休日らしくのんびりした話題
美しい音楽のことを考えてみた
その例としてマーラーとブルックナーの静かな音楽を取り出してみる
(ブルックナーの方は静かばかりとは言えないが)
まずはマーラーの方から、有名な交響曲5番のアダージェット
映画「ベニスに死す」にも使われた弦を主体とした耽美的な音楽
これを心動かされずに聴ける人はそれほど多くないと思われる
マーラー アダージェット 交響曲 第5番から
マーラーよりは少し前の作曲家にブルックナーがいる
男前のマーラーに比べると田舎のおっさんといった感じの垢抜けない男だ
彼の作品の中からは7番の交響曲から第2楽章のアダージョ
Bruckner - Symphony No. 7 in E major - 2 Adagio - Celibidache
この音楽も美しいと思う(自分は)
だがその感じ方はかなり違う
マーラーの音楽は失った青春時代の思い出とか、かきむしられる感情の疼きみたいなものが全面に出てくるが
ブルックナーの音楽は、その響きに沈潜した思索とか法悦といったのもを、体全体で感じ取るものとして存在する
マーラーとブルックナーは一時期ブームになった
例にもれず、自分も違う指揮者、違うオーケストラのCDやレコードを購入し聴き比べた
だが、今は不思議なのだがマーラーの音楽はあまり聴かなくなってしまった
ブルックナーの方は相変わらず取り出して耳を済ませている
そこで、いったいそれは何故か、何が違うのか?と独断と偏見で考えてみた
すぐさま思いついたのは、マーラーの音楽は感情的すぎるという点だ
感情の起伏が激しく、若い時は「それいけ!」と共感した部分も今は「ちょっと大げさだな!」
といった印象ばかりが強く、ついていけない気持ちを感じてしまう
ブルックナーは繰り返しが多く、しどろもどろ的な要領を得ない音楽だが
深い思索の現れのような、自然界のなかの音のようなフレーズが精神の中まで染み込んでくる
そしてそれは、楽譜を見ると主題から導き出されたものであることが多く
その緻密な作曲技法に驚いたりする
そして、マーラーの音楽と違って感情的ではない
感情的と言う要素がキーポイントになっているのかもしれない
そういえばめっきり聴かなくなった音楽にチャイコフスキーがある
彼の音楽も自分には感情的すぎて、途中で気恥ずかしくなってしまう
だからと言って感情のない音楽を聞き続けるのは、それはそれでしんどい
バッハの音楽は緻密な数学的な作りで聴いていて落ち着くが
それでもずっと聴き続けるのは忍耐を要する
とまあ、好き勝手なことを言ってるが、とにかく最近は感情的すぎると思われるものは
パスする傾向にあるということ
でも不思議なのはモーツァルトだ
23番のピアノ協奏曲の第二楽章やK364のヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲の第二楽章は
情緒面々といった感じだが、感情的ではない
それはただただ美しい瞬間で過ぎゆくもの、、としての存在だ
モーツァルト、ブルックナー、そしてベートーヴェン
最近はこの三人をローテーションで聴いている
それにしてもブルックナーは彼もまた不思議な作曲家だ