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パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

バーンスタインのブルックナー9番

2016年03月05日 21時37分13秒 | 音楽

バーンスタインといえばマーラー
そのブームの火付け役として名高いが
同時期にブームになったブルックナーの交響曲のCDは
9番しか残していない

昨晩、シューリヒトの指揮する9番の3楽章を久しぶりに聴くと
こんなに速いスピードだったのかと驚きを感じるとともに
こんなに速くなくてもいいのではないかと思い
今度は遅い方の大家チェリビダッケを引っ張りだして聴いてみたら
同じ曲でも6分ほど演奏時間が違う 
やっぱりゆったりと音楽に身を任せる感じのチェリビダッケのほうが
好きかもしれないなどと思ったら、今度はバーンスタインの演奏は
どうだったのかなと気になって今朝聴いてみた(3楽章だけ)

バーンスタインが9番だけ録音を残したのはこの曲に何かしらの思い入れが
あったのかもしれないが、今朝の自分のコンディションでは
残念ながら楽しむまではいかなかった

響きに意味を持たせる行為はしているが 
共感、響きに身を任せるということが無いような気がして
ブルックナー好きとしては、またこれは
しばらくは聴かない演奏かな

土曜日、お気楽な投稿でした

 

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男が好むブルックナー

2016年02月23日 18時09分03秒 | 音楽

中日新聞の夕刊にこんな記事が載っていた

大好きなブルックナーのこと
このブルックナーを好きなのは男が多いということについて松木武彦氏が書いている

これは巷でもよく言われることだし、現実に演奏会場でもその傾向は際立つらしい
でも何故か確信を持って、ここが問題なのだが、絶対に間違いなくブルックナーの音楽は
男にしかわからないと思ってしまう

と言っても、先日は女性指揮者のシモーネ・ヤングの初稿による8番の演奏が
気に入った、とここのブログでもアップしているのだから
少しばかり矛盾しているかも知れないが

それでちょっと考えてみると、ブルックナーの曲でも全部が全部男向きではなくて
先回も挙げたがピアノ曲の「思い出」とか「秋の夕べの静かな想い」などは
ロマンティックというか感傷的で女の人にも受けるかもしれないという気がする
現実にこの曲のCDを残しているのは 女性ピアニストの白神典子さん

でもこれらの曲の時代のブルックナーはブルックナーになっていない
本当の個性、彼らしさが出ていない
器用な、センスの有る、音楽的な才能のある若者(?)の曲になっている 
(ブルックナーにも若い時代があったのだ)

ゴッホがいろんな変遷の後ゴッホになったように
ブルックナーはブルックナーになったのはもっと後のこと
後期になるとどこか他人に理解してもらおうというような
気がなくなっているような気がする
それがために弟子たちがいろんなおせっかいをして師匠の音楽の
理解を促すために後から見れば結果的に 余計なことをしたみたいだが

しかし、正確な説明はどうもできない
ただ間違いなく男しかわからないだろうな!
と言う思いは消すことが出来ない 

大好きな8番の第3楽章 陶酔して恍惚となる瞬間のあるこの曲
はたして女の人がこれを美しいと思うかと考えると
(別にそんな想像はしなくても良いのだけれど)
なにか違うような気がしてならない

9番の神秘的な響きの深遠な世界も
女の人は 敢えて聴こうという気が起きないのではないか

突き詰めると、男にとってはとても大事なことだが
女にとってはどうでもいいどころか、関心のないものになっているのではないか

そういえば、これも思い込みなのだがベートーヴェンの32番のピアノソナタも
男向きの音楽のような気がする
後期のピアノソナタは全体的にその傾向があって、30番や31番は少しは
女の人も受け入れるかもしれないかもしれないが
32番の2楽章の世界はやっぱり男の世界のような印象を持ってしまう

でもこれも自ら否定するようにユーラ・ギュラーの演奏する32番が
ものすごいって言っているのだから、我ながら筋が通っていない

ブルックナーの音楽が男向きなのと同じように
ドストエフスキーの小説も男向きのような気がする
カラマーゾフの兄弟の大審問官なんて、
女のひとにはどうでも良いようなエピソードなのかもしれない

ところでクラシックの3Bというのは
バッハ・ベートーヴェンそれにもう一いて
その一人にブラームスを挙げる人と、ブルックナーを挙げる人がいるが
自分は圧倒的にブルックナー

田舎のおっちゃんみたいな容貌で、いつまでも自信無げで
でも結局は自分の世界を作り上げた音楽バカ
好きだな

ところで、東京の人はいいな!
バレンボイムのブルックナーチクルスで珍しい曲を聴けたのだから
自分も2番、5番、生で聴いてみたいな
いつか名古屋でやってくれないかな


 

 

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その日の気分次第(ビートルズで好きな曲)

2016年02月08日 19時21分09秒 | 音楽

ビートルズで好きな曲は?

