日本の今後を決める衆議院総選挙が終わりました。
今回も戦後ワースト3に入る選挙投票率(56%)で、
多くの国民は政治参加を放棄し、無責任国民と成り果てました。
そして国民は、悶々として諸物価が上がる中で
苦しんでいる日々を送っていくのです。
読売新聞は社説で「自公は、2012年の政権復帰以降、
経験したことのない逆風にさらされた。
大幅な議席減は、政治とカネの問題に象徴される、
長期政権の 驕(おご) りや緩みに対する
国民の不信感を反映した結果と言えるのではないか。」
と書いていますが、果たしてそれだけでしょうか。
それよりも深刻なのは日本経済が想像以上に衰退し、
それを止める政治、経済の指導者がいないことの方が深刻です。
つまり決定的な第二の敗戦を迎えていることです。
今回の選挙で明らかになったことは、
与野党の候補者が日本の経済復興や日本の長期ビジョンを
何も語っていないことです。
そして目の前のばらまき、その場しのぎの政策ばかりを提示しているのです。
しかも、太平洋戦争末期と同じく日本の敗戦濃厚なことを
ひたすら隠してきたと同様、
日本経済は深刻な問題を抱えていることを政治家も経済指導者も直視し、
真摯に対応していません。
経済評論家野口氏がそのようなことを
東洋経済誌に連載しておられますのでその一部を紹介します。
・・・1980年代の後半には、日本の1人当たりGDPは、実にアメリカの1.5倍になっていた。これは、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われていた時代のことだ。だが、2023年における日本の1人当たりGDPは、アメリカの約7割程度でしかない。いまとなっては、日本がアメリカより豊かであり、しかも5割も豊かであった時代があったことが信じられない。しかし、このような時代は、実際にあったのである。その後、中国の工業化とIT革命という世界経済の大きな変化によって、日本の相対的優位性が崩され、日本とアメリカの1人当たりGDPの比率は低下した。それでも、2000年における値は1を超えていた。2000年は、沖縄でサミットが行われた年だ。日本は、この時、参加国中で最も豊かな国だったのである。ところが、2023年に広島で行われたサミットにおいては、日本の1人当たりGDPは参加国中で最低になってしまった。この20数年の間に、極めて大きな変化があったのだ。しかも、日本の地位の低下は、その後も止まらずに続いている。この状況が続けば、未来の日本は、さまざまな面において、大きな困難に直面せざるをえないだろう。1980年代に「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と称された日本が、その後、世界における地位を下げたのは、1980年代、1990年代に生じた大きな世界経済の構造変化による。なかでも重要なのは、中国が工業化に成功したことだ。そして、情報関連技術において、IT革命と呼ばれる大きな変化が生じたことだ。このいずれに対しても、日本は適切に対応することができなかった。それに加えて、政府の政策や企業が対応を誤ったのだ。つまり、やりようによっては、中国工業化やIT革命に対して、対応が可能だったはずなのである。それだけでなく、こうした条件変化を利用して、新しい経済成長を実現することができたはずだ。そうした対応に実際に成功した国・地域を、いくつも挙げることができる。アジアにおいては、韓国、台湾、香港、シンガポールがその例だ。それに対して、日本の地位は、この間に低下を続けた。新しい技術も、革新的なビジネスモデルも現れなかった。こうなってしまったのは、円安や金融緩和といった目先の政策に終始して、新しい技術の開発やビジネスモデルの導入、あるいは人材の育成といった問題をなおざりにしたからだ。今回の総選挙においても、アベノミクスの見直しが主要な争点になってしかるべきだった。実際、石破首相は、かねてアベノミクスの再点検が必要だとしていた。しかし、総選挙ではこの問題を封印してしまった。また、不思議なことに、野党からも、この点についての突っ込んだ議論はなされなかった。金融正常化とは金利を引き上げることであり、それは金利負担を重くすることであり、借入人の負担を重くするから望ましくないという考えが支配的だからだ。実は、低い金利を続けることこそが、日本経済にとっての大きな問題なのだ。しかし、そうした議論はまったく行われなかった。つまり、日本経済にとっての最も重要な論点が、今回の総選挙においては論議されなかったことになる。事態はすでに深刻なレベルにまで達している。それにもかかわらず、政治は、この問題から目をそらしている。国民も目を覚まさない。この状態を打破するには、いったいどうしたらいいのだろうか? ・・・・
