再読を含め今年最後のページまでたどり着いた本たち。
覚えているかどうかは怪しいところだが、読んだ本で自分はできている(味の素のCMコピーみたいだが)はなんとなく納得する。
覚えているかどうかは怪しいところだが、読んだ本で自分はできている(味の素のCMコピーみたいだが)はなんとなく納得する。
時間をおいてみると「失われた時を求めて」は今になって良い本(内容)だったと感じる。
最近読み終えたばかりの「民主主義のつくり方」「世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?」「ゲッベルスと私」
「白バラは散らず」は、刺激を受けてまだ頭の中で落ち着く場所を得ていない感じ。
「白バラは散らず」は、刺激を受けてまだ頭の中で落ち着く場所を得ていない感じ。
こうして並べてみると、自己満足でニンマリしたい気分になってしまう。
雑食系の選択となっているが、難しそうな本は馬力と気力と視力があるうちに読まないとダメだろうな。
雑食系の選択となっているが、難しそうな本は馬力と気力と視力があるうちに読まないとダメだろうな。
今後読みたい本の候補にあがっているのは
「ファウスト」(再読)「嘔吐」(再読)「源氏物語」(現代語訳)などだが、
これらは気分が乗らないとトライできない
「ファウスト」(再読)「嘔吐」(再読)「源氏物語」(現代語訳)などだが、
これらは気分が乗らないとトライできない
その前に今は、現在の日本との比較をする意味でナチス関連の本が気になる
ドイツは何故あんなことをしでかしてしまったのか
大衆はその時何を感じて何をなしたのか、なさなかったのか
その時の空気はどうだったのか
それは今の日本と似ていないか
似ているとしたら、どうすればあのような状況にならずにすることができるか、、
ドイツは何故あんなことをしでかしてしまったのか
大衆はその時何を感じて何をなしたのか、なさなかったのか
その時の空気はどうだったのか
それは今の日本と似ていないか
似ているとしたら、どうすればあのような状況にならずにすることができるか、、
多分、危険を避ける方法の一つは、過去を知ることだろう
直ぐに反日とか、嫌韓・嫌中の言葉を使用し、民族の違いだけで区別しようとするある種の人々は
ヒトラーが推し進めた方向とそっくりということは、過去を学べばわかる
直ぐに反日とか、嫌韓・嫌中の言葉を使用し、民族の違いだけで区別しようとするある種の人々は
ヒトラーが推し進めた方向とそっくりということは、過去を学べばわかる
とにかく、言いようのない不安が押し寄せてくる
何かを言えるうち、批判できるうちに、できることをしていかないと
また馬鹿なことを繰り返してしまいそうで、、
(ドイツはいつの間にか何も言えなくなってしまった、、、あのときの日本も、、)
「繰り返しません」が言葉の上だけに終わらないようにしなければ、、、