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パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

繰り返しの音楽

2021年03月11日 09時12分29秒 | 音楽

最近興味を持って見ているYoutubeにビートルズ絡みがある
その中に繰り返しが曲の大半を占めている2つの曲が取り上げられていた

一つはアルバム「アビーロード」のA面最後の曲「I want you(she's so heavy」
あの突然の終わり方にびっくりする音楽だ
太いベースの音形の上で繰り返しが幾度と続く
だんだんノッてくる感じで奇妙な興奮を感じる曲だ

もう一つはお馴染み「Hey Jude」
ライブでは定番となっているみんなでコーラスするやつだ
ライブばえすることより自分はポール・マッカートニーの叫んでいるだけの
アドリブがとてもおもしろくて、いつもすごいな!と感じたものだった

ポールはアルバム「ラム」の中でも「モンクベリー・ムーン・ディライト」
という曲でもスキャットのアドリブで繰り返しを行っている
これも、この部分が大好きだ

そこで同じようなのが日本の曲の中にないかな!
とあれこれ思い出してみると、2つ思い出した
一つは人間なんて 吉田拓郎


人間なんて ララーラ ラララ ラーラ
これが何度も繰り返される
これもライブばえしそう
動画は妙な熱気がある

もう一つは、サザンオールスターズ - 勝手にシンドバッド
ララー ララララ ララーラ
が何度も繰り返される
これも徐々に熱を帯びてきて、面白い

これらの曲はビートルズ影響を受けているのか、それとも曲の自然な流れなのか
いずれにしても、繰り返しでも飽きないのがすごい

最近の女の子のグループの曲の中にも繰り返しがあるようだが
それはなんかつまらない、、と感じてしまうのは
歳のせいか、それとも打ち込みの音楽のせいか、、

ということで、いろいろ感じたり、考えたり、、

 

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Because

2021年02月14日 09時08分43秒 | 音楽

ビートルズのLPアルバム「アビー・ロード」のB面の二番目は
ロックの範疇のアルバムに含まれていることに驚きを覚えるような
クラシカルな楽曲の「Because」
素晴らしいコーラスの楽曲で、ベートヴェンの「月光ソナタ」にインスパイアされたらしい
そこで見つけたのがこの動画で、最初は「月光ソナタ」を演奏してるが徐々に
「Because」になってそれが様々に変奏されてとても楽しい

Because (Beatles) Piano Cover with Improvisation

ところでビートルズのアルバムではこんなふうになっている

Because (Remastered 2009)

このBecauseの動画では、こんなのも心が動かされる

Summer Recording Workshop sings "Because" by The Beatles

自分はポール・マッカートニーが大好きだが、ジョンレノンのこの曲は良いと思う

 

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ピアノによるブルックナーの交響曲演奏

2021年01月24日 09時05分58秒 | 音楽

ベートーヴェンの生誕から54年後に生まれた遅咲きの作曲家アントン・ブルックナー
彼は交響曲の作曲家になりたいと(でありたい)と願っていたようだ
その作風はベートーヴェンの影響か最後は勝利感に満ちた予定調和に至るが
それは艱難辛苦の末というよりは、宗教上の法悦感にあるような気がしている
聴いていて、ああまたやってるな、、と思うような、全肯定的な響きが
思いっきり大音量で開放されると、なかなか気分が良い
大音量の快感だけでなく、時折感じられる自然の中にいるような沈潜したフレーズは
田舎の人間である自分にとっては、いつか経験した思い出のように響く

彼が望んだように、彼の本領が発揮されるのは様々な音響の交差する交響曲
彼の足跡を追っかけて、オルガニストを務めた聖フローリアン修道院に訪れたり
最後の家であるウィーンのヴェルデベーレ宮殿にもでかけたし
CD・レコードもいろんな指揮者による演奏比較もできるくらい揃っている
つまりは彼のオタクなのだが、最近オタクアイテムに珍しいものを追加した


4手のピアノによる交響曲の演奏のCDだ(演奏はディーノ・セクィー&ゲルハルト・ホッファー)
ブルックナーのピアノ曲では「思い出」とか「秋の夕べの静かな思い」「幻想曲」などの
ソロの曲が思いのほかショパン並に情緒的だが、今回のこれは思いっきり真正面からの
交響曲のピアノ縮小版
どちらかといえばゲテモノっぽいが、どのように響くかの興味は抑えきれず
アマゾンでポチッとしてしまった