(東洋経済241027)
私は野口氏の読者への問いかけに対して、旧約聖書の哀歌を想起しました。
南王国ユダが滅んでいく中で預言者エレミヤが歌った哀歌です。
哀歌
4:16 主は御顔を背け/再び目を留めてはくださらない。祭司らは見捨てられ/長老らは顧みられない。
4:17 今なお、わたしたちの目は/援軍を求めていたずらに疲れ/救ってはくれない
他国をなお見張って待つ。
4:18 町の広場を歩こうとしても/一歩一歩をうかがうものがある。終りの時が近づき、わたしたちの日は満ちる。まさに、終りの時が来たのだ。
打破する指導者は出ない、というのが哀歌でエレミヤが預言した言葉です。
石破首相は一応、洗礼を受けたクリスチャンです。
この哀歌も読んでおられるはずです。
佐藤優さんが石破首相に期待を寄せた言葉が実現できるように祈るのみです。
(※週刊ダイヤモンド誌に寄稿されていますので、後日、論考します)
そして反石破を組み、石破さんを引きずり下ろし、
再び安倍氏のような愚かな指導者が出れば、
哀歌を歌ったエレミヤの預言は実現し、
おそらく日本の終焉は下記のごとく迎えることでしょう。
歴代誌下
◆ユダの王ゼデキヤとバビロン捕囚
36:11 ゼデキヤは二十一歳で王となり、十一年間エルサレムで王位にあった。
36:12 彼は自分の神、主の目に悪とされることを行い、主の言葉を告げる預言者エレミヤの前にへりくだらなかった。
36:13 彼はまた、神の名にかけて彼に誓わせたネブカドネツァル王に反逆し、強情になってその心をかたくなにし、イスラエルの神、主に立ち帰らなかった。
36:14 祭司長たちのすべても民と共に諸国の民のあらゆる忌むべき行いに倣って罪に罪を重ね、主が聖別されたエルサレムの神殿を汚した。
36:15 先祖の神、主は御自分の民と御住まいを憐れみ、繰り返し御使いを彼らに遣わされたが、
36:16 彼らは神の御使いを嘲笑い、その言葉を蔑み、預言者を愚弄した。それゆえ、ついにその民に向かって主の怒りが燃え上がり、もはや手の施しようがなくなった。
36:17 主はカルデア人の王を彼らに向かって攻め上らせられた。彼は若者たちを聖所の中で剣にかけて殺し、若者のみならず、おとめも、白髪の老人も容赦しなかった。主はすべての者を彼の手に渡された。
36:18 彼は神殿の大小の祭具のすべて、主の神殿の宝物も、王とその高官たちの宝物も残らずバビロンに持ち去った。
36:19 神殿には火が放たれ、エルサレムの城壁は崩され、宮殿はすべて灰燼に帰し、貴重な品々はことごとく破壊された。
36:20 剣を免れて生き残った者は捕らえられ、バビロンに連れ去られた。彼らはペルシアの王国に覇権が移るまで、バビロンの王とその王子たちの僕となった。
36:21 こうして主がエレミヤの口を通して告げられた言葉が実現し、この地はついに安息を取り戻した。その荒廃の全期間を通じて地は安息を得、七十年の年月が満ちた。
36:11 ゼデキヤは二十一歳で王となり、十一年間エルサレムで王位にあった。
36:12 彼は自分の神、主の目に悪とされることを行い、主の言葉を告げる預言者エレミヤの前にへりくだらなかった。
36:13 彼はまた、神の名にかけて彼に誓わせたネブカドネツァル王に反逆し、強情になってその心をかたくなにし、イスラエルの神、主に立ち帰らなかった。
36:14 祭司長たちのすべても民と共に諸国の民のあらゆる忌むべき行いに倣って罪に罪を重ね、主が聖別されたエルサレムの神殿を汚した。
36:15 先祖の神、主は御自分の民と御住まいを憐れみ、繰り返し御使いを彼らに遣わされたが、
36:16 彼らは神の御使いを嘲笑い、その言葉を蔑み、預言者を愚弄した。それゆえ、ついにその民に向かって主の怒りが燃え上がり、もはや手の施しようがなくなった。
36:17 主はカルデア人の王を彼らに向かって攻め上らせられた。彼は若者たちを聖所の中で剣にかけて殺し、若者のみならず、おとめも、白髪の老人も容赦しなかった。主はすべての者を彼の手に渡された。
36:18 彼は神殿の大小の祭具のすべて、主の神殿の宝物も、王とその高官たちの宝物も残らずバビロンに持ち去った。
36:19 神殿には火が放たれ、エルサレムの城壁は崩され、宮殿はすべて灰燼に帰し、貴重な品々はことごとく破壊された。
36:20 剣を免れて生き残った者は捕らえられ、バビロンに連れ去られた。彼らはペルシアの王国に覇権が移るまで、バビロンの王とその王子たちの僕となった。
36:21 こうして主がエレミヤの口を通して告げられた言葉が実現し、この地はついに安息を取り戻した。その荒廃の全期間を通じて地は安息を得、七十年の年月が満ちた。