小説や民話なんぞはクソ役に立たない!と言いそうな人がいる
(ロシアのウクライナ侵攻に対して日本国内デモに関してクソ役に立たない
とつぶやいた元政治家、現在はやたらと特定のテレビ局に登場する
立ち位置の不確かな人物がいる)
彼は目の前の対処療法に適さないものは無意味だとする考えのようだ
ところが漢方医薬のようにじんわりと効いてくるモノもある
それは知ることによって、危ないものにはブレーキをかけるという機能を果たすもので
一般的にはリベラルアーツと言われる(あるいは教養)
気の滅入るロシアのウクライナ侵攻
画面に登場するプーチンの表情に恐怖を覚える
なにかに取り憑かれているような、、人との会話が成立しないと思わせるものだ
対話で大概のことは解決できるはずと思いたいが、
現実には一定数の変な人が存在してしまうのも社会というものかもしれない
(泥棒も詐欺師もどうしても無くならない)
だが習慣とかしつけとか、人間の作話機能による物語を知ることによって
フト自己を省みることができれば、ブレーキをかけることができるかもしれない
彼にはいろんな理屈はあるだろうが、今プーチン(あるいはイケイケドンドンの人)
に読ませたいのはロシアの文豪トルストイの民話「人にはどれだけの土地がいるか」だ
欲が人間の進歩を生み出すものとしても、再現のない欲は悲惨な結末を迎えることになる
それをやんわりと伝える物語だ
何かを知っていくことは共感の幅も大きくなる(歳を重ねると涙もろくなるのはそのせいだ)
そして感情は些細なことに驚きや喜び悲しみを覚えるようになる
知識は全世界に一般化できないかもしれないが感情は一般化できるかもしれない
何かに共感する、、その癖をつけるようにすること
それが時間がかかっても目指すべきものと思われる
子どもが生まれると「心の優しい子に育って欲しい」と多くの大人は口にする
だがこの願いはいつか忘れられてしまう(優先順位は変わってしまう)
でも本当は何時までもこれが一番大事なのではないか!とつくづく思う
例のごとく話は逸れたがこの民話のウキペディアの解説はこちら
→「人にはどれだけの土地がいるか」