最初に聴いたのは一般的には人気がないが、自分が大好きな「第2番」
特にこの第2楽章(初版では第3楽章)のアダージョは、何度聴いても
草原の中に静かに風が過ぎていく様を連想させて、とても気持ちがいい
第一楽章も気負いがなく始まって、癖がなく聴きやすい

そうか、こう来るのか、なるほど!
例のトレモロによるブルックナー開始はまずまず納得
だが直ぐに違和感を感じてしまった
それはピアノという楽器ゆえの欠点が気になってしまったのだ
ピアノは弾いてから音は減衰する
この当たり前のことがブルックナーの交響曲の演奏には
なじまないのではないかと思えてしまった
音を出しっぱなしにするブルックナーの交響曲は
オルガンは良いかもしれないがピアノは駄目かな、、、と

だがブルックナーはピアノを身近において作曲しているのだから
悪いと決めつけるのは間違いかもしれない!と思い直して聴き続ける

もしかしてピアノの音色が自分は気にいる方ではないのかもしれない
今度はそれが気になった
ピアノは芯の強い音で全体的にブレンドされた音というより
ある旋律線が目立つ
こういう音ではなくてクラウディオ・アラウのような深々とした音なら
違和感は少しは減ったに違いないとも思ったりした

だが演奏は後半になって熱気を帯びたものになって、演奏者の意気込みとか
集中度も感じられて、こういう演奏形態も一回は聴く価値がある
と思い直すことにした

まだ大好きな8番や9番は聴いていないが
聴くのが怖いような(がっかりしそうで)気がしているのも事実
でも彼のオタクとしては、聴き遂げねば、、かな

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今年最初に聴いた曲

2020年12月31日 21時13分50秒 | 音楽

いつもなら家の中を走り回るモンスターたちも
今年はフェイスタイムの画面のなかで、先日送ったお年玉を
受け取る時の嬉しそうな表情を見るだけになっている

今年は静かな正月だ
昼から天皇杯サッカーを見て、点数以上の差がフロンターレとガンバの中にはあって
当たり前の結果だが強いほうが勝ったという感じ(1−0でフロンターレの勝ち)

テレビは年々見なくなっている
若い歌い手やタレントさんの名前も顔も覚えていない(覚えられない)
あいみょんは昔のフォークみたいだな、、とは思ったりするが
だからといって積極的に彼女を聴こうとは思わないでいる

新しいものへの容器は一杯になっているのかもしれないと不安になるが
その分今まで親しんだものには愛着が増してくる

今年最初に聴く音楽は明るい生命力に満ちたものが良いと思っていた
だがバッハでは少し真面目すぎる
ベートーヴェンと対峙するには気力が要る
そこで選んだのがモーツァルトのK136のディヴェルティメントニ長調だ
(ウィーン8重奏団演奏のレコード)
この曲は新年にふさわしく生き生きとしている
それはヴィヴァルディのような少し機械的なところもなく
本当によどみなく後から後から音楽が溢れてくる
この曲はモーツァルトが16歳の時の作品というから恐れ入る
若さゆえの勢いだけでなく途中で機知に富んだ箇所も見られる
深くは無いとしても身体的・精神的な快感は得られる

この曲の流れで次は同じくモーツァルトのK201の29番の交響曲イ長調
(クリストファー・ホグウッド指揮 エンシェント室内管弦楽団)
この曲の最初の楽章が好きだ
少し前の25番のト短調のような迫力はないが、ポール・マッカートニーの
鼻歌のように抵抗感なく聴いていられる
しかも真面目に聴くとイージーリスニングでは収まらないことがわかる
この曲の作曲の時、モーツァルトは18歳 
この男は無邪気な顔をしたモンスターだ

昨年生誕250年だったベートーヴェンは
人間が到達できる境地の高みで圧倒されることがあるし
バッハは職人の作曲技術の凄まじさに驚くことがある
でも、世の中に無いとつまらないというか
絶対欠けてほしくないのがモーツァルトの音楽だ
どの曲がというのではなく、モーツァルトの音楽という全体が
必要不可欠のような気がしている

