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小さな旅、大きな旅の写真物語(Virtual trips/travels)

京都や東京を本拠地として、自然の中や町を歩きながら、撮った写真をどんどん掲載します。いっしょに歩いているように。

自然教育園日記 その285 Sony alpha 7CR VS. Fujifilm GFX100S その1

2024-07-13 19:55:37 | 写真日記
自然教育園日記 その285 Sony alpha 7CR VS. Fujifilm GFX100S その1

現在の布陣は中判Fujifilm GFX100S, APS-C Fujifilm X-T5, フルサイズSony alpha 7CR
です。以前からSony と Fujifilm のバトルが続いています。一時、このバトルは持って行く機材に迷うことばかりでいいことないとSony を捨ててFujifilm に絞りました。Sony alpha 7CRに出会ったために、いつの間にかふたたび、Sony とFujifilm のバトルが再開しています。重たいFujifilm GFX100SとフットワークのいいSony alpha 7CRのどちらを持ち出すか迷うことになるのです。

2024-6-22
Fujifilm GFX100S + GF120mm macro


Fujifilm GFX100S + GF120mm macro


Fujifilm GFX100S + GF120mm macro


Fujifilm GFX100S + GF120mm macro

2024-7-10
以下、Fujifilm GFX100S + Fujifilm GF110mm F2


Fujifilm GFX100S + Fujifilm GF110mm F2

こういう普通の風景を、きれいだと思って撮るきにさせるのはFujifilm GFX100Sの力です。


Fujifilm GFX100S + Fujifilm GF110mm F2


Fujifilm GFX100S + Fujifilm GF110mm F2


Fujifilm GFX100S + Fujifilm GF110mm F2


Fujifilm GFX100S + Fujifilm GF110mm F2

レンズをSony/Zeiss planar 85mm F1.4に換えます。


Fujifilm GFX100S + Sony/Zeiss planar 85mm F1.4


Fujifilm GFX100S + Sony/Zeiss planar 85mm F1.4


Fujifilm GFX100S + Sony/Zeiss planar 85mm F1.4


Fujifilm GFX100S + Sony/Zeiss planar 85mm F1.4

Sony Aマウント Sony/Zeiss planar 85mm F1.4 をFujifilm GFX100Sに付けました。
とてもいいですね。大口径レンズのボケがすばらしい。Fujifilm GF110mm F2を凌駕しています。
(Fujifilm GF110mm F2はしばらくぶりに使うので、撮り方を忘れてしまったことと、蝶の写真は相当のトリミング拡大をしているので、どれも今一つになっていると言い訳をしておきます。本当は最高のレンズなのです。)

2024-7-9
今日はSony alpha7CR + Sony FE 70-200mm macro。この組み合わせは守備範囲が広くて、本当に楽チン機材です。どの写真も相当トリミング拡大しています。高画素ですから、何とか使える絵になります。


Sony alpha7CR + Sony FE 70-200mm macro


Sony alpha7CR + Sony FE 70-200mm macro


Sony alpha7CR + Sony FE 70-200mm macro


Sony alpha7CR + Sony FE 70-200mm macro


Sony alpha7CR + Sony FE 70-200mm macro


Sony alpha7CR + Sony FE 70-200mm macro

Sony alpha7CR + Sony FE 70-200mm macro とFujifilm GFX100Sを比較すると
全く方向が違います。
Sony は写真を撮り、Fujifilmは絵を作る。何度も言っている通りです。しかし、これはあくまでこのレンズでの比較です。
Zeiss設計のSony Aマウントレンズはどれも素晴らしく、これらをSony に付けると話は違ってくるかもしれません。Sonyの驚異的解像力とZeissの絵画力が融合してFujifilmの絵作りに迫るかもしれません。Sony alpha7CRなら、Sony Aマウントレンズを2本くらい持てますから超楽しみな撮影になるでしょう。
次回にトライしましょう。

2024-7-10
さて、次はX-T5の高速連写とプレ撮影をFujifilm FX 150-600mmで受け止めてみました。上で載せたFujifilm GFX100S + GF110mm やSony alpha7CRでの蝶の写真はそう陶トリミング拡大していますから、X-T5+Fujifilm FX 150-600mmはAPS-Cでも超望遠と高速連写でそれなりのメリットを出せるかもしれません。


Fujifilm X-T5 ; Fujifilm FX 150-600mm


Fujifilm X-T5 ; Fujifilm FX 150-600mm


Fujifilm X-T5 ; Fujifilm FX 150-600mm


Fujifilm X-T5 ; Fujifilm FX 150-600mm


Fujifilm X-T5 ; Fujifilm FX 150-600mm


Fujifilm X-T5 ; Fujifilm FX 150-600mm


Fujifilm X-T5 ; Fujifilm FX 150-600mm


このレンズにもう少し慣れれば、アーティスティックな絵を狙えるという気がしてきました。1脚を付けて、もう少し頑張ってみましょう。 Fujifilm X-H2Sを高画素のX-T5に入れ替えたことは成功であったと思います。トリミング拡大能が上がってずっと絵作りが楽になりました。

次回をお楽しみに。
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公募展への挑戦 2024

2024-07-08 20:35:52 | 写真日記
公募展への挑戦 2024
2024-6
今年も陶芸振興財団展、現展(現代美術家協会展)、アート未来展の3カ所に出品しました。といっても陶芸財団展は作品が間に合わずに昨年作った古いものを出品して、結局見に行くこともなく終わってしまいました。展示会が国立新美術館から大宮に引っ越したことも大きく影響しています。折角昨年会員に推挙されたのだから、一回は自分で画期的と思う作品を出品して、認められなければ脱会しようと思っています。

