申命記
6:10 あなたの神、主が先祖アブラハム、イサク、ヤコブに対して、
あなたに与えると誓われた土地にあなたを導き入れ、
あなたが自ら建てたのではない、大きな美しい町々、
6:11 自ら満たしたのではない、あらゆる財産で満ちた家、
自ら掘ったのではない貯水池、自ら植えたのではない
ぶどう畑とオリーブ畑を得、食べて満足するとき、
6:12 あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出された主を
決して忘れないよう注意しなさい。
6:13 あなたの神、主を畏れ、主にのみ仕え、その御名によって誓いなさい。
6:14 他の神々、周辺諸国民の神々の後に従ってはならない。
6:15 あなたのただ中におられるあなたの神、主は熱情の神である。
あなたの神、主の怒りがあなたに向かって燃え上がり、
地の面から滅ぼされないようにしなさい。
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私たちの信仰の原点は、荒れ野に立つことだと
先回に述べましたが、その続きです。
私たちが沃地の侵ってしまい、
のほほんと豊かで楽をしていては、
神に出会うこともなく、神を体験することはまったく不可能となります。
神に出会うとは、モーセの体験したように
シナイの砂漠の只中に立たない限り、
永遠に出会えません。
砂漠の前に立つとは、自分をすべて捨て神の前に立つことです。
では具体的に私たちはどう受け取るべきか、
それぞれ神を体験する方法が異なります。
しかし、一つ言えるのはその神体験がなければ、
唯一の神を信じ、生きておられる神を知ることはあり得ないということです。
そして私たちが神を体験したら、その神の恵みを体に刻み込むことであり、
いついかなる時もそこの立ち返るべきだということです。
それが13節の言葉です。
あなたの神、主を畏れ、主にのみ仕え、その御名によって誓いなさい。
この13節のキーワードは「畏れ」です。
それは5節にありました
「あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」
を補っている言葉なのです。
5節は神への愛は、神への畏れも含むということです。
ゆえに14節は必然なのです。
6:14 他の神々、周辺諸国民の神々の後に従ってはならない。
ここで12,13節は「あなた」という単数ですが、
15節では、「あなたのただ中に」と複数で語っていますが、
これはある旧約学者が「あなた」と言う単数は神の側からの語りかけで、
「あなたがたは」の複数はイスラエルそのもの語られているといいます。
それは15節につながる重要な言葉となるのです。
6:15 あなたのただ中におられるあなたの神、主は熱情の神である。
私も牧師として25年間、それから伝道するために開いた
断食施設(藤樹の宿)で6年間、合計32年間で
確実に言えるのは、神を体験していないと極めて薄い信仰となり、
指導者である牧師にいとも簡単に
マインドコントロールされてしまう恐ろしいことが起こります。
ゆえにキリスト教会は、教会に神の霊が突入する
リバイバルを真剣に求めて祈らなければならないのです。
ウェールズのようなリバイバルを求めていけば、
申命記のこの箇所を正しく受け取ることができます。