パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

ビジネス書というより哲学・心理学・文学の啓蒙書(世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?)

2018年08月10日 01時21分15秒 | 

大げさに言えば人の一生は選択と判断の連続だ
できることならそれを間違えたくない
人の生活を左右する企業経営者とか政治家は尚更だ
この選択と判断について、少しばかり変わった視点(美意識)から捉え直し
そうすることがトレンドであり、そうすべきだとするのがこの本

世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 山口周

一般的に企業人や政治家は判断の拠り所として、理知的な分析・論理を用いる
それは当たり前の事となっており、その考え方の進め方、まとめ方がノウハウとして
標準化され、かつては独占状態だった「賢そうな分析・論理」はどれも差のない状態になりつつある
そんな時(今がそうだが)どうするか、、という解決法を示したのがこの本だ

ところで上記のような賢そうな分析・論理には差がないと感じたことがあった
自分の住む新城市では昨年市長選があった
三人が立候補し、その三人が公開討論会をすることになり、何日かに分けて行われ、その日その日のテーマに基づいて持論を戦わせた
一人ひとりを単独で聞いた場合、その弁舌の旨さ等に聞き入ることや、分析・論理がしっかりしていると感じることがあるが
さて同じ壇上で同一のテーマで話を聞くことになると、これが三人に大差がないように感じられた
それは現状分析から必然的に導かれるものを述べたからで、多少のニュアンスは違うものの、よく似ていた
(だからこそ、会場で3人の政策をみんなまとめてやればいい、、と発言したある応援団の人物がいた)

理知的な手段による限界がそこにあるように感じられた(これを踏まえてどうするか)

ここで話は飛んで、オウム真理教の不思議に移る
よく言われるようにオウム真理教の幹部となった人たちは、偏差値の高い良い大学に入学している
世間的には頭の良いとされる人々だ
ところが、彼らの殆どが「文学作品」を読んでいないとのことだ
この本の解説によればオウム真理教の階級のステップアップは努力すれば報われる
入試試験のようなもので、このシステムは彼らにとてもフィットした
ところがいろんな人間が混在する現実の世界は、努力が報われないことがあるし、理不尽なことも多い
(だから彼らは挫折した?)
この不可解な世界をどう生きるべきか、、と精魂込めて記したものの一つが文学作品であるが
オウム信者は、その方法・媒体と接触せず(体験せず)入試の成功体験の残るシステムの中に自分の居所を見つけた
この文学体験のない人々が作り上げた空間は、一種の美がなかったのではないかとするのが著者の意見

確かにオウム真理教には美意識がなかったと思われるものにあのサティアンの様子がある
京都のお寺さんに行くと、そこにはどこかしこにこだわりのある建築物・仏像・美術品が目に入る
これは仏教に限らずキリスト教の世界でも、それこそとんでもなく表現意欲に満ちた芸術作品がこれでもかと並ぶが
一方テレビの報道画面から見られたオウム真理教の内部の様子は、乱雑で無秩序で美しいと言えるものではなかった
また選挙運動で使われた歌も、、美しいというより幼稚で、、およそ美的センスを感じさせないものだった

独断になるが美を感じない人たちが行うこと、判断することがこのようなもの(オウム真理教のようなもの)になる可能性があるということだが
ここでまた話は飛んで、アメリカで行われた実験に移る

ミシガン州立大学の研究チームは、ノーベル賞受賞者、ロイヤル・アカデミーの科学者、ナショナルソサエティの科学者、
一般科学者、一般人の5つのグループの対して「絵画や楽器演奏等の芸術的趣味の有無」について調査を行ったところ
ノーベル賞受賞者のグループは他のグループと比較した場合、際立って「芸術的趣味を持っている確立が高い」ことが明らかになった
としている
アインシュタインはモーツアルトが大好きで、どこに行くにもヴァイオリンを持参したというのは知る人ぞ知る有名な話
サイエンスと関係ないようなアートが、何らかの影響を与えているとも想像できる話だ
アートという非言語的な世界に、何か真実とか美を感じる、、その感じるという体験は
サイエンスの現場でフト感じたりする「秩序だった美」と同様なものなのかもしれない(と思う)

美を感じる人たちがなにか偉大なことをなして、(芸術分野ではなくても)
美を感じない人たちがおぞましいことをする、、というのではない
だが、少なくともどういうわけかその可能性はありそうなのは、なんとなく予想がつく

ところで、この非言語的な厄介な美というもの(の認識)は、どうやら直感というものが必要なようだ
直感は偏見か、それともまごうことない真実を見る目か悩ましいところだが
将棋の棋士さんたちの調査結果によれば、一流棋士とアマチュアの上段者とは読みの力の差はさほど差はないが
第一感で思いつく手の正しさに大きな差があるという
一流の棋士さんは第一感で感じた手を、これで間違いないかを検証する、、
アマチュアは残念ながら、子供のように、あるいはコンピュータのように様々な手を検討しようとする
時間制限のある勝負の世界では、ここで差がついてしまう

将棋の棋士に限らず、何故か直感的に正しいことをしてる、、と感じることは音楽の分野でもある
カラヤンの前のベルリン・フィルの指揮者、フルトヴェングラーの演奏だ
緻密な分析と論理を踏まえていながらも、まずは大づかみに直感的に捉える
そしてそこから出てくる音は、、音楽は、、、生き物のようで、美しい

話は例の如く逸れたが、物事の判断・選択には「美意識」あるいは「善に対する意識」が
今は必要になってきており、実際にそれを実行している企業が現在世界を席巻していると紹介して、
この本(世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるか)はビジネス書としての役割を果たしているが
正直なところ、ビジネス書というよりは、個人的には哲学・心理学・文学の啓蒙書のような印象をもった
ここに登場する人物も最近の自分の関心人物(ハンナ・アーレントとかマックス・ウェーバーとか)が多く
付箋もしっかりつけたが、もう一度じっくり読み返さねば

ところで、なにか美しいものはそれ以外に(ビジネス的)効用があるだけでなく
そのもの自体で楽しめる、、のも事実
ただ、それを手にするには、、ちょっと筋肉を鍛えるような何かを鍛えなきゃ、、というところかな
(小林秀雄の「美を求める心」、、だったかもそんなことが書かれていたような記憶が、、、違うかもしれないけど)

コメント
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