次に現展ですが、ここは敷居が高いことを実感しています。 2点出しましたが、昨年と同じように1点だけ入選ということで飾ってもらえました。


水の流れのように2024-1

我ながら全くいい出来でなかった。水の流れの写真をもとにした昨年の作品をクローズアップしてさらに細密に表現し、本当の美しさを表現しようとしたのですが、難しくて結局それが出来なかったということです。


水の流れのように2024-2

こちらは落選した作品です。入選作品と同じく、水の流れをガラスで表現しようと思ったのですが、上手くゆかず、他の目的で作った、波を表現する陶板が使われずに残っていたので、これを貼ってみたら、ビックリする主張が出てきました。この作品は現展が終わった、つまりたまたま作品を搬出した日の次の日がアート未来展の搬入だったので、この作品を再びアート未来展に出展しました。この作品についてはアート未来展で言及しましょう。


現展:工芸部門で、両隣はこんな感じ
見に来てくれた友人は右の作品にくわれている。もっと目立つ作品を作らないとダメだと盛んにおっしゃる。




工芸部門をもっと引いて撮るとこんな感じ。立体・工芸部門にはこの2倍くらいの作品が展示されています。

しばらく、この会場を観察してみると、当方の作品は全く注目されず素通りされる状態でありました。会心の作でないから、素通りも納得なのですが。
一つ気に入らなかったのは、同時に出した作品は、自分で会心の作と思っているのに、落選であったことです。

平板陶器というと


当方以外にこの作品が唯一で、こちらは奨励賞且つ、会友推挙、且つ、俊英作家企画展として取り上げられています。俊英作家企画展とはどういう意味かよくわかりませんが、俊英とは特に優れたという意味ですから特別視されているということでしょう。
一つだけ言わせてもらえば、この作品は陶タイルによるモザイク作品で、この手法はすでに確立しており、タイルモザイク画は大昔からあるものです。当方は絵画を陶器で作ることが目的であり、自由な形と色のパーツを集合して絵画作る手法です。唯一無二とは言いませんが、技術的に開発すべき点が多々ある、新しいアプローチなのです。全然違った当方特有の手法なのです。

とにかく現展は手ごわい。今回80回記念展ということで戦前からある由緒ある展覧会ということらしい。

次はアート未来展




2連作品 渚にて2024

左は貝の記憶、右は波は全てを知っているという副題をつけています。
左は公募展に初めて出した作品と同じ題名、殆どおなじ図柄でほとんど同じ大きさの作品です。初めての公募展、陶芸財団展で、この作品は今後このような大きな作品は出してくれるなと言われ、その後応募作品の大きさ制限の規約が出来ました。無論壁に吊ってもらえず、その後どんどん大きさを小さくして応募しましたが、どれも壁に吊ってもらえませんでした。このアート未来展に出品した作品は陶芸財団展での仕打ちに対するリベンジです。アート未来展では賞(秀作)をいただき、壁に吊っていただいたのです。右は左だけでは寂しいので付け加えてもので、ガラスを多用したかったことと、右端の小さな貝の集合は実写写真に示すように、小さな貝の集合がとても印象的だったので、そのインプレッションをどうしても表現したかったのです。残念ながら、説明しなければ誰も気が付きませんでした。 なぜこの右端に小さな貝の集合を置いたか、なぜ誰も分かってくれないのか、当方には信じられないことです。



元になった小さな貝殻の集合実写。このフォルムのバラエティーに感動したことが、作品の原点になっています。



<渚にて>の右パネルと、<水の流れのように>に登場する葉っぱみたいなパーツは、水面の実写写真からのパターンをデフォルメした水の流れ定形パターンです。




チョウはこれも当方の定形蝶パターンで水面のパターンだけで寂しかったので追加しました。チョウっぽくないので、ヒトデだとか鳥だとかいう方もいらっしゃいました。チョウが大きくしめるので、水の流れが見えなくなって、題名と実体がずれてしまい、見る方に興味を誘導できなかった。しかし、何だかわからないところがいいじゃないのと自画自賛しているのですが。


2連作品 水の流れのように2024
わざわざクロスに配置しています。2つの作品の微妙な掛け合いが、むちゃくちゃ面白い作品と思うのですが。全くわかってもらえなかった。

この作品を見ると、現展の奨励賞タイルモザイクと当方の陶絵画とは全く違う手法のものだということはこの作品をご覧になればわかると思います。

現展は何か<現代アート>はこんなものだという固定概念があり、それに合致しないとその概念をすっ飛ばすくらい、よっぽど斬新でない限り受け入れてもらえないという予感がしています。伝統ある展覧会ということは権威あると同時に知らず知らずのうちに固定概念が苔のよう覆ってくる。固定概念をぶち壊すという破壊的方向よりは質の高いアートを大事にするという傾向が強い気がするのです。もっとアートの質を上げないと現状では現展で注目されないから、技術的斬新性を売りにした作品はアート未来展に出品した方がいいと考えたのです。よってアート未来展に作品を集中しました。現展には失敗作品を、アート未来展には現在出来る限りの作品を出展したのです。この戦略は当たって、アート未来展では昨年の奨励賞に続いて、秀作という賞をいただき、会員にも推挙していただきました。2年続いて賞を取るケースは極めてまれだと言われました(これはとても困るので、来年もさらに上の賞を取らないといけないと思っているのですが、どうしましょう)。

喜んでいるとお思いでしょうが、とんでもない。来場するお客さんが、当方の作品にどうレスポンスするかをしばらく観察していると、現展の昨年、今年、アート未来展の今年いずれもお客さんのほとんどは当方の作品を見向きもせずに通り過ぎて行きます。友人いわく、色が地味だ、インパクトに乏しい、もっと目立たなければと言い続けます。
隣の小さな作品はのぞき込むのに、これだけの左側力作と、これだけユニーク右側の作品を好き嫌いは別として、覗こうともしない。
これほど無視される作品のはずはないという自信(本当にそう思っているのですが)に反して、現実はどうしようもない。自然教育園の写真展でも当方の抽象写真は無視されて、一瞥もされずに観客は通り過ぎる。 もういい加減に嫌になった。
諦めるな、諦めるな、どうしいたらいいのだ???

