パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

聞き違いの原因は、、

2023年04月15日 14時52分00秒 | あれこれ考えること

昔、武田鉄矢氏が井上陽水氏あるいは小椋佳氏の歌う「白い一日」
を聞いて、随分変な歌だな、、と思ったことがあったそうだ
(ラジオで聞いた話だが)

「真っ白な掃除機を眺めては飽きもせず
 かと言って触れもせず、そんな風に君の周りで
   僕の一日が過ぎていく」

この歌詞にある掃除機を眺めながら過ごすなんて
どういう変わった人なのだろうか
自分には絶対できないことだ!と感じたのだそうだ

「白い一日」を知っている人は彼が「陶磁器を掃除機」と
聞き違いしていることに気づいて笑い話になってしまう

でもちょいと笑えないかもしれない、、と思えるのは
数年前読んだブルデューの「ディスタンクシオン」では
学歴、経済的な階層によって身の回りにある家具が違い
生活の中で培った感じ方も違ってくる
という例が、いくつも紹介されていて、
これもその一つの表れかもしれないと思えたからだ

何の違和感もなく陶磁器と聞こえる人と掃除機と勘違いしてしまう人
それは耳の聴き取り能力の違いではなく、お互いの置かれている
生活環境が違うせいからではないのか、、と類推してしまった

自分が子供の頃おかしな歌だな!
と思ったものに「故郷」(ふるさと)がある
「うさぎおいしかのやま こぶなつりしかのかわ」
うさぎが美味しいなんて、、食べてしまっているのかな、、
変だなと思いながらそのままだったが、何年後には
うさぎを追いかける意味の「うさぎ追いし」
とわかるようになって、やっとスッキリした気分になれた

子供の時は知識がないから、おいしは生活に密着する
「美味しい」を直ぐに思い浮かべたが
古い言い回しを覚えたら「追いし」が想像できるように
なったということだ

物事に対する感受性とか好き嫌いは、個性の現れというよりは
身の回りの環境に大きく左右されているのではないのか
と、この例を思うと考えてしまう

この例を拡大解釈し大きく構えて、政権与党を無条件に信頼する人と
批判的な意識をもって眺める人の違いを考えてみると
これらも実はその周りの環境によって違っているのではないか
と思ってしまう

多数の意見を重要視する人、あるいは平均を自己の価値基準とする人
がいる一方で、どうしても生まれてしまう弱者に目がいってしまう人がいる
どちらが正しいか!は追求されることはなく
形として出てくるのは数の多い方になってしまう
(そして環境が作られていく)

陶磁器を掃除機と勘違いする人の方が多い社会と
すんなりと陶磁器と聞き取れる社会
いったいどちらの社会のほうが幸せなのだろう、、
とちょいと考えてしまった


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