パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

昔、思い浮かべたこと(シェーンブルン宮殿で)

2020年11月27日 09時22分07秒 | あれこれ考えること

7年前、いろいろ確認したいことがあってドイツ・オーストリアに出かけた
その中に、「今シェーンブルン宮殿を見たらなんと思うだろうか?」
との興味があった

初めてシェーンブルン宮殿に訪れたのは1976年だった
若さに任せた後先を考えない衝動的な旅だったが、今振り返ると
フットワークの重い自分にも若い時があったのだ、、と感慨にふける

初めての時、この広大な庭の高くなったところまで歩いていく最中、突然頭に浮かんだことがあった
「これが自分の所有するものになるのなら、権力者になりたいと思うかもしれない」

小市民で大きなことは考えず、内々でグズグスして、屁理屈をこねてることが当時から多かったが
その時初めて、「お金持ちになりたい」とか「権力者になりたい」という気持ちがわかった気がした
何かを支配する、思い通りになる、、
それは経験したことのないひとには想像できないかもしれないが、とてつもなく魅力的なことかもしれない
と実感したのだ

幸い(本当に幸いかどうかはわからないが)その後、権力欲とかには振り回されることは無かったが
この時覚えた強烈な印象は、今でもはっきりと覚えている

小高いところまで登ってみる
その場所には、想像していたよりも短い時間で着いた
(記憶の中ではすごく歩いた気がしていたのに)
そして歩いている時は、これが本当に悲しいのだが「何も感じなかった」
目の前にあるのは単なる庭園、特に際立つ程のことはないし、どこかでも見た気がする
思ったよりも小さい 
そんなことしか浮かばなかった
 
するとあの時、なんであんなことを思いついたのだろう
との思いが浮かぶ

人は初めて接するのと、二回目以降では感じ方が違うのかもしれない
広隆寺の弥勒菩薩を見た時も、龍安寺の石庭を見た時も
ノイエ・ピナコテークでゴッホのひまわりを見た時も
二回目は悲しいくらい感受性が鈍化していた

眼下にウィーンの街を見る
2回目以降は何も感じないようになっていても、この街は2回目以降でも訪れるとホッとする
(それは新幹線で京都に近づいているときに感じる感覚に似ている)

1976年も、同じ様な写真を撮っていた

絵心がないのは、前と同じだ(情けない!)


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