答えられない
それが正直な気持ち
気分次第で変わる

モーツァルトで好きな曲は?
と聞かれるのとよく似た感じ 

モーツァルトは音楽の存在自体が好き
しいて言えば魔笛が好き

これはビートルズでは「アビー・ロード」が好き
と似ているかも

傾向としてはポールのつくる曲が好き
All My LovingI SAW HER STANDING THERE 、She Loves You

And I Love He、You Won't See Me、Eleanor Rigby

The Fool On The Hill、When I'm Sixty-Four、

Hey Jude、Let It Be、Oh! Darling

それからアビー・ロードの最後の
ゴールデン・スランバー~キャリー・ザット・ウェイトジ・エンドの一連のメドレー

その他にも鼻歌のようなI willとかマーサ・マイ・ディアとか
バリバリのHelter Skelterとか  

まだまだわんさか出てくる
やっぱり困る  選べない

ところで、ジョンの曲ではヘルプ、ビコーズ、ア・デイ・イン・ザ・ライフ、
ドント・レット・ミー・ダウン が好きかな

おっとジョージ・ハリスンは、While My Guitar Gently Weeps

今の若い人はアルバムで聞くのじゃなくて名曲集(赤盤・青盤)で
聞くことが多そうだけど、アルバムを順番に聞くと
より楽しめそう

 

 

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イタリア人の奏でる音楽(ポリーニとトスカニーニ)

2016年01月10日 21時03分07秒 | 音楽

お正月にほの国百貨店で購入したポリーニの
ベートーヴェンの29番のピアノ・ソナタを今日やっと聴いた

想像通りの演奏
既に32番を聴いているので印象としては大きくそれと変わらない
強靭な音、そして音楽を外からしっかりと眺めた演奏
イタリアの太陽に照らされた建築物を想像させる
神秘的な瞬間はあの長大な第3楽章にない
これを聴いていると、急に確かトスカニーニのワーグナーがあったはず
と頭に浮かんで、ポリーニが終わるやいなやそちらに移った

トスカニーニ ワーグナー・ライブ 
これはローエングリンの第一幕への前奏曲
ジークフリートから森のささやき
神々の黄昏から夜明けとラインの旅
そしてトリスタンとイゾルデから前奏曲と愛の死

先ほど聴いたのは始めの2曲だけだが面白かった
感動はしなかったが、こういう演奏もあるのかと再確認
ローエングリンは第一幕の前奏曲などは普通神聖な感じを醸し出すように
演奏されるが、そんな気遣いは全く無し
楽譜に書かれたそのままを音にしている
しかし、それでも生まれはイタリア
ヴァイオリンが すっと入ってくるフレーズはまるでアリアを髣髴とさせる

森のささやきはこの傾向がもっと強くなる
最初のざわざわした森深い感じは、楽器が楽譜の音形を奏でているだけ
当たり前だが 、それがドイツ系の指揮者のように音が
柔らかくブレンドされて(ぼんやり)演奏されるのではなく
楽器が一つ一つ際立って
森と言ってもまるで太陽の下にいるような 感じ
情景を客観的に描写してリアリズムの絵画のよう
多分これをフルトヴェングラーがやったらその印象は
今自分が深い森のなかに迷い込んでいる
といった印象を持つ演奏だろうな
などと勝手に想像したりした

自分はフルトヴェングラーが好きだしドイツが好きだが
生まれたところが、光が強い地域とそれほどでもない地域との差が
そのままでているような気がする

とまあ、それなりに楽しめたのは
最近のストレスの多い生活の中では救いになった

ところで、ついに「ぴあ」でポチッとやってしまった
バレンボイムのブルックナー
聴きたかった2番ではなく、1番
名古屋ではこれしかないので仕方ない
でもチケット代 高いな またしばらく節約しなければ、、 