左側の作品は2連ですでに60kgで一般の絵画に対抗するには最低この2倍、120kgの作品が必要になる。決して不可能とは言わないが、ここまで作った過程の苦労がさらに数倍になることは必至で、始める前から疲れてしまっている。重たい事に疲れてしまったら、陶器で絵画を作ることそのものが無理だということになる。完全な敗退だ。

右くらい、15kgぐらいの絵を独立に吊って数枚組にすればいいとアート未来の先輩がアドバイスしてくれた。家内はタイルモザイクに転向すればもっと目立つ色が苦も無く使えるという。どちらも正しい。当方はもっとガラスを使いたい。陶・ガラスのハイブリット立体を陶絵画にさらにハイブリットさせるのだと思っている。

何だ頑張ってるじゃないかといいますが、体は重たく、心も重たく、どこにも救いようのない毎日が続いている。友人の一人は、理解されないことは、既存概念を壊しているということで、誇るべきことだとおっしゃる。全く受けないのか、既存概念を壊しているか分からない当人にとって、どう誇ったらいいのでしょう?

2024-7-3
今日は、大学の同期の友人2名+その奥さん1名がアート未来展を訪ねて来てくれ、楽しく一時を過ごしました。この時、以前通っていたガラス工房のスタッフに遭遇あいました。案内を出していたのですが、互いに都合を合わせたわけでないので、全くの偶然です。ガラスと陶器のハイブリットを進化させる当方の今後の作品のプランを伝えて、ご協力を依頼し、快諾されました。この偶然がとてもうれしかった。完全にノックダウンという状態から、何とか立ち上がるよれよれの<明日のジョー>みたいな気分です。

7月1日、3日はアート未来展の受付などの仕事を手伝いや、作品の撮影などの下働きをしたのですが、その時に会長さんや理事さんのご命令で働きながら、彼らと話をする機会がいくつもあり、アート未来の内情を少しずつ知ることになりました。アートという分野で、苦心しながら自分を表そうとする意志を持つ仲間のふれあいとは、これまでにビジネスやサイエンスで付き合った人々との関係とは大きく違っており、新しい世界を垣間見ました。この時接触した人の作品を以下載せましょう。


会場入り口


絵画部門(一部)


絵画:アート未来大賞
作者は理事さんの一人です。


絵画:審査員 
会長さんの作。よく見ると葉っぱがセロテープで貼ってあります。ミックスト・メディアを追いかけると申しております。




絵画:審査員  
最も活動している副会長さんの作。当人は宇宙アートといっております。


彫刻:審査員 
理事さんの一人の作 この方のアート未来展HP作成のお手伝いをしました。会場で作品の写真を撮ったのです。


工芸:奨励賞  素敵な陶器作品と思います。


絵画:アート未来準大賞 
作者は理事さんだったかな??


絵画 
理事さんの一人の作、モスクワ在住時代にアートを吸収したと申しております。

2024-7-4
7月4日には、お会いできませんでしたが、中学高校同期の友人がアート未来展を訪ねてくれて、以下のような感想を同期会の連絡メールに流してくれました。長く書籍出版に関与してきた文章の上手な方です。感謝。
<受賞作品は、白い砂浜をイメージする海辺に、大小の貝殻と打ち寄せ
砕ける波紋が、あたかも教会の壁飾りのようにリズミカルに彫刻?
されています。扁平な土台の白に青と緑の限られた2色を基調とした
グラデーションは爽やかです。
「水の流れのようにー2024」も、ヒトデか鳥か蝶のようですが、秀
作と異なり額に収まった独立したタブローの体裁をとっています。
いずれの作品も、画題にもあらわれているように、高原くんの作品の
特徴である「生命」の波動が熱っぽく息づいているのが伝わってきま
す。大きな貝殻に耳をあてると、潮騒がきこえるかもしれません。>

うまいこといいますね。

2024-7-6
今日はアート未来展の受賞式、その前に家内と展覧会をまわりました。土曜ということもあって来客が多く、家内と自分の作品の前の椅子に座って、どんな人が当方の作品に立ち止まるかを30分くらい観察しました。結論は子供さんが立ち止まる、大半の大人は無視するということでした。小学生、中学生の絵を対象としたアート未来コーナーというのがあって、今日は土曜ですから、家族で見に来ているようです。このなかで子供さんは当方の作品を熱心に見ており、親は知らん顔しているということらしい。自然教育園の写真展でも同じ、色がきれいな抽象写真には子供さんが反応し、大人は一瞥もしない。
大人はガチガチに既成概念の衣をかぶっているということです。



受賞式の風景は、評論家や色々な団体の偉い方である来賓の方々、アート未来の理事達、作品の評価者、みな相当な年の方ばかり、ガラパゴス村の集会のようでした。



当方はガラパゴス村に合わせて作品を作っているわけじゃない。自分の表したいことを表したいと作品を作っているだけだ。

何か吹っ切れました。どう思われようと知ったことか、次の作品は爆発だ! すべてをぶっ飛ばそう!

