申命記
6:16 あなたたちがマサにいたときにしたように、あなたたちの神、
主を試してはならない。
6:17 あなたたちの神、主が命じられた戒めと定めと掟をよく守り、
6:18 主の目にかなう正しいことを行いなさい。
そうすれば、あなたは幸いを得、主があなたの先祖に誓われた
良い土地に入って、それを取り、
6:19 主が約束されたとおり、あなたの前から敵を
ことごとく追い払うことができる。
6:20 将来、あなたの子が、「我々の神、主が命じられたこれらの定めと
掟と法は何のためですか」と尋ねるときには、
6:21 あなたの子にこう答えなさい。
「我々はエジプトでファラオの奴隷であったが、
主は力ある御手をもって我々をエジプトから導き出された。
6:22 主は我々の目の前で、エジプトとファラオと
その宮廷全体に対して大きな恐ろしいしるしと奇跡を行い、
6:23 我々をそこから導き出し、我々の先祖に誓われたこの土地に導き入れ、
それを我々に与えられた。
6:24 主は我々にこれらの掟をすべて行うように命じ、
我々の神、主を畏れるようにし、今日あるように、
常に幸いに生きるようにしてくださった。
6:25 我々が命じられたとおり、我々の神、主の御前で、
この戒めをすべて忠実に行うよう注意するならば、我々は報いを受ける。」
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ここから神を試すということが出てきます。
そしてマサについてですが、
出エジプト記17章にある有名なメルバの争いです。
◆岩からほとばしる水
17:1 主の命令により、イスラエルの人々の共同体全体は、シンの荒れ野を出発し、旅程に従って進み、レフィディムに宿営したが、そこには民の飲み水がなかった。
17:2 民がモーセと争い、「我々に飲み水を与えよ」と言うと、モーセは言った。「なぜ、わたしと争うのか。なぜ、主を試すのか。」
17:3 しかし、民は喉が渇いてしかたないので、モーセに向かって不平を述べた。「なぜ、我々をエジプトから導き上ったのか。わたしも子供たちも、家畜までも渇きで殺すためなのか。」
17:4 モーセは主に、「わたしはこの民をどうすればよいのですか。彼らは今にも、わたしを石で打ち殺そうとしています」と叫ぶと、
17:5 主はモーセに言われた。「イスラエルの長老数名を伴い、民の前を進め。また、ナイル川を打った杖を持って行くがよい。
17:6 見よ、わたしはホレブの岩の上であなたの前に立つ。あなたはその岩を打て。そこから水が出て、民は飲むことができる。」モーセは、イスラエルの長老たちの目の前でそのとおりにした。
17:7 彼は、その場所をマサ(試し)とメリバ(争い)と名付けた。イスラエルの人々が、「果たして、主は我々の間におられるのかどうか」と言って、モーセと争い、主を試したからである。
ここでは神を試みることがどういうことか具体的に書かれています。
私たちの信仰は神に従うことを通して、
神は神であることを知ることができます。
しかし、試みるということは、
自分を主人公にするこということにほかなりません。
つまり神にこういうことをしてくださるなら信じましょうとなり、
主客転倒してしまうことです。
信仰は神の啓示により、神から受けとることです。