ということで、今年最初に聴いたのはモーツァルト!
それで正解だったと思っている


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大晦日に聴いた曲

2020年12月31日 19時52分52秒 | 音楽

生の演奏会ほど集中はできないが、家で録音媒体を聴くのは都合の良いこともある
それは自分勝手に(聴く)プログラムを組むことができることだ
交響曲とかピアノ・ソナタのお気に入の楽章だけとか
歌があったり、ソロ演奏だったり、作曲された時代がバラバラだとか
そうしたものがその時の自分の気分で好き勝手に並べられる

昨日のうちに今日聴こうと決めていた音楽を聴いた
それ以外にも耳慣らしがあったので、今日のプログラムは
スメタナ作曲 「モルダウ」  フルトヴェングラー指揮 ウィーンフィル
ベートーヴェン作曲「弦楽四重奏曲7番」 第三楽章 ゲヴァントハウス弦楽四重奏団
ベートーヴェン作曲「ミサ・ソレムニス」アニュス・デイ クレンペラー指揮 ニューフィルハーモニー管弦楽団
ベートーヴェン作曲「ピアノソナタ32番」ピアノ バックハウス

モルダウとフルトヴェングラーの組み合わせは意外な感じもするが
冒頭のフルートの掛け合いから別世界に誘う
普通の演奏よりは遅い
だが遅くすればあのニュアンスが誰にでも生まれるかと言えばそうではない
何かが確かに違うのだ
音の意味合い、、フルート同士の対話、、聴手に語りかける音色
そしてこのあとあの有名な旋律が弦で奏された時、憧れが胸いっぱいに広がるこの感じ
これは彼の演奏でしか感じられない
聴く度に何が違うだろうと思ってしまう

ベートーヴェンの弦楽四重奏曲7番は、ラズモフスキー一番とも呼ばれるが
第三楽章が考えるアダージョでとてもこころが落ち着く
アダージョの作曲家はブルックナーが有名だが、ベートーヴェンも負けていない
沈潜した思考は、ブルックナーの自然の中の音とは少し違う

ミサ・ソレムニスのアニュス・デイは、初めて聴いた時は涙が出て止まらなかった
人生の最後の最後においてベートーヴェンが「憐れみ給え」とか「平和を」と
心から訴える音楽は、移行部のヴァイオリンのフレーズのところでこらえきれなくなった
冒頭のバリトンの深い音楽に、徐々にソプラノ等のソロの歌手が加わって
それぞれが絡み合うさまは「美しい」としか言いようがない(自分にとっては)

最後のピアノ・ソナタはベートーヴェンの全作品の中でも好きなものの一つ
特に第2楽章の変奏曲は信じられない別世界の音楽だ
ハ長調で肩の力を抜いて奏される旋律はとても美しい
美しいと言っても感傷的とか聴きやすいというのではない
それは何度も検討され、無駄なところは削りとられた、純度の高い旋律だ
ただこの旋律を美しいと感じるには、聴く方の経験が(人生体験が)必要だ(と思う)
渋い音楽というのでもない、、ただ時間を経たものにしかわからない音楽のようだ
好きな曲だけにこの音楽のレコードやCDは何人かのピアニストのものを持っている
その中でバリバリと坦々と弾ききってしまうバックハウスが、全体をガチッと把握した上で
演奏されているようで、名人芸と言うよりも、その把握の仕方に参ってしまっている
バックハウスはピアニストのコンクールでバルトークを破って一等賞になった人物で
なるほど、バルトークなみの音楽家だといつも実感する


 

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年の終わりに聴く音楽

2020年12月31日 09時08分27秒 | 音楽

昨晩は、あれこれ言われながらも大掃除も済んで、炬燵に入ってのんびりモードとなりたかったのだが
相変わらず夜のテレビは面白くないものが全局オンパレード
そこで逃げ出して、(大掃除のおかげで)少しだけスッキリした部屋でレコードを聴くことにした

年も迫ってくると聴く音楽に神経質になる
年の始めに聴く音楽を慎重に選ぶのと同様に、大トリも縁起担ぎであれこれ考えてしまう
だが今年は何と言っても生誕250年のベートーヴェン
そこで、怖くて聴けないフルトヴェングラーの指揮する第九をメインに引っ張り出した
(怖くて聴けないのは、初めて聴いた時の感動や印象が薄れてしまわないかと思うため)