2024-7-8

今日は搬出の日。作品は一辺に車に積むことが出来ずに2往復ということになりました。



今回最も注目されなかったこの作品を工芸のチーフである理事が、この作品がもっとも美しいと言ったこと。もう一人の理事が、当方の作品をどう思っているかと聞くので、結構いいと思っていますと答えたら、私も気に入っていると言ってくれました。

以上で<公募展への挑戦2024>を終わります。








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独り言 2024-6

2024-06-30 13:20:43 | 日記
独り言 2024-6

生きていて良かったと思うことがあります。

最近珍しく音楽のコンサートに行っています。直近ですとストラヴィンスキー3大バレー、火の鳥、ペトルーシカ、春の祭典、を2台のピアノで演奏するものです。
2024-6-18 東京芸術劇場コンサートホール、務川慧悟(ピアノ)、ナターリア・ミルステイン(ピアノ)

ストラヴィンスキーは当方のクラシックへの入り口から現在に至るまで、変わらずに尊敬している作曲家です。このコンサート、当方は画期的、歴史的演奏と思ったのですが、世の中の評価は知りません。音楽を聴いて、生きていて良かったと思うことがあります。この演奏はこの演奏を聴いて、生きていて良かったというよりは、この演奏を聴けて、この世に生まれて来て良かったと思いました。

当方は、オーレル・ニコレ演奏バッハのフルートと通奏低音のためのソナタ ハ短調BWM179を聞いて、これを演奏したいと思い、それまで楽譜も読めなかったのに大学に入ってからフルートを始めました。その後、30年して、フルートの発表会でこの第一楽章を演奏しました。フルートの先生とその読売交響楽団を引退したご主人のチェロ(専門はトランペットです)と家内のピアノの4重奏でした。最後の最後の章節で間違えました。それまで一回も間違えたことが無かった章節だったのに。その後、ある時ホームコンサートでこれを演奏して、聴いていたひとが、涙が出そうだったといってくれました。当方自体、一人でバッハのソナタを弾きがら人知れず涙を流すことがあります。特にフルートと通奏低音のためのソナタ ホ短調BWM134は当方のような晩年の男が、過去を振り返って、後悔するでもなく、悲しむでもなく、淡々とこんなこともあったのだよとポツポツと語るような、ただしみじみと、それでも涙がこぼれるような。それほどバッハのフルート曲は素晴らしいのです。 現在は陶アートに傾注して、フルートを弾く余力が全くありませんが、バッハのフルートの曲は生きていて良かったと思うことの一つです。

生きていて良かったと思う瞬間があと2つあります。先輩に数万円のワインを飲ませてもらった時と、草津温泉、西の河原での露天風呂に入ったときです。 不思議なことにアートと日本酒で生きていたよかったと思う経験がありません。この2つは評価基準が全然高いのでしょう、きっと。

一方で、もうこのまま死んでしまったらどれほどいいか、と思った時が何度かあります。京都でのバイオベンチャー経営に疲れ切って、京都御所の森の中でこのまま倒れ込んで死んでしまったらどれほどいいかと思いました。もう一つは、白神山地のビジターセンターのシアターで白神山地の冬、その壮大な雪景色を見た時、この雪にうずもれて、このまま死んでしまったらどれほどいいかと思いました。

現在は、諦めるな諦めるなと言いながら、一方でもういいからお墓に入ろうという声が拮抗しています。うまくゆかないことばかりです。

当方個人が旨くゆかないことばかりであることは勿論、世の中うまくゆかないことばかりです。

安倍氏が作った自民党は、日本で最も有利な条件にある大企業であり、企業の最大関心事である、最大の利益を得て、社員(議員)に還元することと、企業がどこまでも存続する事に邁進している政党大企業です。本当は今どきの企業は株主に利益を還元することが絶対必要条件なのですが、与党大企業の株主である国民に利益を還元することは念頭になく、第一目標は与党大企業の存続です。 国民はどうせ何も分からない、国をうまく動かして、国民をうまくごまかして、誘導して、自民党という企業の利益の最大化とその維持を図ることが第一の大企業になったのです。野党はこの下請け中小企業で、大企業自民党ありきで、これに文句をいうふりをして、野党を演じることにより、下請け中小企業の従業員に給料を与え、自分の企業を存続させることを生業としてきました。政党企業体も、現在の株主総会みたいなものを開いて、実態を開示し、今後の計画を明示し、株主(国民)からの動議を受け、採決(株主=国民による)するべきです。
東京都知事をねらう蓮舫氏はこの野党の性癖まるだしで、薄っぺらな考えというおうか、考えもしないで、ただ変わらねばならないとキーキー言い続けます。多くの人がこれに引っかかる。どうしようもないので、しょうがないから小池都知事の継続を支持するしかない。本心は石丸伸二氏を応援したい。

