昨夜、80歳になるA先生に電話をした。
学会から賞を出したいのだが、と単刀直入に切り出した。
「数年前にガンが見つかって、治療をしていたんだ。」
「えっ」
「もう、都内だって出歩けない」
元気そうな声だが、ストレートな返事が返ってきた。
「学問はやめたんだ。賞もいらない」
「授賞式への出席は無理でも、賞だけでも受け取ってもらえないですか。功労賞なので」
「いや、私はいいから、他の人にあげてください」
それから四方山話をした。
「先週、田沢湖へ行きました」
「私も昔、東北電力に頼まれて調査をしたことがあったよ」
「そうですか。知らなかったな」
「公表しないという念書があったからね」
「貴重なデータなのに」
「40年も前の話だよ。玉川からの水を田沢湖に入れたからね。透明度が悪くなって、5メートルくらいしかなかった」
「昔は、世界一の透明度を誇っていましたのにね」
「田沢湖へ入る前にため池を作って中和処理するかだね。石灰以外の方法で」
「学会でも前向きに取り組んだほうが良いのでしょうか」
「そうだね」
結局、先生に賞を贈ることはできそうになかった。
1941年より前の田沢湖は、モンゴルの湖のように青く澄んでいたのだろうか。
また宿題がひとつ増えたような気がする。
先生が最後に、ポツリと言った。
「終活をやってるよ」
誰もが通る道だけれども、不思議と暗さがなかった。
「山あり谷ありですよ。学問はやめないほうがいいですよ」
慰めにもならない言葉で、僕は受話器を置いた。
敬愛する人が、また一人去っていく。
世の不条理かも知れない。
出来ることをするしかない。
生きるということが、なんだか難しく感じられてきた。