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今年の聴き始めはK364

2016年01月01日 10時36分43秒 | 音楽

2016年1月1日
近くの神社に初詣もすんで、さて今年しょっぱなに聴く音楽は
何にしようか、、、

一年の計は元旦にあり!
この言葉に影響されて、毎年最初に聞く音楽は慎重に選ぶ
多分今まで一番多いのはバッハ
真面目なかっちりした乱れのないところがいいのだけれど
今年はなんとなく真面目過ぎてちょっとしんどい気がしたし
先日から再読している池辺晋一郎氏の

この本に影響されて
モーツァルトのヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲変ホ長調 K364 
オイストラフ親子のレコードを引っ張り出してきた
 

大正解!
結構楽しめた 
モーツァルトは聞き流すとなんてことはない、ただ抵抗感のない音楽が
流れていくみたいだが、少し注意して聴くと本当に面白い
メロディを(特に初めて聞く曲などは)追っかけて、次を予想すると大概外れる 
安易な繰り返しはない(古典派などと言われるけど何故か自分には変化が多すぎる気がする)
いつもどこかに、どこに行くか分からない雰囲気がある
でも結果としてはちゃんと収まっている

それにメロディの楽器間の受け渡しがとてもおもしろい
まるで会話をしているように
あるときは支えてあるときは表で歌って
この様に楽しめるときは 自分の精神状態もすこし良い時だ

このK364も協奏交響曲と名付けられているのでヴァイオリンとヴィオラの
掛け合いが 興味深い
聴いててなぜかビートルズのアビー・ロードのメドレーの最後の部分
ジ・エンドのギタープレイの掛け合いを思い出した
ポール・マッカートニーのライブでもこの掛け合いはとても面白かったが
音楽は結局会話なんだと思ったりする
同じようにジャズでも奏者が替わって各人の個性を聞き取るのも面白い

ということで、ヴァイオリンを聴いたりヴィオラのパートを聴いたり
リズムを刻むオーケストラを聴いたり柔らかな木管を聴いたり 
楽しい
でもこの曲の最大の聴きどころは第2楽章
池辺晋一郎氏の本にもこの楽章のことが書かれている
これは本当に美しい
はたして美しいという言葉が適切なのかどうかわからないけど
とにかく信じられないくらいの音楽だ
深い感情を感じさせるが、それにいつまでも浸っているわけでもない
悲しいくらいにあっさりとその世界から抜けだしてしまう
(シューベルトやチャイコフスキーなら延々とこの世界に浸ってしまうだろうけど) 
本当にこんな音楽をヒョイとつくってしまうモーツァルトという存在は
化物、天才というしかない 

この曲(楽章)、ラ・フォル・ジュルネ(熱狂の音楽祭)で
モーツァルトがテーマの時に生で聴いたが
知らず知らず涙が出てきた
感情が揺さぶられたわけではないのに 
儚い、とか二度と戻ってこないとか、一瞬の美しさとか
多分そんなものを感じたのだと思うが 、、、

とりあえず、今年の音楽鑑賞スタートは上手く切れた感じ
ずっとこのコンディションで聴けたらいいのだが 

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いいもの見つけた(シモーネ・ヤングのブルックナーの8番)

2015年12月31日 09時56分42秒 | 音楽

偶然見つけたこのYouTubeの動画

シモーネ・ヤングのブルックナーの8番の交響曲の演奏
珍しい点は2つ
一つはあれこれ手直しする前の、ブルックナーが最初に発想した音楽が聴けること
そしてもう一つは、女性の演奏するブルックナーということ

思い込みもあるがブルックナーの音楽は女性には受けないものだと思っていた
ピアノ曲の「思い出」とか「秋の夕べの静かな想い」「幻想曲」なんかは 

女性でも好きになるかもしれないと思うが、8番や5番などはどう考えても
敬遠されそうな気がしてならない 

でも偏見を除いて耳をすますとこれがなかなかいい
この演奏はブルックナーが好きという感情に溢れている
あれこれ考えるよりも、音の要求するものを素直に具現化して
もしかしたらインバルの初稿の演奏よりも良いかもしれない

ブルックナーの8番は自分でもたくさんのアルバムを持っているが
クナッパーツブッシュ、フルトヴェングラー、シューリヒト、ヴァントなどの大物に混じって
結構好きなのが ハイティンクの演奏
なんとなくシモーネ・ヤングの演奏もこれに近い気がする