彼の主張をヒントに、当方は面白いアイデアを考えました。
当方の持論の一つ、諸悪の根源は東京一極集中にある。地方を住んで幸せと思う地域に変えて行かねば、そのための第一歩として地方の公共交通機関を再構築すべきだ。しかし、だれも賛成してくれませんでした。いくらお金がかかると思っているんだと一蹴されました。地方の為にそんな金を使ったら、全く効率悪いじゃないかというのです。東京、アメリカ、大企業にお金をつぎ込むのが最も効率がいいと言い続けます。
石丸伸二氏が発想の転換をしてくれました。石丸伸二氏のアイデアを当方流にアレンジすると、地方に住んで幸せと思う地区を作るのではなく、東京に、住んで幸せと思う地区を作るのです。東京都といっても色々な地域があります。港区や千代田区のような昼と夜の人口が全く違う地域、多摩地区や離島のような大自然と接する地域、発展する近隣地域と行き来の激しい地域、湾岸の近代と自然が拮抗する地域、下町の歴史と混沌が混じり合う地域等々、いくつかの地域に分けてその地域を幸せに暮らせるようにするプランを出させて、コンペティションを行うのです。限られた原資を平等に分配するのでなく、コンペティションで勾配を付けて分配することはドイツでよくやる手です。良いアイデア生み出すためにやるのです。東京都は原資が豊富ですから、理想的アイデアを追求することが可能です。このアイデアを実現すれば、地方の資金では出来なかった世界が現実となります。地方はこの成功例を自分たちの現場に当てはめて実行可能な戦略を練ることが出来ます。東京は色々な成功モデルを日本全体に提供するのです。石丸氏の言うように発展する近隣首都圏と行き来の激しい東京の地域は近隣の地域と連動したアイデアを出して、東京周辺の街が住んで幸せになる地域にするのです。彼のいうように、地方から東京一極を是正するのでなく、東京から東京一極を是正するのです。これを拡大すれば、日本には住んで幸せな地域が全国に広がるでしょう。東京から日本を変えることが出来ます。住んで幸せな地域ができればほっといても出生率は上がります。

国民から集めたお金を色々な理屈をつけてばらまいてゆくことでは何も生まれません。子育て支援だろうが、教育の無償化だろうが、結局はばらまきです。足りないところに少しばかりのお金をちょろちょろまくのは、結局は国民をうまくごまかして、誘導して、与党という企業の利益の最大化その維持を図る企業の常套手段に過ぎないのです。膨大な税金を吸い上げて、グランドデザインもなく、その場しのぎのばらまきをして、政権を維持してゆけば、またまた、ずっとずっと税金を巻き上げることができるのです。その場しのぎばかりに頭がまわる。試験だけできる東大生の最も得意とする分野です。日本の長期デザインを考えて述べる人は袋叩きにあうのです。
こいつらに任せないでみんな考えろ、考えろ、1mmでも理想に向かって行動せよ、行動せよ。

最近のニュースでは石丸氏が蓮舫氏を猛追撃中で、蓮舫氏の2位も危ういと報じています。その場しのぎの政策とそれを喜ぶ国民ばかりかと思っていましたが、根っこのある変革プランを望んでいる人々が結構いっぱいいるのだなと思いました。慎重に、慎重に進むのは結構です。それでも根っこのある変革プランを提示している人の考えをちゃんと聞きましょう。
みんな考えろ、考えろ、1mmでも理想に向かって行動せよ、行動せよ。
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再び台湾の旅 その3

2024-06-24 16:15:01 | 写真日記
再び台湾の旅 その3

台中から台北へ。

高雄から台北までの新幹線の車窓で、日本と違和感があるのは、日本ではあたかも平野から山岳地帯に入る時に見る風景が、断続的、不定期に現れては、しばらくすると平地の風景に戻るということです。おそらく平野に低い山というか丘陵というかの地形が数多く点在しているのでしょう。開発が面倒なこういった地形は後まわしにされて、殆ど手つかずなのです。台湾には土地が無いようで、まだいっぱいあるようにみえるのですが?





さらに台北に近づくと、こういう古げな集合住宅が増えてきます。これが台北より台中に逃げ出す人が増えている理由の気がします。つまり古げな集合住宅に高い金を払うより、住みやすい風土と新しい集合住宅のある台中に移動するのです。

さて、台北について、バスの車窓で、台北101の前広場からちょっとの間街を撮ります。





見たことない車のテールと三越の風景。



台北に着くと、日本の東京の真ん中にいるのと同じ感覚を覚えます。



しかし、メインストリートはそうですが、ちょっと外れるとこのような古げな集合住宅の羅列となります。



相変わらずのバイクの群れ。

有名な金品茶楼で飲茶の昼食。




日本とそう変わりない飲茶ですが、有名店の食事なので家内はとりあえず満足。

一路北へ、新北市、十分(シーフェン)、九分に向かいます。(九分の分には人ベンがつくらしい。 その理由はよくわからないが後で九分から変化したらしい? フォントにないから分にしておきます。あしからず。)



本ツアーのクライマックス天燈上げです。天燈はテントウで、中国読みではテンダンになります。なにかランタンとよぶことが多いようです。



台湾鉄路管理局平渓線の駅、十分駅から一時間に一本の列車が町中を通るのですが、その間をぬって天燈上げをするのが定番観光です。





我々も天燈上げの老舗で天燈上げをやります。



願い事を書いて、同じツアーのカップルと4人で天燈を上げます。皆さん世界が平和でありますようになどと書いていましたが、当方は<家族の幸せを願う>と小さくて利己的な願いにしました。



中の火が消えると落ちて来て、これを拾い集めると回収料がもらえるようです。
今回の旅はちょうど台湾に線状降水帯が通過するタイミングにあたり、天候は全行程絶望的で天燈上げも出来ないだろうと予測していたのですが、当方の<超晴れ男>の御利益により、殆ど雨に降られずに天燈上げまでこぎつけました。天燈上げが終わって九分に向かう途中で、ものすごい線状降水帯らしい土砂降りとなりました。我々は十分、九分は前回の台北旅行で経験しているので、二回目の天燈上げが終わればあとはどうでもいい。しかし、次の日の午前、貴重なフリータイムには雨が止んでいるという<超晴れ男>の御利益は続いていたようです。


