パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

判断基準は「それは子どもたちにとって良いことか?」

2018年08月15日 08時34分59秒 | あれこれ考えること

山口県周防大島町で、12日から行方不明になっていた2歳の男の子を無事発見
どんな経緯があったかわからないが、本当に良かった
2.3歳の子供の行動は本当に予測不可能で、つくづく目を離すといけない
先日は甥の3歳の男の子が家族と買い物に行った際に迷子になってしまった
これは笑い話で済んだが、まだまだ目を離すと危ない

数ヶ月前はタイのサッカークラブの子どもたちが洞窟で飲まず食わずで何日間も過ごした後
国際的にダイバーたちの協力もあって無事生還したとのニュースもあったが
子どもたちが助かって、本当に良かった

子どもたちが苦しい目とか悲しい目に合うのを見るのは辛い
ましてこれからいろんな経験をするであろうし、そこからいろんなことを学んでいき
カミュ風に言えば「人生は生きる価値があるかどうか」を自らの答え出さなければならないのに
まだ何も経験してない状態で、その未来が奪われるとしたら、、、
そう考えると、理不尽でやりきれない思いを持つ(今回は幸運にもそんなことはなかったが)

世の中には理不尽なことでもなにか意味がある、、とする考え方に、
少なくとも子どもに関してはそうではないと、圧倒的な迫力で否定の意見を述べたのが
カラマーゾフの兄弟のイワン、有名な大審問官の少し前の章だ
小さな女の子に何の罪があって、そんな悲惨な思い(確か親《領主?》の虐待だった、、ような記憶)をさせなければならないか
後付の大人の理屈なんて、、子どもたちの苦しさに比べれば、、何の意味があるか、、、

この部分から大審問官の部分までイワンの言い分はとても引掛って、時々この部分だけ読み直すことがある

子どもは、まだ何も知らない、何も体験していない、、それだけでとても大事な存在だ
いつか知恵がついて、生きるのにたくましくなるとしても、、その前のホンの僅かな時間
その澄んだ瞳に見つめられると、つい自分たちがわけもなく恥ずかしくなってしまうような気さえする

昔、判断に困ったときはどうするか、、と考えた事があった
その時にフト浮かんだのは、「それが子どもたちにとって良いことか?」を基準に考えてみようとすることで
これは内心気に入っている
ところで、最近のこの国のやることなすこと、「子どもたちにとって良いことか?」と考えると
ほんと、どうなんだろう、、、



 

コメント
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