ところで初稿の8番
確かにまとまりがないというか、唐突な感じがしないでもない
特に第一楽章のピアニシモで終わるのではなく
突然の肯定的なフォルテシモ
普段聞き慣れているのとは随分違う
普段聞いているのは後期ロマン派の起承転結のはっきりした音楽
でも、本当にブルックナーの表現したい音楽だったのかというと
どこか違うかもしれない
ブルックナーは大都市ウィーンの都会人ではなく田舎の住人で
のどかな風景を原風景として生きてきた人間
そうした人の発想は、まとまりがよくて完成度が高いとしても
彼の思いとは違うのでは
そんな気がしてならない
特に聖フローリアン修道院地区ののんびりした風景を肌で感じた身にとっては
(一昨年聖フローリアンに訪れた)
ブルックナーには長生きしてもらって
もっと自分の最初に発想した音楽を 自信を持って世に出して欲しかったな

何れにせよ、年の最後にいい見つけ物をした
この分ではCDご購入ということになりそうだが
ま、いいか 

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ベートーヴェンの頭のなかで鳴っていた音

2015年12月23日 17時11分39秒 | 音楽

年末だから第九を聴いてみた
といっても生ではなくてCD
本当は19.20日の名古屋フィルに足を伸ばして聴こうと思ったが
イマイチ気分が乗らずパス

この曲を聴くのにはタイミングと気力が必要だ
今日引っ張りだしたのは思いつきで
ジョン・エリオット・ガードナー 指揮
オルケルトル・レヴォリュショネル・エ・ロマンティック
モンテヴェルディ合唱団
 

まず第一印象は、テンポがずいぶん速い 
スリムとは言わないがスポーツカーのように先へ先へと進む
音も古楽器オーケストラでいつもよりいろんな音がよく聞こえる 

そこでいつものように聴きながら連想したことをあげると
この曲を初めて耳にしたウィーンの聴衆はこの音楽が
古典派には収まりきらず、ロマン派に足を踏み出していることを
感じただろうなということ

だから古楽器できちっとした演奏をしているけど
ベートーヴェンの頭のなかで鳴っていた音とは少し違うような気がする
ベートーヴェンの頭のなかでなっていた音
現実には流れている音を聴いて味わうだけなのだが
調子がいいと(フルトヴェングラーの場合は特に)その音と波長が合って
まるで自分の頭のなかで音が鳴っているような気がする

そしてその音は、沈潜したり、思索的であったたり、構成的であったり
こうなると音楽を聴いているのか自分が何かしているのか
わからなくなるような(少し大げさかな)気さえする

幸い(?)この演奏はそんな忘我の瞬間は訪れない
あくまでも音響としての音楽
でもそれが悪いのではない 
上質なエンタメ映画を見ている気もする
だから不満足というわけではない

でも、正直もっと良い演奏、良い体験はあるはずだ
と感じてしまう
もっとも、めったに聴かないと言っても何種類かで聞いているから
こんな独断ができるかもしれないが

第九は生では
新城で田中良和指揮の東京フィル(?)
アクトシティでロリン・マゼールの指揮で

レコード・CDは
カラヤン、バレンボイム、ラトル、ジンメル、アンセルメ
今日聞いたガードナーと御大フルトヴェングラーのバイトロイトとルッツェルンの演奏
探せばもう少しあるかもしれない 

しかし、今日特に感じたことはベートーヴェンの頭のなかで鳴っていた音は
随分先に行ってしまっていた音なのだということ
(時代的にだけでなく、人が作りうる世界、その境地)

ところで、急に思い出したが、昔NHKFMで第九を弦楽5重奏だったか 
8重奏だったかにアレンジしたものを途中から聞いたけど
これは思いの外良かった
特に第3楽章は後期の弦楽四重奏曲を髣髴とさせる感じで
晩年のトーンがにじみ出ていて、、、
この演奏を聴く機会があれば一度耳にしてみたいものだ

 

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ブルックナーの交響曲2番

2015年12月13日 18時06分32秒 | 音楽

秋はブラームスが恒例だったが、今年は何故か聴いていない
やっと昨日4番の交響曲を聴いたが(フルトヴェングラー1948ベルリン・フィル)
その前にレコードをかけていたのがブルックナーの2番