土砂降りの九分

この上に、宮﨑 駿さんの<千と千尋の神隠し>の構想のもとになった料亭があります。我々はパス。
土砂降りの中、カフェに逃げ込んで、びしょびしょの服を脱いでキンカンジュースをいただきます。





当方はちょこっと九分の店を回って、今回の旅で唯一のお土産を買いました。500円のキーホルダーだけ。

さて、台湾最後の夜はグランドハイアット台北。






グランドハイアット台北は台北101がすぐそばというのが売りの一つ。



今日は台湾最後の夜ですから、台湾のお酒とおつまみで、一夜を過ごそうと思い、近くのコンビニに行ったのですが、まともなお酒がありません。仕方なく買ったものは、ワンカップ月桂冠でした。


手前がグランドハイアット台北、向かいが台北101


朝食、台湾で食事でのお勧めは、スイカ、バナナ、タケノコです。




グランドハイアット台北の玄関を見下ろす、台北101に続く渡り廊下。



さて、このブログの最初に登場した、台北信義区 四四南村は台北101から歩いてすぐ。



春村文物館は四四南村の記念館、無料です。



当時の部屋の様子は日本の昭和レトロです。こんな部屋が10室ほど展示されています。







訪ねる人はパラパラで、店の人は暇そうにしています。



近くの眷村文化公園では色々な運動器具が設置されているのが印象的。高齢者の健康にはこういう施設が無料で使えるのはいいことだと思うのですが、日本では事故を起こしても自己責任という具合にいくだろうか?



四四南村からちょっと行くと、市場があります。夜は夜市の飲食店、朝は朝市の総菜のお店。






タケノコです。これがおいしい。





さて、台北101に入ってみます。ここは台北のビジネス拠点であって、観光地的場所は一部にすぎません。入り口も簡素な雰囲気です。

展望台へは89階までエレベーターで行きます。外人価格は高くて9000円程度、ぎょっとするけどここまで来て後へは引けない。エイヤとエレベーターに乗ります。


グランドハイアット台北を上から見下ろす。



年越し時にはこんな光景にもなるようです。



展望台のカフェで一服。



台北101の上層部(87階~91階)の中心につり下げられている重さ660トンの制振装置「チューンドマスダンパー(TMD)」、これが地震の時や大風の時ゆらゆら揺れて制振するそうです。



これは台北101の「チューンドマスダンパー(TMD)」のキャラクター「ダンパーベイビー」



台北101の味気ない入り口でのショットが台湾での撮影の最後です。
最後に台湾でのお土産のベストをご紹介します。最も評判が良かったのはメンマ。
メンマとシナチクは同じ意味。竹は竹でも麻竹という品種のタケノコを乳酸発酵させ、さらに味付けした物が、日本でメンマとして食べられています。台湾ではラーメンの上に載せるのではなく、おつまみや色々な料理の素材です。メンマだけでなく、台湾のタケノコは美味しい、だんぜん推薦です。日本で売られている生のタケノコは「孟宗竹(もうそうちく)」のタケノコで、台湾でも同じようなタケノコが市場で売られているので、そう違いはないでしょう。

さて、台湾の旅の総評です。当方の旅行記は行き帰りがごちゃまぜで、支離滅裂。書き直そうと思ったけれど、台湾自体が支離滅裂な国であるので、ちょうどいいからそのまま載せます。台湾がオランダから独立したのがおよそ360年前、中華民国としてまとまったのが約80年前。日本が現在の台湾産業の根本をずいぶんと構築している。現在は中国の一部でありながら、独立しているようでしていないようで。伝統もあるようでないようで。ほら支離滅裂でしょう。現代一般日本人の台湾の理解も薄っぺらな局所的なものにすぎません。台湾から日本に訪れる人は年間500万人、日本は親和性が良くて、楽しい所。一方、日本から台湾を訪れる人は以前年間150万人だが現在60万人くらい。 台湾の表記は漢字と英語、日本語は皆無。ちっとも話が通じなく、表示もさっぱり分からない。早く落ち着いて、隣国の関係が築けるといいと思うのですが。今後の日本と台湾の関係は全く見通せない。家内はまた台湾に行きたいと申しております。

くそつまらない旅行記になってしまいました。すみません。

テレビで与那国、石垣、宮古、先島列島における、台湾有事に対応するための、島民避難プラン、ミサイル設置、シェルター設置、基地整備増強、港湾整備等々の動きを報道していました。首里城下の日本軍の地下基地の公開に向けての動きと大戦における沖縄戦の実態報道が続きます。ウクライナとロシア、パレスチナとイスラエルの現状がオーバーラップします。

子供の犠牲は避けなければ、戦争はやってはならない、世界の平和を願う。そりゃそうだ。そうに決まっている。そう言い続けることも重要であるが、それだけではどうしようもない。

国の行動には国民全員に責任がある。個人は全員当事者なのだ。国の行動が意に反しても個人の国に対する責任は逃れられない。個人一人ひとりに現状を作っているという覚悟が必要だ。

個人は万策尽きて、それでも国の行動が意に反した場合、国を捨てるという選択肢もありだ。ドイツ、ベルリンのユダヤ博物館の亡命かホロコーストを選択する傾斜のある2つの坂道を思い出す。心の底にはこの坂道がいつもある。この坂道に至らないように、考えろ、考えろ、1mmでも行動せよ、行動せよ。人生は難しいに決まっている。




