小さな旅、大きな旅の写真物語(Virtual trips/travels)

京都や東京を本拠地として、自然の中や町を歩きながら、撮った写真をどんどん掲載します。いっしょに歩いているように。

再び台湾の旅 その3

2024-06-24 16:15:01 | 写真日記
再び台湾の旅 その3

台中から台北へ。

高雄から台北までの新幹線の車窓で、日本と違和感があるのは、日本ではあたかも平野から山岳地帯に入る時に見る風景が、断続的、不定期に現れては、しばらくすると平地の風景に戻るということです。おそらく平野に低い山というか丘陵というかの地形が数多く点在しているのでしょう。開発が面倒なこういった地形は後まわしにされて、殆ど手つかずなのです。台湾には土地が無いようで、まだいっぱいあるようにみえるのですが?





さらに台北に近づくと、こういう古げな集合住宅が増えてきます。これが台北より台中に逃げ出す人が増えている理由の気がします。つまり古げな集合住宅に高い金を払うより、住みやすい風土と新しい集合住宅のある台中に移動するのです。

さて、台北について、バスの車窓で、台北101の前広場からちょっとの間街を撮ります。





見たことない車のテールと三越の風景。



台北に着くと、日本の東京の真ん中にいるのと同じ感覚を覚えます。



しかし、メインストリートはそうですが、ちょっと外れるとこのような古げな集合住宅の羅列となります。



相変わらずのバイクの群れ。

有名な金品茶楼で飲茶の昼食。




日本とそう変わりない飲茶ですが、有名店の食事なので家内はとりあえず満足。

一路北へ、新北市、十分(シーフェン)、九分に向かいます。(九分の分には人ベンがつくらしい。 その理由はよくわからないが後で九分から変化したらしい? フォントにないから分にしておきます。あしからず。)



本ツアーのクライマックス天燈上げです。天燈はテントウで、中国読みではテンダンになります。なにかランタンとよぶことが多いようです。



台湾鉄路管理局平渓線の駅、十分駅から一時間に一本の列車が町中を通るのですが、その間をぬって天燈上げをするのが定番観光です。





我々も天燈上げの老舗で天燈上げをやります。



願い事を書いて、同じツアーのカップルと4人で天燈を上げます。皆さん世界が平和でありますようになどと書いていましたが、当方は<家族の幸せを願う>と小さくて利己的な願いにしました。



中の火が消えると落ちて来て、これを拾い集めると回収料がもらえるようです。
今回の旅はちょうど台湾に線状降水帯が通過するタイミングにあたり、天候は全行程絶望的で天燈上げも出来ないだろうと予測していたのですが、当方の<超晴れ男>の御利益により、殆ど雨に降られずに天燈上げまでこぎつけました。天燈上げが終わって九分に向かう途中で、ものすごい線状降水帯らしい土砂降りとなりました。我々は十分、九分は前回の台北旅行で経験しているので、二回目の天燈上げが終わればあとはどうでもいい。しかし、次の日の午前、貴重なフリータイムには雨が止んでいるという<超晴れ男>の御利益は続いていたようです。


土砂降りの九分

この上に、宮﨑 駿さんの<千と千尋の神隠し>の構想のもとになった料亭があります。我々はパス。
土砂降りの中、カフェに逃げ込んで、びしょびしょの服を脱いでキンカンジュースをいただきます。





当方はちょこっと九分の店を回って、今回の旅で唯一のお土産を買いました。500円のキーホルダーだけ。

さて、台湾最後の夜はグランドハイアット台北。






グランドハイアット台北は台北101がすぐそばというのが売りの一つ。



今日は台湾最後の夜ですから、台湾のお酒とおつまみで、一夜を過ごそうと思い、近くのコンビニに行ったのですが、まともなお酒がありません。仕方なく買ったものは、ワンカップ月桂冠でした。


手前がグランドハイアット台北、向かいが台北101


朝食、台湾で食事でのお勧めは、スイカ、バナナ、タケノコです。




グランドハイアット台北の玄関を見下ろす、台北101に続く渡り廊下。



さて、このブログの最初に登場した、台北信義区 四四南村は台北101から歩いてすぐ。



春村文物館は四四南村の記念館、無料です。



当時の部屋の様子は日本の昭和レトロです。こんな部屋が10室ほど展示されています。







訪ねる人はパラパラで、店の人は暇そうにしています。



近くの眷村文化公園では色々な運動器具が設置されているのが印象的。高齢者の健康にはこういう施設が無料で使えるのはいいことだと思うのですが、日本では事故を起こしても自己責任という具合にいくだろうか?