実はこの曲が大好きだ
(特に前半の2つの楽章)
一般的には注目されていないけど、力みがなくて
聖フローリアン修道院のあたりの風景を感じさせて
本当に心地よい

世の中の2番の交響曲で一番聴いているのはこの曲かもしれない
次はシベリウスのあれ
マーラーの「復活」の名がついた2番は、まともに聴いた記憶が無い
残念ながら本家ベートーヴェンも、2番はどんな曲だったかな!という程度 
シューベルトもショスタコーヴィッチも記憶に無い
そういえば、ブラームスは結構好きな方
あとは、、、、
チャイコフスキーは相性が悪いのでパス
シューマンは途中で退屈してしまう

ところで聴いていたブルックナーの2番はアイヒホルン指揮
リンツ・ブルックナー管弦楽団のもの 
このひと本当にブルックナーが好きなんだなと感じられて
それだけで、演奏の中に浸れてしまう

生で聴きたいが、なかなかプログラムに上がらない
来年東京でバレンボイムであるらしいが、東京は遠い
仕方ないか 

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聴くのが怖い演奏(第九)

2015年12月05日 17時10分26秒 | 音楽

12月になって日本では第九のシーズン
演奏会に簡単に行ける地区に住んでいないので
レコード(CD)で我慢するしかないが
どうしても怖くて手を出せないレコードがある

フルトヴェングラー指揮  バイロイト祝祭管弦楽団による
有名な演奏
これが怖くて聴けない

何が怖いかといえば、以前聴いた時の感動が今度は
感じられないのではないかと言う不安

本当にこの演奏は半端じゃない
冒頭から深い意味を感じさせるが
途中から興が乗ってきたのを感じられると思ったら
あとは一気呵成で大河のように流れる音楽の奔流に
包まれる
そして、ライブなればこその、いい意味での効果的な演出
4楽章ではいつまで続くのかというフェルマータのあと
ごく小さな音で始まるその効果の凄さ
そして演奏者全員が炎のように燃えて最後に突き進む

これを初めて聴いた時は、圧倒された
そしてこんな夢みたいな時間は二度と体験できないだろうと
思ったりした
演奏という行為は1回勝負の世界なのだ
たまたまレコードという再生できるメディアを通じて体験したが
これは1回で十分、それこそ1回で十分元はとった感じがした

それからは、聴くのが怖くなっている

そういえば、聴くのが怖いのはまだある
同じフルトヴェングラー指揮のトリスタンとイゾルデ全曲盤の中から
2幕の有名な愛の二重唱のところ、ブランゲーネの警告のところまで
濃厚なロマンティシズムは、これもまた同じ感動が得られないのでは
と言う恐怖心がたってしまう

音楽は、クラシック音楽は慣れるまで楽しめないかもしれないが
一旦楽しむコツを覚えると、とてつもなく豊穣な世界が現れる

ところで、第9 やっぱり気合が入らないとこの演奏は聴けないので
今年は聴いたとしても違う人の演奏かな

 

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解釈の違い?表現の違い?「With A Little Help From My Friends」

2015年11月11日 19時26分07秒 | 音楽

レディ・ガガの歌う「イマジン」(youtube)が
最初は原曲に近く歌われていたが、途中から彼女の音楽性に
沿って熱唱されるのを聞いて、音楽はいろんな解釈や表現があるものだ
と思ったりしたが、同じ曲でも随分違った印象になる例を思い出した

ビートルズのサージェント・ペパーズ・ロンリー・ハート・クラブの中の一曲
「With A Little Help From My Friends」
美しいポールのベースとリンゴのデュエットみたいなおおらかな感じの曲だが 

同じ曲でもジョー・コッカーが歌うと全然印象が違う

初めてジョー・コッカーの歌をCDで聞いた時はその曲が
「With A Little Help From My Friends」だとは思わなかった
そして、こんなに崩してしまっていいのかな?
と原曲ののんびりした感じが好きな(というよりポールのベースが好きな)
自分はちょっとばかり否定的な考えを持ったが
今は、「これもあり」といった感じ

音楽にはいろんな表現・解釈があるものだ

ところで、ポールのベースが好きなのはもう一つある
「アビー・ロード」のなかの一曲ジョージのうたう「Something」
これもごきげんなベースライン
この曲はいつも歌よりもベースを聴いてしまう

最近、堅苦しい話題ばかりなので
少しお気楽な話題を求めてしまった
(やれやれ!)
 

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