パンセ(みたいなものを目指して)

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新城市で現在起きている給食の問題について

2022年03月28日 19時40分14秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

新城市で今問題になっている小中学校の給食についていろんな人に聞いてみた
給食の問題とは大きく分けて3つの問題がある
1つ目は、給食は自校式(学校内で作る)かセンター方式(まとめて作る)のどちらが良いか?という問題
2つ目は、その決定プロセス(市はセンター方式と決めた)が適切だったか
 自治条例に違反した決定プロセスではないか?という問題
3つ目は、行政のチョンボ(基本設計の参考見積もりの紛失や該当地の県の土地が含まれて
 いったん計画がストップしたこと)は何故起きたのか?そこに犯罪性を疑わせるものはなかったか?
大きくこのように分けられる

だが問題と言っても現実は市民の間にそれ程問題となっているとはいい難い
ほとんどの人は行政・議会がこれで騒ぎになっていることを知らない
その現状を踏まえて、知人・顔だけ知ってる人、学校関係者・話したことのない人に聞いたのは
1.自校式とセンター方式と、どちらが良いと思いますか?
2.その決定は教育委員会・校長会・市の幹部が決めましたが、あなたはその決定に関与したいと思いますか?
3.行政の決定の仕方は自治条例に違反していると思いますか?
の問だ(チョンボの問題はありえない話で敢えて問をするまでもない)

1番の問は答えが割合偏っている
「自校式がいい」この声が多い
想像されるように、その方が温かくて美味しいものが食べられるから!がその理由だ
だが、中には「時の流れでセンター方式も仕方ないかもしれない」という人もいる
ここで改めて実感したのは「自校式がいい」というのは圧倒的に女性が多いということ
「センター式も仕方ないかも、、」というのは男性に多い
そして、その仕方ない理由は行政の説明を聞いたからではなくて、
彼らが想像した多分もう続けられないだろうという理由からだ

次に2の決定に関与したいか?
となると、元気に自校式が良いと言っていた人(年配の女性)も急に歯切れ悪くなる
その意見の多くは
「その決定に関われるほど自分たちは現状をよく知らない
 だから責任をもって決める判断はできない」
というもので、いざ決定権があるとされると責任を伴うので慎重になって
安易な判断はためらうようだ(PTAの人たちは参加しても良いかも?と口にしたが)
「ちゃんと情報を持っている人たちが妥当な理由で決めたならばそれでいい」
という他人の判断で良いとするのもある

3番目の自治条例に違反するかどうかは、質問自体が伝わらない
自治条例とは何で、どこに違反している可能性があるかをすぐに分かる人がいないからだ
これは予想した通りの結果だった

2つの選択肢があると、それぞれがそれそれを推す理由がある
その一つ一つの理由は相手側には納得できない理由とか言い訳に聞こえる可能性がある
(例えば問題となっている給食婦が集まらないのは、時給が安いからだとか)

実際のところ、このような未来に関することはどちらが正解かはわからない
時の経過だけが半か丁かの答えを出すだけで、今は想像するしかない
わからない未来を無理やり選択するには、不完全なシステムかもしれないが
多数決によるしかないかもしれない
問題はその多数決を誰がするか?ということになる

自分は基本的には事情をよく知っている人に任せるのが妥当だと思う
思いつきのようにひらめく人よりも、ずっとこのことを考えている人
そういう人に任せて、それで間違ったとしてもそれは仕方ないかもしれないと思う

人の説明を真実だと思うか、言い訳と思うか?
は直に接しないとわからないかもしれない
「自校式が良いけど、もう無理かもしれない!」
と答えたのは現場を毎日見ている女性(教頭先生)だった
また「限界にきている」と口にしたのは、知らずに声をかけたら
「自分は教師だったから現場を知っている」と答えた男性だった

無理かもしれないという実感も、努力すればクリアできるはず
と思う人もいるだろう
だが、その実感は重い(と思う)

このように人は時間的に制度的に誰かに判断を委ねざるを得ない社会に生きているが
その一つ一つは知らないなところで決まっていくものだと思うこの頃

(人は何事も関心を持たなければいけないか?誰かにお任せは悪いことか?
 なんだかわからなくなってきた)

※ところで1の問に男女の判断に大きな違いが見られたので、
 多数決をするには男女比は同じでないとまずいかも、、、

コメント
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