パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

マラドーナ

2020年11月26日 09時07分20秒 | サッカー

マラドーナが亡くなった
実生活では欠点の多い人だったが、自分は好きだった
メッシの現実的なプレイ(点とりに特化した)とは違って
いざとなれば一人でなんとかしてしまう凄さがあった
ドリブルでも華麗というよりは、戦車が走るような辺りを蹴散らすような迫力で
それでいてディフェンスの重心の裏を取るようにして抜き去るのは
なんで止められないのか?と思ったものだ
(聞くところによると、マラドーナの走った後の芝生はすごく傷んでいたとか
 それだけ地面を踏ん張って走ったということらしい)

特に有名なメキシコ大会のイングランド戦のハーフウェイライン手前からの
5人抜きのドリブルは、イングランドの選手がスローモーションのように見えて
なんであんなに簡単に抜かれるのか不思議で仕方なかった

テレビ画面で見なれたこのシーンも、Jリーグのスタジアム観戦にでかけた時に
マラドーナはあの辺りからドリブルして得点したのだ
と再確認すると、それはとても信じられない出来事のように思えてくる

サッカーのプレイはすごかった
でも、変人だった(ようだ)

スーパーなプレイをするサッカー選手は紳士というより変な人が少なくない
爆撃機と呼ばれたドイツの点取り屋ゲルト・ミューラーも
日韓大会で活躍した大五郎カットのロナウドも
とんでもない得点シーンで笑うしかないイブラヒモビッチも、どこか普通じゃない印象

とりあえず世界はサッカーの実力でその選手の存在価値を認める
ところが日本はどうなんだろう
変人は嫌われるのではないだろうか
才能というのは英語的な意味合いでは天から授けられたものらしい
特殊な才能を授けられた人は、どこかが人と違っておかしいほうがバランスが取れている
とずっと勝手に思っていたし、今もきっとそうだろうと確信してる
(何故かはわからないが、そういうものだと)

日本のサッカー界には点取り屋が生まれない
点取り屋のメンタリティはエゴイストで変わり者が世界では通説のようだが
日本ではそれだけでは認められない
むしろみんなと一緒になって攻めも守りも行って初めて評価される
でも点を取るという時に肝心なエネルギーを消費してしまっていたら
彼は自分の本来の役目を果たせない

だがこうした意見(特殊な才能はそれを活かせるようにしたほうが良い)は
あっという間に片隅に追いやられる
みんなでワンチームになってひたむきに働く
こうでなきゃ、、と、日本人全体もメデイアも騒ぎ立てる
結局のところ、日本人はこういうの(みんなんで頑張ること)が好きなんだ、、
と思うしかないが、自分は少し変でもすごい選手がその才能を発揮し続けられる
世の中のほうが良いと思ってしまう

ある時、マラドーナが親善試合で披露したお尻でトラップしたシーンがあった
その発想自体が笑えて、この人は一般人の価値観で判断するのはかわいそう
一般人は彼を楽しむしかない、、と思ったものだ


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