いきなり第九に行くのは聴く方のコンディションも整っていないので
コンサートのプログラムのように最初は協奏曲を聴くことにした

ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲だ
フルトヴェングラーとメニーイン、ベルリン・フィルの組み合わせのこのレコード
よくわからないが好きだ
同じ曲の同じ指揮者、他の演奏家の組み合わせのレコードもあるがこの演奏が心地よい
曲自体がとても充実した作品のように聴こえてくる
(同様に感じるのにピアノ協奏曲5番の皇帝、フルトヴェングラーとフィッシャーの組み合わせがある)
第三楽章に2回ほど出てくる、転調して切ないフレーズところは昨晩寝床に入っても
頭の中で何度も繰り返された

いよいよ第九


もう少し録音状態の良いレコードもあったが、昨日は敢えてこの有名なジャケットのこれを選んだ
聴き終えた後は、やはり「すげー!」と声が出た
音楽を聴くという行為は、向こうからやってくる情報を味わうのではなくて
こちらも参加している行為のように思えてしまう
フルトヴェングラーの演奏は読書の時の感じに似ているのかもしれない
本を集中して読んでいる時は明らかにその世界を体験している
書き手の考えていること体験が、読み手自身の体験とまで感じられるような、、

怖くて聴けないこのレコードは、最初の印象が壊れてしまうのが怖いためだが
考えようによっては自分の変化も知ることができる
録音媒体として残っているものを時間が経って聴き直す
変わっているのは聴き手の時間経過だけだから、
聴いた時の感じ方の変化は自身の変化ということになる
(しかし、あの場面の音楽表現はこうだったという記憶は
 どうしても拭い去ることはできず、ついつい比較ということになってしまう)

何か巨大なものを感じるとか、大きな体験をした、、という印象が残る
そしてこれが生で聴けたなら、どれだけ貴重な体験になっただろう、、とも思える
音楽記号としてのフェルマータは音を伸ばす印だが、その伸ばす時間は人によって違う
このバイロイトの演奏はこのフェルマータがいつまでも続くのではないか
合唱の息が続くのだろうか、、と不安になるほどの永遠の時間のよう
そして静寂
ピアニッシモで聴こえるか聴こえないくらいの音量でトルコ風の音楽が始まる
この効果の壮絶なこと
それはフルトヴェングラー個人のアイデアであったとしても
そう演奏するのが必然のように思えてしまう

やっぱり「すげーな!」と今回も感じられたのにはホッとしたが
第九を味わう人間は自分らの世代から現役の若い人たちに移っている
彼らはこのような全体的にドカンと何かが残る演奏よりは、
もっとスッキリした合奏能力とか楽器の分離の良い演奏を好むかもしれない
(それはそれで楽しみかたの一つだが)

ということで、大事なこのレコードはまだまだ同じように感じたり
刺激を受けることができるのが確認できたのでホッとした

さて今日の大晦日
相変わらず見るべきテレビはなさそうなので、本当の大トリに聴く音楽は
これにしようと決めている
やはりベートヴェンのミサ・ソレムニスからのアニュス・デイ
(クレンペラー指揮、ニュー・フィルハーモニー管弦楽団)
そして最後のピアノソナタ32番
(いろいろ持っているが多分バックハウスの演奏)

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第三楽章

2020年12月13日 10時04分57秒 | 音楽

おそらく自分が一番多く繰り返し聴いた交響曲はブルックナーの八番
手元にあるレコードやCDは様々な指揮者のものだったり
同じ指揮者でも録音した時が違うものなど、聴き比べを楽しんでいる

その中でも、第三楽章はとびきりお気に入りの楽章で、聴き比べをする時は
ここを取り出して集中して聴く
この音楽はとても不思議で、聴き漏らすまいと集中して聴いているのだが
もしかしたら集中というよりは音に身を委ねるといったほうが正確かもしれない

聴いてて得るものは(感じるものは)ブルックナーの人生観とか
それらを反映しているものとは全然違って、ただただ音響の表現するもの
ある時は自然であったり、寂寥感であったり、忘我の瞬間だったりで
この楽章だけで20分以上を要するが、何故か長いと感じないし疲れない

ただ聴くだけじゃつまらないと思い、楽譜を購入して音を目で追ったり
ベッドに寝転びながら音を思い浮かべながら眺めると、この音楽は
耳で感じるよりは緻密にできていてモチーフが、予想以上に考えられて変奏されている