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再び台湾の旅 その2

2024-06-18 16:13:40 | 写真日記
再び台湾の旅 その2
さて高雄の朝、バスで台南まで走って、高鉄に乗ります。
バスからの高雄の街の光景
高雄医学大学は台湾医学系大学の中でもランクの高い大学のようです。この影響もあるのか高雄には何故か病院、クリニックの多い気がします。やたら看板が目につきます。





扱っている病気が羅列していますが、これがどんな病気か、これはクイズです。



日本企業の痕跡が随所に見られます。



このバスから撮った写真、ぱっと看板をみてどんなお店か判断できるかクイズです。このようにわかるようでわからない看板がずっと続くと、これまた何か不思議な欲求不満に陥る。



高雄の郊外にでると、工場地帯が続きます。
台湾の産業構造は、農業などの第一次産業の率は1.6%と低く、農産物は輸入に頼る。70%を占めるのが第3次産業(サービス産業:商業、飲食、金融etc)で一見先進国の様相ですが、最近はTSMCに代表されるように製造業が拡大傾向にあるそうです。台湾積体電路製造(TSMCは世界最大の半導体受注生産会社、世界の半導体の半分以上を生産)で、拠点は新竹市(桃園市の西となり)にありますが拡大中、高雄にも進出中であり、なんと日本の熊本にも進出中です。日本は大慌てで、つい最近半導体の新会社を政府肝いりで作りました。このツアーに参加している女性は旦那がビジネスの関係で高雄に赴任していたという。高雄は昔も今も日本との関係が深いようです。
台南市に近づくと道々からはヤシの木が生えた、あるいはバナナ畑のある農地と工場のミックスした風景が続きます。



高雄からでなく台南から新幹線に乗ります。理由は良くわかりませんが、バス移動で渋滞すると、新幹線に乗り遅れたらえらいことになるので、バッファーを設ける必要があるのだと当方は解釈しています。実際、高雄市内は朝から渋滞していました。



こんなところが台南市の街の風景でしょう。



台湾では、なにか香港的な時代物の集合住宅が密集するのが特徴です。畑の間際まで古げな集合住宅が迫っていて、台湾は土地がないから集合しなければという概念がしみ込んでいるようです。
ほらこのバスの窓の傷、ひどいものです。



朝食は外で、バイクが必需品というのが、台湾流。バイク王国です。



台湾は10人に6人はバイクを持っているそうで、元は本田技研のバイクでしたが、現在は本田技研と提携している台湾の企業、2社が作っているそうです。車も日本車が多く(70%以上)、自家用車のメーカーの比率は日本とそっくり、レクサスから本田、スバルまで色々、フォルクスワーゲン、BMWも走っています。中国本土の自動車は現状EVバスが中心で拡大中。台湾の自動車メーカーは裕隆汽車など、韓国ヒュンダイも走っているそうですが、 自家用車は日本車が中心で、日本そっくり。
台南では市内観光と称して孔子廟によります。



孔子の好きな家内が記念写真を所望。



孔子廟の参道のような、観光客目当ての道にはいりますが、朝早いのでお店が全て閉まっていて、なにやら実態はわからず。





早々に台南新幹線駅に着きます。台南の市内観光と言っても、新幹線時間に遅れない為のバッファーという位置付けで、台南市内の様子もよくわからないまま、新幹線に乗ります。


コンビニ・オデン



いつも時間に追われて、構内のコンビニでオデンだのカップラーメンだのを写すのが精いっぱい。



台湾高速鉄路(略称:高鉄)は日本の新幹線技術の輸出ケースで全長345km、最高時速300km/h ノンストップ便だと全行程1時間30分。東海道新幹線だと東京―名古屋間にちょっと足りないくらい。



台南を出ると、相変わらず、田んぼにバナナ畑と隣接する集合住宅群の風景が続きます。こちらのお米の田んぼは三毛作が出来るのだけれど実質二毛作だそうです。この米作りも日本統治時代に実質日本が元を作っています。台湾産日本米は改良されてどんどん美味しくなり、日本にも輸出されています。




台湾のバナナはお勧め、とてもおいしい。

蒋介石と共に台北に渡った人は中国北方の人で、麺食が中心だったために、日本統治時代の米食と麺食が拮抗して、現在も半々に拮抗している。これで台湾が韓国や日本みたいに一極集中に落ちいらない理由が分かった気がします。蒋介石の多量な一群が台北を占拠すると、それまでの台湾人は南に移動した。それに先住民族は現在2%、53万人存在し(ちなみに日本のアイヌ民族は1.3万人)、中央山脈から東側に住む(ちなみに当初日本軍は山にこもり危険だった先住民族を殺しているらしいが、あまり記述がない。戦時中は彼らを高砂族といい、戦いに参加させ、彼らの活躍が記録されている)。台湾人は結構色々な集団があり、生活様式と言おうか、根っこが違う、生活の好みが違う、むしろ密かに反発しあう人たちがいるわけで、一極集中にならないのだと推測します。
その地域を支配した人々が、先に住んでいた人を先住民族とか原住民族とか言って、後から来た人を移民とか言って、忌み嫌う。日本では奈良時代に「蝦夷(えみし)」と呼ばれた人々は、東北に住んで、中央と著しく生活・文化様式が異なる人々で、中央はとても長い間、蝦夷討伐に大きなエネルギーを割いてきました。北方の蝦夷として特別視され、平安中期以降には、これが「蝦夷(えぞ)」とよばれるようになりました。大陸からの侵入者、彌生人が原住民の縄文人を虐殺したり同化したりして現在にいたり、どうしても組せずに山岳地帯にすむ人々を蝦夷(えみし)といい、中央の討伐に追われて北海道に渡った縄文人の末裔がエゾさらにアイヌと考えられるのですが、そう言えるかどうか、定かでありません。アイヌの文化はあまりに不思議で、中央とあまりにもかけ離れています。 東北地方に行くとエミシと彌生人系譜ヤマト中央政権の壮絶な抗争の歴史が生々しくあちこちにある事は、ほとんどの東京人は知らないに違いありません。ましてや、台湾の先住民族と中国本土からの侵入者、さらにその後の蒋介石一団の侵入者の抗争の物語なぞ、大半の日本人は知る由もない。そして、これからは新しく始まる日本の移民者と現在の日本の支配集団とのバトルが始まるのです。ただ先か後か、支配してメジャーになったか、マイナーかの違いなのです。人は自分と違ったものを嫌うという、足り前の習性なのです。
ちなみに台湾への移民は都南アジアや中国本土からやってきた人で、新住民といい。台湾人口の2.5%になっている。女性が圧倒的に多く台湾女性の5.3%が新住民。<新南向政策>といって南方との関係強化の政策をとっている。実際、外国人労働者らしき方々によく出会う。日本の移民割合は1.7%。


