序・質問
1・正直なところ、私は本当に、断食と祈りによってどのようにして、神を求めればよいのか分かりません。私は教会に行き、聖書を読み、少しは祈ります。しかし、それだけなのです。
2・断食して祈ってみたいと思いますが、今まで一度も断食したことがありません。やはり、毎日、仕事できるのか気になります。
3・聞いてください。もし、いつも食べ物のことばかり考えていたら、仕事が手につかないのではないでしょうか。どうやって、神に栄光を帰し、神を礼拝することができましょうか。
4・本当は断食することに恐れを感じます。断食したら不機嫌にならないでしょうか。どうやって子供たちに対処すればよいのでしょうか。
おそらく、ほとんどのクリスチャンと同じく、あなたも断食について似たような心配をしていることだろう。あなたはこんなことを考えているだろう。
5・どうやって始めるのだろうか?全く食べ物を口にしないで、頑張なければならないのだろうか。もしそうならば、水だけ飲むのだろうか、それとも、他の飲み物を飲んでもいいのだろうか。ウォーキングやジョギングを続けてもいいだろうか。断食して祈り、神を求めることと、毎日の務めを果たすことを、どうすればできるのだろうか。断食の期間がお泡ったら、どうすればよいのだろうか。断食をすることによって、生活がどのようにかわるのだろうか。
この問いに対して、実践的な答えをみていくことにする。
そして安全で、なおかつ霊的に価値のある断食を実行する助けとなるように、
いくつかのガイドラインを提示したい。
断食の召し
断食と祈りへの最初のステップは、
自分が断食をする必要があるということに気づくことから始まる。
ここに記した断食の情報を読んで、断食して祈るようにという、
あなたに対する聖霊の「招き」だと考えていただきたい。
断食とその特別な霊的、肉体的恩恵について学べば学ぶほど、
聖霊は、より容易にあなたを断食と祈りへと促すことができるようになる。
私たちの内に働かれる聖霊が、大きな声で、
ドラマティックな方法で私たちに語り掛けることはほとんどない。
そうではなく、フィリピの手紙
2:13 あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、
行わせておられるのは神であるからです。
とあるように、
聖霊は単にあなたの目を開いて、断食の必要に
気づくようにされるにすぎない。
あなたは特別な方法で神を求めるようにと、
内側から駆り立てられているのを感じるかもしれない。
また聖霊は、あなたを断食と祈りへと召すための手段として、
無視できないような環境や、他の方法では
満たされないような絶望的なニーズを用いられるかもしれない。
【ブログ編集者から】
日本のキリスト教は、なぜか断食への恐れがありすぎます。
おそらく「断食祈祷」という言葉が先行し過ぎているからでしょう。
しかし、ビル・ブライト師は、
「自分が断食をする必要があるということに気づくこと」が第一歩である
とアドバイスされていますが、その通りなのです。
まず断食の素晴しさに気づくと新しい領域が開かれていくのです。
その手前で断食を恐れて逃げていたのでは
祝福の道を遠ざけていることになります。
まず、断食でも少食断食から始めて頂きたいのです。
その道先案内をする者が必要で、
私もそのはたらきがどのように可能なのか祈っているところです。