この音楽はベートーヴェンの第九を参考にしていると感じることがあった
第4楽章で一楽章、二楽章、三楽章のテーマの回帰する構造が似ているというのではなくて
その設計、第三楽章に与えられた役割が精神的に似ている気がしてならない

ところで参考になるベートーヴェンの第九の第三楽章もとても好きな音楽で
有名な合唱の第四楽章よりも心に響く
この楽章も聴き比べをすることが多いのだが、ここで不思議で仕方ないのが
聴いた印象が全然違うということがいつも感じられることだ
特にフルトヴェングラーの指揮したものと、他の指揮者のものとは印象が全く違う
フルトヴェングラー以外の指揮者の音楽は、音楽表現にはいろんな解釈や方法があるものだ
と感じることが多いが、フルトヴェングラーの演奏は最初から何かが違う
演奏されて耳に達する音は楽器の音ではなく、自分の頭に備わっている楽器のようなものが
精神の活動によって響いているかのよう
だから演奏は指揮という指示のある行為の結果と言うよりは
既に存在している音楽の切り取りのような気がしてならない
(演奏者の自発的な行為のような)
何かが違うとはっきりわかるのは、曲の最後の方にあるファンファーレのところ
この一回目と二回めのファンファーレのあとの余韻とか寂寥感とか瞬間的な充実感は
果たして同じ楽譜による音楽なのか、、と感じざるを得ない
この魔術的な効果は指揮行為の技術のよるものか、解釈によるものかわからない
だた違うということだけはわかる

ということで、ベートーヴェンの第九の第三楽章は圧倒的にフルトヴェングラーの指揮したものが好き
それに影響されたブルックナーの八番の第三楽章の演奏では
現時点ではヴァント指揮ベルリン・フィル、ハイティンク指揮のロイヤルコンセントヘボウ
そしてフルトヴェングラー指揮のベルリン・フィルが気に入ってる
これらのうちどれを聴くかはその時の気分次第
(ジュリーニとウィーンフィル、クナッパーツブッシュのミュンヘンフィル、バレンボイムのシカゴ交響楽団も捨てがたいが)

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ベートーヴェンの三曲は、、、(アンケート結果とは違う!)

2020年12月12日 08時39分41秒 | 音楽

今年はベートーヴェンの生誕250年ということで、本来ならばいろんな音楽会が開催されるはずだった
ラ・フォル・ジュルネを当てにしていたが、あいつのせいで全ておじゃんになった
テレビでは遅ればせながらベートーヴェンの特集を行った(NHKのEテレ)
番組はみんなが選ぶベートーヴェンの名曲ということで事前にアンケートを行い
その結果の発表だった

ところが、その結果は(偏屈な)自分にはちょいと一言言いたくなるものだった
一位は第九、2位は7番の交響曲、3位は悲愴ソナタ 5位が運命 6位が田園
著名な曲だが自分の選択とは違う(いい曲には間違いないが、、、、)
アンケートは一人三曲を選んでNHKに連絡するようになっていたようだ

名曲とは何か?を深く考えたアンケート結果というよりは
知ってる曲を並べたのではないかと思ってしまう

自分の選んだベートーヴェンの名曲は、なんと言っても32番のピアノソナタ
一人の人間が達することのできた奇跡的な境地を表現していて、
ひとはここまでなれるのだといつも感動を覚える
特に変奏曲の第2楽章の瞑想的な旋律は、年齢を重ねないと良さが理解できないと思えて仕方ない
この旋律を美しいと感じるには経験が必要で、感覚的、情緒的な美しさとは別ものだ

交響曲では三番の英雄
理屈っぽいベートーヴェンだがこの曲は過度に興奮させる音楽ではなくて
もっとおおらかに構えて、若さゆえの次々と出てくる旋律も感じられて完成度が高い

あとは、どっちにしようか迷いそうだが、弦楽四重奏曲の14番嬰ハ短調か15番のイ短調
14番の一楽章の静謐な感じと変奏曲の楽章はとても印象に残る
15番は有名な第三楽章よりは最初と最後の楽章が良い

これ以外にも弦楽四重奏曲の7番とか12番とか、部分的には荘厳ミサ曲のアニュス・デイとかも捨てがたい

みんなが知っているという曲が、作りての真価を表しているかどうかは、どうも別問題のように思える
みんなが知って親しむには親しみやすさが必要になる
世の中には知られていない名曲とか名作(小説などの)があるもので
それらは必ずしも親しみやすいとは限らず、それ故にそれらと接するには
自分で探すしかないという手間を必要とする(味わったり経験するのにも手間がかかる)