ついでに、当方の京都でのバイオベンチャー経営7年の経験から、東京では考えもしない、大陸と日本の関係の歴史を知って、物の見方が変わったことをお伝えしておきます。大陸からの波状的にわたってくる渡来人の影響を日本はもろに受けていること、というよりは波状的渡来人の重層で日本人が出来上がったこと。それまで東京にいて、気にもしなかったことで、京都で叩き込まれたことを羅列する。唐招提寺は聖武天皇に招かれて唐から渡ってきた鑑真[がんじん]和上が 759年に建立した。比叡山延暦寺を創建した最澄(さいちょう)のお父さんは琵琶湖のほとりに住む渡来人であった。楽焼の創始者、長次郎のお父さんは渡来人であった。日本の国宝第一号広隆寺の弥勒菩薩は朝鮮から持ち込まれたものであった。琵琶湖東岸の百済寺(ヒャクサイジ)は2mもあった聖徳太子の勅願により建てられた。667年天智天皇は近江大津
宮に遷都したが、その理由は朝鮮から攻められるのが怖かったから。京都高麗美術館館長は、司馬朗太郎と裏日本に旅にでると電話帳をめくって朝鮮の痕跡を探す。京都から移動した渡来人の系譜が裏日本に分散しているのです。電話帳には百済、新羅などもろに朝鮮の系譜を示す名前が数多く電話帳に載っている。埼玉県高麗(こま)地区は朝鮮からの渡来人部落をまとめるために高麗から招かれた高句麗の王が治めた。このはっきりした家系図を持つ高麗渡来人の末裔が高麗神社(コマジンジャ)の住職です。何故か高麗神社には総理大臣を目指す人々が参拝する。若槻礼次郎、濱口雄幸、斎藤實、平沼騏一郎、小磯国昭、鳩山一郎など後に総理大臣となった―――――――――――――――――――――――。(10~15年前の記憶で書いていますから、間違っていたらごめんなさい)。

さて、台南を出発すると直ぐ嘉義を通り過ぎます。嘉義は行きにバスで寄っています。

ここで昼食をとりました。(これは旅程の行きの話で、帰りの新幹線から降りているわけではありません。)



鶏肉飯が売りの料亭です。



特に豪華でもない、市民的な料亭ですが、ここの料理が今回のツアーで一番おいしかったといおうか、ここだけが端突に美味しかったと言おうか。



特に豪勢な材料を使っているというわけではないのですが、次々に出てくる料理の味が鶏肉飯に限らずとてもよかった。



台湾ビールもここで初めて出会って、感激したのです。

次に新幹線は台中を通過します。台中は現在、台湾の居住地域として一番人気。
以下の話も行きの旅程の話で、新幹線から降りているわけではありません。台中は行きのバス行程での最初の宿泊地でした。



ホテルからの眺めはいかにも増加している居住地らしい、比較的新しい集合住宅の町並みが見えます。



ただの街中の風景を載せます。




台中国営榮徳国営中学校



台中で一泊の後、台中観光。



台中市内観光、巨大な布袋様のある宝覚寺。わらう金色の布袋様なのですが修復中で現在は金色ではありません。台湾が日本統治時代であった時に建立されたお寺です。台湾にありながらも、なんと臨済宗の妙心寺派のお寺。同時に台湾仏教のお寺でもあるので、台湾のような日本のような不思議な雰囲気の境内です。上の写真の石灯籠も日本が作った名残です。



ここを訪れるのは日本人観光客ばかりだそうです。



台湾の朝食は外で食べるのが普通。
行きの行程、台中から高雄への途中、何故かかなり大きく東に寄り道して、中央山脈の中腹にある湖、日月潭(リーユエタン)に向かいます。台湾最大の観光地のひとつで標高700メートルにある美しい淡水湖として観光定番地のようです。名前の由来は湖が日と月の形をしているというのですが、岸から見てもよくわかりません。定番の湖畔の文武廟によります。



1932年、日月潭の水をダムに引くことになりましたが、これによって水没の危機に瀕した湖畔の龍鳳廟と益化堂が文武廟として現在の位置に移設再建されたのです。工事は4年の歳月をかけて、1938年に完成しました。とのことです。













さて、新幹線は台中を過ぎ一路、最終地、台北に向かいます。

次回は台中から台北へ。

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