四四南村からちょっと行くと、市場があります。夜は夜市の飲食店、朝は朝市の総菜のお店。






タケノコです。これがおいしい。





さて、台北101に入ってみます。ここは台北のビジネス拠点であって、観光地的場所は一部にすぎません。入り口も簡素な雰囲気です。

展望台へは89階までエレベーターで行きます。外人価格は高くて9000円程度、ぎょっとするけどここまで来て後へは引けない。エイヤとエレベーターに乗ります。


グランドハイアット台北を上から見下ろす。



年越し時にはこんな光景にもなるようです。



展望台のカフェで一服。



台北101の上層部(87階~91階)の中心につり下げられている重さ660トンの制振装置「チューンドマスダンパー(TMD)」、これが地震の時や大風の時ゆらゆら揺れて制振するそうです。



これは台北101の「チューンドマスダンパー(TMD)」のキャラクター「ダンパーベイビー」



台北101の味気ない入り口でのショットが台湾での撮影の最後です。
最後に台湾でのお土産のベストをご紹介します。最も評判が良かったのはメンマ。
メンマとシナチクは同じ意味。竹は竹でも麻竹という品種のタケノコを乳酸発酵させ、さらに味付けした物が、日本でメンマとして食べられています。台湾ではラーメンの上に載せるのではなく、おつまみや色々な料理の素材です。メンマだけでなく、台湾のタケノコは美味しい、だんぜん推薦です。日本で売られている生のタケノコは「孟宗竹(もうそうちく)」のタケノコで、台湾でも同じようなタケノコが市場で売られているので、そう違いはないでしょう。

さて、台湾の旅の総評です。当方の旅行記は行き帰りがごちゃまぜで、支離滅裂。書き直そうと思ったけれど、台湾自体が支離滅裂な国であるので、ちょうどいいからそのまま載せます。台湾がオランダから独立したのがおよそ360年前、中華民国としてまとまったのが約80年前。日本が現在の台湾産業の根本をずいぶんと構築している。現在は中国の一部でありながら、独立しているようでしていないようで。伝統もあるようでないようで。ほら支離滅裂でしょう。現代一般日本人の台湾の理解も薄っぺらな局所的なものにすぎません。台湾から日本に訪れる人は年間500万人、日本は親和性が良くて、楽しい所。一方、日本から台湾を訪れる人は以前年間150万人だが現在60万人くらい。 台湾の表記は漢字と英語、日本語は皆無。ちっとも話が通じなく、表示もさっぱり分からない。早く落ち着いて、隣国の関係が築けるといいと思うのですが。今後の日本と台湾の関係は全く見通せない。家内はまた台湾に行きたいと申しております。

くそつまらない旅行記になってしまいました。すみません。

テレビで与那国、石垣、宮古、先島列島における、台湾有事に対応するための、島民避難プラン、ミサイル設置、シェルター設置、基地整備増強、港湾整備等々の動きを報道していました。首里城下の日本軍の地下基地の公開に向けての動きと大戦における沖縄戦の実態報道が続きます。ウクライナとロシア、パレスチナとイスラエルの現状がオーバーラップします。

子供の犠牲は避けなければ、戦争はやってはならない、世界の平和を願う。そりゃそうだ。そうに決まっている。そう言い続けることも重要であるが、それだけではどうしようもない。

国の行動には国民全員に責任がある。個人は全員当事者なのだ。国の行動が意に反しても個人の国に対する責任は逃れられない。個人一人ひとりに現状を作っているという覚悟が必要だ。

個人は万策尽きて、それでも国の行動が意に反した場合、国を捨てるという選択肢もありだ。ドイツ、ベルリンのユダヤ博物館の亡命かホロコーストを選択する傾斜のある2つの坂道を思い出す。心の底にはこの坂道がいつもある。この坂道に至らないように、考えろ、考えろ、1mmでも行動せよ、行動せよ。人生は難しいに決まっている。




コメント
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