今回のNHKの結果は知名度の差のような気がしてならないが
人に披露する雑学としての音楽や小説の知識(名前を知っているかいないかなどの)よりは
それらと接した時に得られた何かを大切にするなら
いろんなベストテンの順位は変わってくるように思えてしまう




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ジョン・レノンの音楽

2020年12月10日 08時44分57秒 | 音楽

ジョン・レノンが殺害されたことをラジオで聞いた時
初めて経験する感覚だったが、足元から力が抜けていく感じを覚えた
予想以上にショックだったかもしれない

自分にとってのジョン・レノンは、ポール・マッカートニーとの比較
として気になる存在だった
親しみやすいメロディーメーカーのポールの作品だけで良いのか?
それをいつも問いかけられているような気がした

真面目なジョン、お気楽なポール
でも好きなものはしょうがない
あの当時けちょんけちょんに酷評されたポールのアルバム「RAM」は
自分にとっては最高のアルバムで、ポールのエッセンスがふんだんに溢れていて
「これは絶対に良い」と確信していた(その後世間の評価は肯定的になった)

真面目なジョンの気になるアルバムは「イマジン」ではなく「ジョンの魂」だった
冒頭に「マザー」があって最後に「母の死」が納められた統一感のあるアルバムで
シンプルな編成の音楽故に言葉の訴える力が強く、自分にとってはこれは一番のアルバムだ

でも何度も聴けない
印象が強すぎるからだ
一方ポールの音楽は深みはない(?)かもしれないが刹那的な、そして身体的な歌う快感に
満ちた音楽で、誰もが真似しようとしても真似できない音楽のようで、ついついその音楽に
身を委ねてしまう

最近、「イマジン」が多くの人の集まるところで歌われたようだ(アメリカで)
今こそ「イマジン」の世界観が必要とされることを直感的に感じ取った人が
歌い出したところ、周りにいた人々が合わせて歌ったらしい

ところで日本ではこのような時、みんなで歌う曲があるのだろうか?
(ある時、イタリアのフィレンツェの美術館の開館を長い列で待っていた
 多くの人は、誰かがビートルズの歌を歌いだしたところみんなが声を合わせたとか)

日本の誰もが知っている曲を自然発性的にみんなで歌い出す
そんな場面に出会えたら高揚感とか一体感を感じられ、幸福感も合わせて感じられるかもしれない

ところで、「イマジン」だが、この歌はデリケートなつぶやきのような歌で
みんなで歌うには歌いにくい音楽のような気がする
みんなで歌うには「パワー・ツー・ザ・ピープル」とか「ギブ・ピース・ア・チャンス」
のようなシンプルな繰り返しの多い、大声を出しやすい曲のほうが良さそう

ところで、自分の好きなジョン・レノンの楽曲は
「ジェラス・ガイ」「ハッピークリスマス」「ゴッド」

それにしても、一時期ジョン・レノンとポール・マッカートニーという才人が
同じ地区にいて一緒に仕事をして切磋琢磨し合ったというのは、歴史の(時間の)
気まぐれのようで、とても不思議な気もする

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筒美京平さんの好きな曲

2020年10月13日 11時17分06秒 | 音楽

名前はよく目にしたが、顔は全然知らなかった気になる作曲家
筒美京平さんが亡くなった
朝からテレビではこの話題を取り上げている
そこで出てくるのが「ブルー・ライト・ヨコハマ」「また会う日まで」「魅せられて」などのヒット曲

でも自分は、これらの曲じゃなくて
南沙織の「色づく街」、太田裕美の「雨だれ」(木綿のハンカチーフではなくて)
麻丘めぐみの「悲しみのシーズン」(麻丘めぐみは好きじゃなかったけど)
郷ひろみの「よろしく哀愁」、野口五郎「甘い生活」、小泉今日子の「夜明けのMEW」
が好きだった
全部、短調に傾く切ない感じの曲

こうして思い出すとあの当時の歌謡曲は良いのがあったなと思う
現在はジャンルも聴く人も細かく分かれて、誰もが知っているという曲はない
妙にポジティブ傾向で、、ちょいと、違うぞ、、、と言いたくなってくる

いかんいかん、「今の若いもんは、、、」に通じるお説教は嫌われるだけか

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