことにする。
そして、縦覧の場所を去ったら、その人の本来の目的を果たすことにする。

ここで一番の問題は、先の「半端じゃない署名の重さ」というフレーズ
これが個人の選択がこれからの姿勢の行く末を左右するから署名は重いですよ、
というなら別に問題はないが、残念ながらこのフレーズの使用者はその意味では使用していない。
そしてこのある種の脅し作戦(?)は埼玉県川島市でも行われた。その意味では、これは作戦上よくある事なのかもしれない。
しかし、この事によって、市民が正常の判断をしづらくなっているとしたら、それはもうリコールすべきかどうか以前の問題となる。

一番残念なのは、こうしたことが現在新城市で起きてしまっていること。
ところで、新友会のチラシでは代わりの誰かを設定せず、具体的な方策等を出さないのは無責任の指摘があるが、前の投稿でも紹介したが、仮に候補者を設定して戸別訪問して署名活動をすれば必然的に次の選挙の話になり、その際に候補者の投票依頼をすると選挙違反になる。だから、基本的にはリコールは市長の可否だけを問うことが正しい。
また対案をうんぬんというが、その対案を出すのは誰か?
先ほどの理由で候補者は設定しないとすると、対案は市民が出すことになる。
しかし市民には選挙の投票権はあるが予算提案権もなければ、議決権もない。その市民が仮に対案を出したところで、現実に行政執行権もないとすれば対案の実施は保証されない。だとすれば市民はどうすれば責任をとれるというのだろう。
つまり対案を出したり実行していくのは市長だったり市議の仕事、それを市民に求めること自体が妙な理屈。
たとえそれが一見無責任と感じられても、市民にできることは限られている。

ここまで書いてきたら腹が立ってきたのでもう少し
新友会のチラシでは勝手に「十分に検討」と大きな文字を使って書いているが
リコールを求める会は「十分に検討されていない」から行動に移っただけ。
そして中日新聞の「市民案は不可能」の記事を例に取り、明らかな事実の様に伝えているが、
中日新聞は「市長がこう言った」と発表報道をしているだけ。
可能か不可能かは、当事者同士は全く異なる見解を持っている。なにのその後の討論もなされず「十分に検討」と言えるのか。

ところで、新友会のチラシの記事を書いていると思われる人物(議員)は、住民投票が終わった時
「結果を重く受け止める」と発言したが、住民投票直後に行われた市議会では、住民投票の結果求められた路線の再変更に反対の議決をしている
(しかもそれが6人もいた。市長ですら住民投票の結果通りにするようにとしているのに)
この人は議員の発言・責任は重いとか、議決が重いとか言っているが、この判断だけを見ても言葉通りに信じるわけにはいかない。

リコールや住民投票は、選挙活動のような厳格な法律で縛られたものではなく、
ある意味何でもありのゆるゆるの法律内で行われる。
しかしだからと言って、なんでもあり!と割りきって、
バレなければできることは何でもやる!と言った姿勢は異様だ(と自分は考える)

最後に「類は友を呼ぶ」ということわざがある
似通った人は集まりやすいということ
(また人を判断するにはその友達を見れば分かるとも言われる)
この新友会のチラシを書き続ける人と、市長が似ていると考えると、、、
どうなんでしょうね、新城市の将来

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする