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パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

心象風景

2016年11月24日 09時48分18秒 | 音楽

先日のMETライブビューイング「トリスタンとイゾルデ」を観て以来
バーンスタイン・カラヤンのレコードを引っ張り出して復習している
(一番大事なフルトヴェングラーのはもったいなくて、また聴き直して
感動が薄まるのが怖くて聴けないでいる)

映画を見た直後にも文句をタラタラと書いたが
やっぱり具体的すぎる舞台や演出は今の自分は好きじゃない
そこでYoutubeをゴソゴソ探してたらこんなのが見つかった

三幕の動画だ
舞台は当たり前のように暗い シンボリックな木があるだけ
しかしその風景は音楽が人の心の中に作り出す心象風景のようだ
音楽(テキストではなく)のその表現するものはMETのものよりは
圧倒的にこちらのほうが無理がない
(ただ自分がこちらの方が好きだけなのかもしれないが)

1976年のシェローの指環以来、読み替えの演出が世間を席巻しているようだが
テキストの読み替えではなく、音楽の表現する何かを想像力をもって
視覚化する演出がもっとメインにならないかな
と思ったりする

1976年 バイロイトで指環のチケットを手にしたが
シェローではなくヴィーラントの演出のを見たかったので 
トリスタンとパルジファルと交換してしまったが
あの伝説的な演出を見逃したことを残念に思うかと言えば
そんなことはない

音楽が描き出す心象風景のような音楽
トリスタンの3幕では孤独とか断絶とかトリスタンの脳内で起きている事件
みたいな風景 そうしたものを才能のある音楽好きな演出家が
やってくれないかな

この動画の最後の部分「愛の死」もMETのそれより好きだな
 


 

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ヘイ・ジュード

2016年11月20日 19時00分12秒 | 音楽

プロの音楽家(ベースシスト)になった友達が故郷に帰ってきて
ライブ演奏会&生オケで歌うイベントを行った

昼のイベントで明るいうちはなかなか盛り上げるのが難しい
どんなコンサートもそうだが後半が盛り上がる
そして今日のそれも例外ではなかった

最初はバンドの紹介みたいなもので割りと派手っぽい曲
エンジンがかかってきて真ん中の時間帯は生オケで歌おうという試み
生オケはカラオケと比較すると全体的に熱っぽい感じ
歌う人がバンドの音を聞ける余裕があると
もう少し良かったかもしれないが 
歌ってる人が気持ちよさそうだったから、これはこれで良いのかもしれない

生オケが終わって最後にスタンダード・ナンバーをやった
サックス・キーボード・ベース(友達)・ドラムスのセットで
4人だけとは思えない迫力
グレン・ミラーの曲から、月の砂漠、童謡と繋いで
「コーヒールンバ」の辺りから気分は絶好調、曲を知ってるだけに「枯れ葉」も大いに盛り上がる
それから美しい音楽を演奏した
今までの曲とは一味違う純度の曲だ
知っている曲だ
でも一瞬、何だったかなと思ってしまった
少ししてそれが「ヘイ・ジュード」と気づいた 
何故か、本当に美しい音楽だと感じた
知っているからか、大好きなポールの曲だからか 、、
でもこの曲はずっと未来にも残る曲だと実感した

最初のキャッチーなメロディー
中間のブルーノートの部分
そしてライブでやると絶対楽しくなるあのコーラスの繰り返しの部分
今日も声を上げた、そして楽しかった
2013年 ポールの東京ドームの「ヘイ・ジュード」を思い出した 
やはりビートルズはちょっと違うと感じる

でもプロはすごいな
近くで聴くとその実力がまざまざと感じることができる
今日は良い一日だった 

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ブルックナーの初稿版の演奏

2016年11月13日 18時55分22秒 | 音楽

昨日「不機嫌な姫とブルックナー団」という小説を読んでいて
ブルックナー自身の指揮で3番の交響曲の初演の事が書かれていたが
それが面白かったものだから昔購入した初版のレコードを引っ張り出して聴いてみた
 

ヴァーグナーが興味をひいたトランペットの主題が活躍する第一楽章は
自分はそんなに面白くなかった
2楽章も似たようなもので大して感想するまでは至らず
ところが後半の3.4楽章が俄然面白くなった
ブルックナーの馬力が開放されて、何かよく分からなくても中身が詰まっている

そこで勢いにのって4番「ロマンティック」も聴いてみた
日曜の昼間、少しくらい音量が大きくても許されるときだ
これは何回か聴いたことがあるはず
ところが普段演奏されるものとどのように違っているかは記憶に残っていない
そのせいで却って新鮮な気持ちで聴いていられた

曲は全然違う
手直しどころではない
別の曲と言ってもいいくらい
確かに普段聴く版のほうが起承転結がはっきりしていて見通しもスッキリしている
初稿版は行きつ戻りつ、突然の大音量と休止
一体何を考えているのかわからない
いや考えている過程がモロにそこに現れているような気がする
思いついたアイデアをそのまま音にしている感じ
前後関係が全然ないかと言えばそんなことはなくて
それなりに統一感を持つように考えられているような気がしないでもない

それにしても馬力のある若々しい音楽だ
本来のブルックナーはこうした音楽が書きたかったのだろう
でもそれではみんなに受け入れられない と考えた弟子たちの気持ちも分からないではない
金管の咆哮はチャイコフスキーのような鳴らしっぱなしとは違う
(何か大きな音を出して気分良くなる気持ちがブルックナーの場合はある) 

この音楽を聴いていてフイに9番の終楽章を
補筆して録音に取り上げたラトルの演奏を思い出した
あの音楽も捉えどろろのない、何処に向かっているのかさっぱりわからない
ような音楽だ
ところが今日初稿版のロマンティックを聴いて、
これとそんなに離れている世界ではないと気づいた(感じた)

知識人ではない、音楽の才能だけ突出した垢抜けない田舎のおっさん
このおっさんの音楽をわかるには、もしかしたら自分たちのほうが遅れているのかも知れない
時間をおいて彼の一番最初にイメージした音をたどるのは
意味ないことではないかもしれない

初稿版でも演奏会 近くで行われないかな
4番、8番はあったら絶対に行く
9番の終楽章のある演奏会も、かならず行く
昨日の小説によれば、自分も立派なブルックナー団の一員だ

ところで、名古屋で25日には学生オーケストラでブルックナーの5番の演奏会がある
上手い下手は関係なく行くつもり

 

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オーケストラの音、指揮者の音

2016年11月07日 08時08分15秒 | 音楽

昨日は法事で岡崎へ出かけた
普段は新城ののんびりした環境にいるので
岡崎市内の自然渋滞には少しばかりイライラを感じた
やっぱり田舎もんは田舎のほうが落ち着くなと再確認

さて本題(?)

秋になると聴きたくなるのがブラームス
その中で、クラリネット五重奏曲と4番の交響曲は本当にこの季節にふさわしい
SNSでこんな動画を紹介された

フランス人のミュンシュの指揮するボストン楽団の4番の交響曲だ
そう言えば今年の秋はまだ4番は聴いていない
ということで新鮮な気持ちで聴いてられたが、これがなかなか興味深い
音色がなんというのか明るい
明るいと言ってもイタリアの直射日光の日差しのような明るさというよりは
もう少し穏やかな晴れた日曜の朝のような感じ
木管のせいなのか弦のせいなのか素人にはわからない
でも、そう感じることには間違いない
テンポも時折加速したり(加速を感じさせたり)でどことなく
フルトヴェングラーを思い起こさせた 
そのまま連想は続いて、フルトヴェングラーのテンポの伸び縮みは
気まぐれというより必然性があるなとミュンシュの演奏とは関係ないことまで及ぶ

それにしてもこの音色 何が違うのかと思っていたら昔のことを思い出した
バレンボイムがパリ管を連れて名古屋に来たときのことだ
今でもはっきり覚えているのは2つのこと
ひとつはアンコールの精霊の踊りが抜群に良かった
まるでお酒に酔った後の、あるいは魔法にかかったかのように
忘我の境地で、演奏が終わった後拍手が鳴り出すまでしばらく静寂が続いた

そしてもう一つのことは、オーケストラ演奏の始まる前の儀式の音合わせ、
(チューニングのとき)普段は気にしないこの儀式の音色が妙にいつもと違う 
気がした どんなふうに違って、何故違うように感じたのかは深くは考えなかったが
とにかく今でもあんな僅かなことでも音って違うものだということが
記憶に深く刻まれている

ところで、この音色の違いとは指揮者の影響なのか
それともオーケストラの音の違いなのか 
パリ管のチューニングのことを思うとオーケストラの固有の音色なのかもしれない

いつものように話は飛んで大好きなブルックナーの8番
カラヤンの演奏は晩年にウィーンフィルのが有名だが、
自分はもっと若い時代のベルリン・フィルの演奏の方の音色に魅力を感じる
ライナーノーツのよればベルリン・フィルのメンバーはフルトヴェングラーの
下で演奏を続けていた人たちがまだ多く残っていたという
そのせいで(?)カラヤンの音ではなく、もう少し柔らかな中欧風の音色のような
と言っても全く感覚的な印象に過ぎないが 

でもそうやって考えると、指揮者の影響力も音色に大きく作用する
これはプロの人にはあたり前のことかもしれないが
久しぶりに聴いたブラ4で思いついたあれこれだ

このブラームスの4番、4楽章の終わり方が唐突な感じを受けることが多いが 
必然性をもって確かに終わったと感じさせられて、納得したのはフルトヴェングラーの演奏
それが何故なのかは、これまたよくわからない 

結局、フルトヴェングラーが大好きと言いたいだけなのか(?)

フルトヴェングラーの一気呵成で壮絶なブラームスの4番のフィナーレ練習風景が
動画にアップされている
指揮者も奏者も必死の形相 これがリハサールとは思えない
でも当事者は幸せだったんだろうなと勝手に思ったりする
その動画はこちら


 

 

 

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中古レコードを手に入れた

2016年10月29日 15時26分00秒 | 音楽

古いカメラを何台も持っているアンティーク好きの人から
中古レコードを頂いた

実はその人も別の人から譲ってもらったのだが
自分がレコードを聞くと知って、声をかけてくれた

話があったのは昨日のこと
早速頂きに出かけた
ダンボールに入ったレコードは、クラプトン、グランドファンク、ユーライア・ヒープ、
クリーム、ウイッシュボーン・アッシュなどロックのカテゴリー
そのほとんどが聴いたことのないものばかり
それで比較的大きな音量でも許される(?)昼中に聴いた

まずはウイッシュボーンアッシュ、ついでグランドファンク(フェニックス)
クラプトン(just one night)ユーライア・ヒープ(the magicians birthday)を
片面づつ

なかなかご機嫌だ レコードで聴くよりライブで聴く方が絶対楽しい
と思わせるものばかり
それに、今は客観的になっているが生命力に溢れた若い時に聴いたら
これらの音楽にもっとハマってしまっただろう
この疾走感、エネルギー、理由もなく魅入られたに違いない

で、今日聞いた中ではライブのクラプトンが良かった
クラプトンはダミ声で歌うパートよりギターの雄弁な演奏を聴くところのほうが
ずっと楽しい
それはまるでオペラのアリアを聴いてる感じと似ている
歌詞はなくても明らかに何かを言っている  そんな感じだ

ということで、まだまだこれからお楽しみの時間は続く
ながら聴取はもったいないので、しっかり聴くぞ! 

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予習と復習

2016年10月11日 08時29分23秒 | 音楽

昨日、ワルキューレの最後のところをレコードで聴いて
新国立の思い出の浸ろうとした
引っ張り出したのは中古レコードで購入したフルヴェングラー指揮の
RAIローマ交響楽団のもの

予習したときは録音が悪いなくらいな印象しかなかったが
昨日聴いたときは、音楽の勢いとか表情が格段に違って聴き取れた
(フルトヴェングラー独特の興がのってきた感じがふんだんにあって)
あの新国立の舞台をつい思い出していたからだ

そこで、フト思ったことは
もしかしたら音楽は妙な予習はしないほうが良いかもしれない
ということ
先日の公演でも普段聴かない2幕がとても興味深かったが
聴き慣れている1.3幕は、一歩間違うと聴き流してしまうくらいの聴き方だった

やっぱり生(ライブ)の経験は違う
何ごとが起きるか息を詰めて聴く、そのときだけの一瞬のことだが
想像以上に記憶に深く刻まれている
その時の真剣勝負を楽しむためには、目の前にある(耳の前にある)音楽に
予備知識や偏見やその先がわかっているような聴き方よりは
ひたすら集中するほうが良いかもしれない

ということで、早くも来年の「ジークフリート」については
予習は音楽を聴かないで、ストーリーの展開だけ頭に入れるようにしよう!

予備知識は必要だが、それが却って邪魔になることもある
少なくとも自分のレベルの聴き方では、
予習よりも復習を中心にしたほうが良さそうだ 

そう言えば、自分はどうも復習中心主義かも知れない
京都の葵祭も見終わってから葵祭の言われ等を読んだりして、、、
どうも体験した後のほうが(いろんなことが)すんなり頭に入っていくようだ 

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予習(ワルキューレ)

2016年09月22日 19時56分46秒 | 音楽

10月に東京の新国立劇場で行われる「ワルキューレ」
昨年の「ラインの黄金」に続いて、行くことにしているが
その予習となるべき動画がアップされた
(メールでお知らせがあった)

これがなかなか面白い
オーケストラではなくピアノでライトモチーフを演奏しているが
これがとても魅力的だ
オーケストラよりも雄弁とさえ思う (オーケストラを想像力で補うから?)

1976年のバイロイト、午前中市内のあるところで
「トリスタンとイゾルデ」を解説する講演会があったが
この時もピアノでライトモチーフを演奏したが、
そのときもオーケストラよりも
わかりやすいというか魅力的な音のような気がしたのを今思い出した 

ピアノでヴァーグナーを弾いたものは晩年のホロヴィッツの
トリスタンとイゾルデの「愛の死」がやたらロマン的な雰囲気に満ちて
忘れがたい
ゲレン・グールドの「マイスタージンガー」も面白い

ところでワルキューレ1幕と3幕は時々聴くが2幕は放ったらかし
本番前に一度聴いとかねば!

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アニュス・デイ(ベートーヴェンの)

2016年07月31日 05時57分24秒 | 音楽

自分はクリスチャンではない
だが宗教音楽は嫌いではない
最近の精神状態を反映してか、急にある宗教音楽が頭の中を占めた

ベートーヴェンのミサ・ソレムニス(荘厳ミサ曲)の中のアニュス・デイ
深い音楽だ
歌詞自体はベートーヴェンのものではないが、 晩年のベートーヴェンが達した境地みたいなものを
表現しているようだ

なんでもそうだが、初めての出会いは大きな影響を与える
この曲との出会いは、上の演奏、クレンペラーによるもの
まだやわらかな感性に満ちていた時で(?)
いきなり沈潜した祈りの音楽に魅入られてしまった
そして、知らず知らず頬を温かいものが伝わった

アニュス・デイ(Agnus Dei)

Agnus Dei qui tollis peccata mundei,
miserere nibis

Agnus Dei qui tollis peccata mundei,
miserere nibis

Agnus Dei qui tollis peccata mundei,
dona nibis pacem

 

世の罪を除きたもう神の子羊よ
われらをあわれみたまえ

世の罪を除きたもう神の子羊よ
われらをあわれみたまえ

世の罪を除きたもう神の子羊よ
われらに平安をあたえ給え

このミサ・ソレムニスは第九と同時期の作品で
規模も大きい
しかし、めったに演奏される曲ではないし
プロはまだしも一般的な評価はそれほど高くない
だが、このアニュス・デイの部分は本当に多くの人に
聴いてもらいたいと思ったりする
その深さ、切実さ、彼(ベートーヴェン)の達した境地を知るために

アニュス・デイは他の作曲家でも良い曲が多い
バッハもフォーレも、
そして弦楽のためのアダージョを編曲したバーバーのも悪くない
だが、真に深い祈りを感じさせるのはベートーヴェンのこの曲が自分にとっては一番だ

そして演奏は、最初に聴いたクレンペラーの演奏が群を抜いている
便利なYoutubeでいろんな演奏が聴けるが、どうもしっくり来ない
音楽的には美しいかも知れないが、沈潜した深さは、、、

 

世の罪を除きたもう神の子羊よ
われらに平安をあたえ給え

本当にそう思う

 

 

 

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同じ演奏ばかり聴いている

2016年06月10日 19時32分38秒 | 音楽

レコード・CDが少なからずある
ジャンルは雑食系で本当にいろんな分野に渡っているが
(演歌や現代音楽のアルバムも所有している)
これだけあってもその日の気分で
順番にいろんな曲を聴くということはない

最近、聴く曲は大体決まりつつある
まるでランチメニューをついついいつも同じものを選ぶように

クラシック関係では
バッハはたくさん持っているが聴くのは少しだけになりつつある
いいのはわかっているけど、真面目過ぎてちょっとついていけず
針を落とす気に離れないでいる
バッハが一時期忘れ去られた存在となったのは少し分かる気がする
(好きなのはシャコンヌとパッサカリアと音楽の捧げもの
  受難曲はいいけど気合が乗らないと聴けない) 

ベートーヴェンは割合聴く
でも中期の一体感のある作品よりは後期のピアノソナタとか弦楽四重奏曲
音で考えるということがどういうことかを感じさせるようだ
交響曲はエロイカが好きだ
第9は特に喜びの歌の部分ではなく後期の雰囲気が漂う3楽章がいい
そういえば部分的には荘厳ミサ曲のアニュス・デイ(クレンペラー)は聴く度に泣ける

シューベルト・チャイコフスキー・ショパンはめっきり聴かなくなった
マーラーもだ

マーラーと一緒にブームとなったブルックナーはよく聴く
抵当に楽章を抜き出して響きの中に浸る

それと忘れてはいけないモーツァルト
気分次第でいろんなジャンルを聴く
聴くというより聞き流すこともあるが
これは欠かせない
モーツァルトの音楽はまるで子どもたちのおしゃべりを聞いているような
幸福な気になったりする
昔、離れ島に何か一つアルバムを持って行くとしたら、、、という問いがあったが
自分は「魔笛」
モーツァルトは別格

あとはベルリオーズもシューマンもブラームスもショスタコーヴィッチも
フォーレも、その他いろいろも聞くけど
結局はやっぱり、ベートーヴェン・モーツァルト・ブルックナーばかりかな
(そういえば案外ヴァーグナーも最近は多くなってるかもしれない) 

洋楽関係は、、、やっぱりビートルズ
ビートルズというよりポール・マッカトニー
ソロとかウイングス時代も  特に最近は低評価だった頃のアルバムが面白く感じる

ストーンズもいいけどバッハを聴いた時みたいな感じ
ずっとあの調子で聴くのはちと辛い

ジャズはマイルス・デイビスが興味深くアルバムも多いが
彼と合わなかったと言われる?モンクもなにか心惹かれる
コルトレーンはどうも波長が合わない

結局、自分の思春期に聴いた曲が好きなだけなのかもしれない
 
本当に同じ曲・演奏ばかり聴いている
沢山あるのにもったいないという気がしないでもないが
どうしても同じものを選んでしまう

ホント、食事のメニュー選びで偏るのとそっくりだ
だんだん保守的になっているということ? 

朝に続いて、毒にも薬にもならないお話、、、


 

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エコーズ(ピンク・フロイド)

2016年04月20日 20時14分36秒 | 音楽

先日、ひょんなことから人にピンクフロイドの
「エコーズ」を聴くように勧める機会があった
この「エコーズ」は、プロレスのブッチャーのテーマ
「吹けよ風、呼べよ嵐」が収められた「おせっかい」というアルバムの
B面いっぱいを使って 収められた20分を超える大曲(組曲)だ

人に勧めたこともあって久し振りに引っ張りだして聴いてみた
キーン・・・キーンと静寂の中から始まる音は
どこか宇宙からの音のように感じる
そして、それは初めてこの曲を聴いた時の思い出に繋がる

ある年のお盆の一日だった
お盆になると友達が家に遊びに来ることが何年か続いていたが
その年は今はプロの音楽家(ベーシスト)になっている友だちが
彼の同級生を連れてきた、一枚のレコードを持参して 

それが「おせっかい」というアルバムだが、友達はB面を
かけるように言った

キーン・キーン 
印象的なこの音から始まるやいなや
その世界・音楽に心奪われてしまった
まるで宇宙からの音のよう、しばらくしてゆっくりと聞こえてくる音は雅楽のよう
それから、途中で聞こえるフレーズが何故かモーツァルトのクラリネット協奏曲の
第一楽章の一部を連想した
ヴォーカルの部分もある、しかし歌詞を理解しようとは思わなかった
けだるい感じの歌は、歌詞がわからなくても理解できるような気がした
曲は盛り上がって、いろんな変化をした後、ゆっくりした雅楽のような
フレーズに回帰する しかし明らかにそれは終わりに近いということを感じさせる

圧倒された 
曲が終わるやいなや、もう一度最初から聴こうとした
この曲がなんという曲で、なんというバンドが演奏しているか
聞くことも忘れていた

「エコーズ」を聞くときはこの記憶がいつも蘇る
暑い夏、あの部屋のあの場所に座って3人で集中して聞いていた時のことを

「おせっかい」というアルバムをすぐさま求めたのは言うまでもない
「おせっかい」のあとは「原子心母」を求めた
これも衝撃的なアルバムだった
原子心母はやはり20分を超える曲で、オーケストラやコーラスも参加している
自分はその分野を知っていなかったが
プログレッシブ・ロックというのだそうだった

今、現在聞き直すと(特に原子心母)少し大げさというか
時代がかっている気がしないでもない 
でもあの時代の空気・雰囲気はそうだった
なにか難解なこと、巨大なことに取り組むような
若い人は理解しようがしまいが朝日ジャーナルをもって
知識がステータスのような、、、

しかし、これらの曲が自分にとっては記憶に残るものだったが
同年代でも案外知ってる人は少ない
知らないことはもったいないと、おせっかいな自分はついそう思って 
つい人に勧めたというわけだ
(アルバムタイトルにはそんな意味があったのか?) 

ところで、このエコーズから連想するイメージはどうも宇宙的なものらしく
Youtubeにアップされているものをみてもそうなっている
youtubeには他にポンペイで行われたライブのもアップされているが
幻想的なヴァージョンのほうが面白いかも

おせっかいは以下に「エコーズ」の動画を紹介します
 

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