申命記
6:20 後になって、あなたの息子があなたに尋ねて、
「私たちの神、【主】が、あなたがたに命じられた、
このさとしとおきてと定めとは、どういうことか」と言うなら、
6:21 あなたは自分の息子にこう言いなさい。
「私たちはエジプトでパロの奴隷であったが、【主】が力強い御手をもって、
私たちをエジプトから連れ出された。
6:22 【主】は私たちの目の前で、エジプトに対し、
パロとその全家族に対して大きくてむごいしるしと不思議とを行い、
6:23 私たちをそこから連れ出された。
それは私たちの先祖たちに誓われた地に、私たちを入らせて、
その地を私たちに与えるためであった。
6:24 それで、【主】は、私たちがこのすべてのおきてを行い、
私たちの神、【主】を恐れるように命じられた。
それは、今日のように、いつまでも私たちがしあわせであり、
生き残るためである。
6:25 私たちの神、【主】が命じられたように、
御前でこのすべての命令を守り行うことは、私たちの義となるのである。」
(新改訳)
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20節以下は、「J資料でシナイ伝承といわれている信仰告白が挿入されたものだ」
と申命記で先駆的な研究で有名な
旧約聖書学者フォン・ラート(注・01)はいいます。
確かに信仰告白だと受け止めるべきです。
そして25節が新約の福音と直結する重要な言葉です。
御前でこのすべての命令を守り行うことは、私たちの義となるのである。
今からこの聖句を解説しますが、私も大発見でした。
1・聖書の「義」が分かったこと
2・日本教の根幹である「自然」を打ち破る「義」
の二つです。
私の大きな使命は
A・日本教からいかに脱出するのか
B・聖書の断食をどのように日本に定着させるか
C・断食祈祷を通して、日本にリバイバルをもたらす
ですが、申命記はまさにこれらすべてに解決を与える
聖句で満ちているということが分かってきました。
その筆頭が
御前でこのすべての命令を守り行うことは、私たちの義となるのである。
なのです。
旧約聖書学者フォン・ラート(注・01)
ゲルハルト・フォン・ラート(Gerhard von Rad, 1901年10月21日 - 1971年10月31日)は、ドイツを代表する神学者、聖書学者である。1901年にニュルンベルクに生まれ。1930年にライプツィヒ大学の私講師となり、1934年からイェーナ大学の教授、1945年からゲッティンゲン大学の教授、1949年からハイデルベルク大学の教授を歴任した。1929年の研究が、「申命記」の背後に潜む伝承と、「申命記」が全体的に前提にしているところの歴史的状況についての考察を表して有名になった。1938年の『六書の様式批評学上の問題』で、六書(モーセ五書+ヨシュア記)の編集史研究における先駆者になった。イスラエルにおける叙事的歴史的記述の起源について、かなり説得性のある仮説を構築したことである。(ウィキ)