申命記
6:10 あなたの神、主が先祖アブラハム、イサク、ヤコブに対して、
あなたに与えると誓われた土地にあなたを導き入れ、
あなたが自ら建てたのではない、大きな美しい町々、
6:11 自ら満たしたのではない、あらゆる財産で満ちた家、
自ら掘ったのではない貯水池、自ら植えたのではないぶどう畑と
オリーブ畑を得、食べて満足するとき、
6:12 あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出された主を
決して忘れないよう注意しなさい。
6:13 あなたの神、主を畏れ、主にのみ仕え、その御名によって誓いなさい。
6:14 他の神々、周辺諸国民の神々の後に従ってはならない。
6:15 あなたのただ中におられるあなたの神、主は熱情の神である。
あなたの神、主の怒りがあなたに向かって燃え上がり、
地の面から滅ぼされないようにしなさい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
11節の始めは極めて重要です。
なぜなら沃地で与えられたすべてのものは、
「自ら満たしたのではない」からです。
つまり私たちが今与えられている家庭、職場も神から与えられ、
「自ら満たしたのではない」のです。
しかし、いつの間にか自分の力で得たかのように錯覚してしまうのです。
つまり思い上がってしまうのです。
それが原因で神との関係を自ら断ってしまうことになります。
キルケゴールは、このような私たちが生きていく職場など、
「この世とキリスト信仰を結び合わせるものは、ただ一つ感謝だ」
といいますがその通りです。
神から与えられた感謝だと受け取らないと神を冒涜することになります。
K・バルトも「神が与えたもう栄誉を感謝と謙虚さをもって
受け取らなければならない」といいます。
12節もこの言葉は重要です。
「導き出された主を決して忘れないよう」ですが、
これは救済の原点です。
私たちは神の圧倒的な神体験による、
回心を経験して真のクリスチャンになれます。
それこそが「私たちが救われた」ことなのです。
そこにいつも戻るのであれば、キルケゴールやバルトがいうように
「感謝」しかあり得ません。
そしてそれは「あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出された」
からに他ならないからです。
他の訳では「贖い出された」ともありますが、ゴーエールということです。
まさに真のゴーエール(贖い主)としてのイエス・キリストの体験です。
エジプトでは全生活が奴隷そのものでしたが、
私たちもこの世の業に奴隷状態になってはいませんか。
この世に縛られていませんか。
私も最初の頃、保険ビジネスが成功し始めるとマネと名誉に
縛られた状態でした。
そこから贖い出されるのには神の介入なくしてはあり得ませんでした。
イスラエルの民も神の介入があって
悲惨な奴隷のエジプトから脱出できたのです。
私たちも脱出は神の業であることを知らなければなりません。
しかし、忘れてはならないことは、
私たちの原点は砂漠にあるということです。
何よりも第一に神の前に立つ荒れ野において、
神を体験することが必要です。
私はそこに導く、最高の早道が断食祈祷だと確信しています。