バイブルランドin福井

安田由久が驚くべき聖書の世界をご案内します

主を決して忘れないように 02 満足は誘惑の始まり  

2024-04-28 04:00:00 | 聖書の中なかの聖書 申命記
申命記
6:10 あなたの神、主が先祖アブラハム、イサク、ヤコブに対して、

あなたに与えると誓われた土地にあなたを導き入れ、

あなたが自ら建てたのではない、大きな美しい町々、

 6:11 自ら満たしたのではない、あらゆる財産で満ちた家、

自ら掘ったのではない貯水池、自ら植えたのではないぶどう畑と

オリーブ畑を得、食べて満足するとき、

 6:12 あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出された

主を決して忘れないよう注意しなさい。

 6:13 あなたの神、主を畏れ、主にのみ仕え、その御名によって誓いなさい。

 6:14 他の神々、周辺諸国民の神々の後に従ってはならない。

 6:15 あなたのただ中におられるあなたの神、主は熱情の神である。

あなたの神、主の怒りがあなたに向かって燃え上がり、

地の面から滅ぼされないようにしなさい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これからイスラエルは沃地に入っていきます。

そこで唯一神に従う信仰を確立していきます。

旧約聖書学者、関根正雄氏は「アッシジのフランシス(注・01)は、

沃地の生活をしないが、イスラエルは沃地の生活をしていくように

私たちも沃地の生活の只中で、つまりこの世の生活を

しつかりしなければならない」と注解しておられます。

しかし、この解釈は間違いです。

下記のウィキにあるように彼の伝記を記していますが

長いので一部だけ紹介しましたが、沃地に入らなかったのではなく、

沃地で思う存分、その世界を知り抜いて、神を体験して、

それらすべてを棄てて神に従ったのです。

ですから関根氏の指摘は間違いなのです。

沃地にはいるのは、そこを避けるのと知り抜いて、入っていくのとは

天と地ほどの差があります。

むしろ私たちは避けるのではなく、知り抜いて、

そしてその世界を体験しないと役に立たないのです。

たとえば牧師が社会生活を経験していない方は話になりません。

信徒の機敏な心の動きを把握できないからです。

さて10-11節では、沃地はどのようなものかを述べています。

1・自ら建てたのではない、大きな美しい町々、

2・自ら満たしたのではない、あらゆる財産で満ちた家

3・自ら掘ったのではない貯水池

4・自ら植えたのではないぶどう畑とオリーブ畑

などです。

このような豊かな沃地のものを与えられると

11節「食べて満足する」ことから誘惑が始まるのです。


アッシジのフランシス(注・01)
(1182年 - 1226年10月3日)は、フランシスコ会(フランチェスコ会)の創設者として知られるカトリック修道士。「裸のキリストに裸でしたがう」ことを求め、清貧、 悔悛と「神の国」を説いた。中世イタリアにおける最も著名な聖人のひとりであり、カトリック教会と聖公会で崇敬される。また、「シエナのカタリナ」とともにイタリアの守護聖人となっている。父親はピエトロ・ディ・ベルナルドーネという裕福な毛織物商、母親はジョアンナもしくはピカという名でフランスの貴族の家の出であるとも伝えられている。この時期の都市に住む平民として、フランチェスコは高度な教育は受けなかったものの、少年期にラテン語の読み書きをサン・ジョルジュ教会の付属学校で学んだ。フランチェスコの青年時代は、富貴を問わず誰に対しても礼儀正しかったが、気前の良い散財家で、享楽的な生活を送っていたとされている。1205年、フランチェスコはイタリア半島南部のプーリア地方の戦争に出征する騎士に同行を申し出た。これは、戦功を立てて騎士に取り立てられることを目論んだもので、装備を整えた上で出立するが、アッシジ近郊のスポレートで彼は突然に引き返す。聖人伝は、このとき彼が幻視したか神の声を聞いたのだとしている。フランチェスコがどのように世俗を離れて神の道に生きることを決意したのかについて、順序関係に曖昧なところを残しながら、聖人伝は様々なことを伝えている。前述したスポレートでの幻視もしくは幻聴もそのひとつであるが、他にも様々なきっかけがあり、フランチェスコの回心は数年間の長いプロセスとして描かれている。ペルージャの捕虜時代であるのか、釈放後なのかは伝記によって異なるが、フランチェスコは大病を得て、そこから快癒して外に出た時、以前のように自然の美しさを楽しめなくなった自分を発見した。友人たちとの放埓な生活にも空しさを覚えるようになり、ときおり洞窟などに籠って祈りや瞑想を行うようになった。あるとき、それまでは近づくことを恐れていたハンセン氏病患者に思い切って近づき、抱擁して接吻した。すると、それまでの恐れが喜びに変わり、それ以後のフランチェスコは病人への奉仕を行うようになった。
ローマに巡礼に出かけて、乞食たちに金銭をばらまき、乞食の一人と衣服を取り換えて、そのまま乞食の群れの中で何日かを過ごしたという伝記もあるが、これは史実かどうか疑わしいとも言われている。アッシジ郊外のサン・ダミアノの聖堂で祈っていたとき、磔のキリスト像から「フランチェスコよ、行って私の教会を建て直しなさい」という声を聞く。これ以降、彼はサン・ダミアノ教会から始めて、方々の教会を修復していった。父の不在中、フランチェスコは商品を持ち出して近隣の町で売り払い、その代金をサン・ダミアノの下級司祭に差し出した。帰宅してそれを知った父親は怒り、家業の商売に背を向けて自分の道を進もうとする息子との間に確執を生むことになる。最後には、アッシジ司教の前で父子は対決するのだが、フランチェスコは服を脱いで裸となり、「全てをお返しします」として衣服を父に差し出し、フランチェスコにとっての父は「天の父」だけだとして親子の縁を切った。(ウィキの一部)

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