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パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

思い込みを変えるのは難しいが

2025年07月15日 10時07分21秒 | まとまらない話

他人が何と言おうと実感したことを変えるのは難しい
急に参議院選挙の重要なテーマとして浮上したのが外国人に対する認識で
否定的な考え方をする人は「過度に外国人が多くなると犯罪が多くなるとか文化が乱れる」
との主張を繰り返す

ファクトチェックによれば、外国人の数は毎年増えているが
外国人の起こす犯罪は減っているから、外国人が増えているから犯罪が多くなるということはない
でも、問題なのは「なんとなく」という個人の実感で、人は事実よりも自身の思い込みを重要視しやすい

外国人という言葉でイメージして、日本で一緒に暮らすことに否定的な思いを抱かれる人たちは
具体的にはどんな人達だろうか
(これは自身の思い込みかもしれないが)それはアジア人、中国人、韓国人、ベトナム人、
ネパール人とかイスラム系の人たちを思い浮かべていないか?
アメリカ人とかイギリス人、フランス人などに対しては日本に住むことに上記の人達ほど
違和感を感じていないのではないだろうか

外国人への判断基準となる直感とか実感は、自身が目にしたり話したりすることで育まれる
自分事で言えば、国内で出会った外国人はブラジル人、韓国人、ベトナム人などがあるが
その人たちはごく普通の人たちで、一緒に暮らすことに違和感を覚えることはない
確かに、少しばかりルーズなところもあるし、能力的な問題があったこともある(会話能力)
でも総じて、みんな一緒だな、、と思えるものだった

自分が外国人として扱われた一人旅のドイツ、オーストリアで出会った人は
電車が目的地までいかず困っていた時に、すごく親切だったドイツのおばさんがいて
とてもありがたかった
でも、そんなにいい思い出だけでなく、道に困っていた時、暗い目をして、服装もどこか貧相で
明らかにドイツ人ではない様子の人が、道案内をしてくれたのは良いが
そのあとでお金を要求されたことがあった
印象に残っているのは彼の暗い目だった
彼は多分移民で、普通の暮らしができていないだろうと想像した

外国人が犯罪を起こすとか、社会になじまないということは
その人達の経済的な要因がクリアされていないと起こるのではないだろうか
問題が起こるのは(起こるとしたら)人種、国別等の問題ではなくて
経済的な面が大きいのではないだろうか

日本が未来に希望が満ちていた時期は、一億総中流といわれた
多くの人が物持ちではなかったが、少なくとも人の気持を慮る余裕はあった(と思う)
それが今はギスギスしている
心に余裕がない
そして従来は自発的にブレーキをかけて、しよう思えばすることもできた行為はしなかった
でも今は「法的に問題はない」との考えに基づいて暴走する
そしてこの考え方を「行き来すぎた個人主義」と名付ける人たちがいる
でもそれは行き過ぎた個人主義でもなんでもない
自然法と言われる正義感とか倫理観が欠如したひとが多いだけのことだ
そしてその自然法を無視する行動は、多分社会の経済格差によるものと思う

経済格差は体験格差につながり、体験から生まれる人生観にも影響する
つまりは経済の問題は、実際は心の問題にまで波及する

ところで、昔読んだ本のぺージを折ったものを読みなおしてみると
興味深いところが見つかった(読み直そうとしたのは「絶望を希望に変える経済学」)

この本は、タイトル通り読後はなんか明るい気分になれた
確かここにも移民の犯罪の確率はイメージと違って実態はそれほど多くない
とされた著述があったように記憶しているが、この本ではなかったかもしれない
(とにかく、日本のファクトチェックと似たようなことが外国でもあったということ)

この本で紹介された中で、興味深かったのはアメリカのキャンプ場で行われたある実験で
11歳から12歳くらいの子どもを2つのチームに分けて(お互いの存在は知らずにいて)
あるタイミングで例えば綱引きなどの戦いをすることにしたところ
それぞれにチーム内に相手に対して否定的、侮蔑的な言葉が生まれて(そうすることで結束力は増した)
両チームの関係は芳しくないようだったが
キャンプの最終日にキャンプ場を断水状態にしたところ、2つのチームは最初、協力を渋っていたが
そのうちに力を合わせて問題解決に取り組むようになり、お互いの敵意は消えていったとオチがあった

つまりは知らないでいると、無意識に否定的なものとして扱う傾向があるということと
目前の課題については、人には無意識に生まれた敵意などは関係なく協力しうる能力がある
ということで、こうしたことは人を肯定的に捉えていてとても救われる気分になる

もっとも、こうした思いは「お花畑」「非現実的」と断定する人達がいるもの事実
でもそういう人が使う「現実的という選択」は時として
権威主義に従うだけとなることも想像できる
そしてその権威主義に従うだけの社会は、果たして良きものか?
と想像してみると、それは実はつまらない世界ではないだろうか

というこことで、まとまらない話

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