バイブルランドin福井

安田由久が驚くべき聖書の世界をご案内します

カインとアベル 19 罪は絶対的なもの? 

2023-04-30 04:00:00 | 世界の初めを知ろう 創世記
創世記
4:9 主はカインに言われた。「お前の弟アベルは、どこにいるのか。」カインは答えた。

「知りません。わたしは弟の番人でしょうか。」

4:10 主は言われた。「何ということをしたのか。お前の弟の血が土の中からわたしに向かって叫んでいる。

4:11 今、お前は呪われる者となった。お前が流した弟の血を、口を開けて飲み込んだ土よりもなお、呪われる。

4:12 土を耕しても、土はもはやお前のために作物を産み出すことはない。

お前は地上をさまよい、さすらう者となる。」

4:13 カインは主に言った。「わたしの罪は重すぎて負いきれません。

4:14 今日、あなたがわたしをこの土地から追放なさり、わたしが御顔から隠されて、

地上をさまよい、さすらう者となってしまえば、わたしに出会う者はだれであれ、わたしを殺すでしょう。」

4:15 主はカインに言われた。「いや、それゆえカインを殺す者は、

だれであれ七倍の復讐を受けるであろう。」

主はカインに出会う者がだれも彼を撃つことのないように、カインにしるしを付けられた。

4:16 カインは主の前を去り、エデンの東、ノド(さすらい)の地に住んだ。


カインの罪についてある注解者は、罪は絶対的はなく、相対的なものだと指摘してありましたが、

私は罪は神との関係で絶対的なものだと思います。

しかし、それはイエスの十字架あっての話となります。

十字架の罪の赦しの福音なくしては罪の絶対性は浮かび上がることはないからです。

具体的な罪は、十字架を通さないと分からなくなり、焦点がボケてしまいます。

その例が、椎名鱗三(注・01)さんです。

赤岩栄牧師から洗礼を受けキリスト教作家として活動された方ですが、

多くの著作の中で罪の問題を次のように語っています。


・・・イエスはユーモアがあるので人生が

こんなに惨憺たる矛盾に満ちていてもその矛盾に生きていけるのだ。

溺れそうになってもわずかに口を波の上にしてパクパクと開いておれる。

そのゆるみがある。そのゆるみこそイエスの神のユーモアだ。・・・


ここでは罪は絶対と椎名さんは言いません。

そのあたりは日本人独自の罪の把握の仕方ではないでしょうか。


椎名鱗三(注・01)
1911年10月1日 - 1973年3月28日)は、日本の小説家である。本名は大坪 昇。貧窮の中に育ち、職を転々とした後、共産党に入るも投獄され転向。戦後、『深夜の酒宴』で独自の実存主義的作風を示して一躍脚光を浴び、第一次戦後派の代表作家と目された。その後キリスト教に入信、平凡愚劣な現実や生を肯定する宗教的作風に新境地を拓いた。


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新約聖書の世界 29 新約聖書の地理の基礎知識 14 パレスチナ 14  異邦人のガリラヤ 

2023-04-29 04:00:00 | 聖書入門 新約聖書
ガリラヤの北部は、「異邦人のガリラヤ」と言われていました。


マタイによる福音書
4:15 「ゼブルンの地とナフタリの地、/湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、/異邦人のガリラヤ、


ここは預言者イザヤの言葉からの引用です。


イザヤ書9章1節
しかし、苦しみのあった所に、やみがなくなる。先にはゼブルンの地とナフタリの地は、

はずかしめを受けたが、後には海沿いの道、ヨルダン川のかなた、異邦人のガリラヤは光栄を受けた。(新改訳)


イザヤがなぜ「異邦人のガリラヤ」という表現をしたのは、

その地に住んでいたイスラエルの民と移住してきた異邦人とが混血したことで、

民族としての純粋さが失われていたからのす。

そして後、ユダヤ人(ユダの人々)たちがガリラヤ地方に住む

イスラエル人を異邦人のごとく軽蔑するようになります。

しかし、イエスが宣教を開始された場所は、まさにこのガリラヤで、

しかも弟子たちをこの地から選んでおられます(イスカリオテのユダは別)。

また、イエスは「わたしはイスラエルの家の滅びた羊以外のところには遣わされていません。」

と明確に言われて、異邦人のガリラヤという扱いをされませんでした。

しかし、新約時代にはガリラヤの人たちはエルサレム神殿の礼拝に参加していますし、

現実の生活もエルサレムやユダヤ人たちに依存していました。

しかし、エルサレムからは離れていますので地域間格差あり、

イザヤ時代からの長年の差別感情も加わり、反勢力の土壌もなり、革命思想が強い地域でした。


ヨハネによる福音書
1:46 するとナタナエルが、「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と言ったので、

フィリポは、「来て、見なさい」と言った。


7:41 「この人はメシアだ」と言う者がいたが、このように言う者もいた。

「メシアはガリラヤから出るだろうか。


そのガリラヤでイエスは育ち、ここから福音宣教は始まったのです。


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「週刊朝日」の休刊が意味するもの 

2023-04-28 04:00:00 | 日本のゆくえ
5月末で創刊100周年を迎える「週刊朝日」(7万部)が休刊となります。

「週刊朝日」は朝日新聞社で毎日新聞の「サンデー毎日」とともに週刊誌の草分けであり、

伝統的な週刊誌として定評がありました。

休刊の原因はネットメディアで膨大な情報が溢れて、その勢いに押されているからです。

それと朝日新聞は「AERA」(5万部)を残すことにしましたが、

果たしてそれが正しい経営判断なのか怪しいものです。

週刊朝日の元記者である井上さんが「週刊金曜日」に下記のような記事を書いていました。


・・・新聞が書く「建前の事実」という虚構に対し、

新聞が書けない「ウラの真実」を『週朝』は書いてきた、

と私たちは自負している。私の企画は「10本に5本、6本……」と通るようになり、

お行儀のいい新聞記者が取材ビザの順番待ちをしているときに

裏ルートを使って湾岸戦争下のバグダッドに入ったり、

フィリピンの共産ゲリラ・新人民軍に同行ルポをしたり、新聞社の社会部にいては

絶対にできなかったことを編集長の度量でさせてくれた。

『週朝』は『朝日新聞』の解放区だった。『朝日』の中の「新聞第一」のエリート主義が、

この解放区を切り捨てたのだ。在籍中に〝週刊紙〟として創刊された『AERA』に対しては

「朝日エリート主義の権化」などと反発した同僚は多い。

今回、歴代編集長の何人かを訪ねて話を聞いたが、

返ってきた言葉は「新聞が正規軍だとしたら週刊誌はゲリラ。小回りが利く『週朝』が

『朝日新聞』を豊かにしてきた」(山口一臣・元編集長)、

「ジャーナリズムには異分子も要るし、経済的合理性以外のものも必要だ」
(永山義高・元編集長=現・開高健記念会理事長)

等々。・・とありました。


また別の週刊誌記者は、・・・出版界は確かにいま、紙からデジタルへの大きな流れのなかで、

書店はどんどん減っているし、紙の雑誌の部数は長期低落で、かなり厳しい状況にある。

週刊誌のような部数の大きな雑誌になると、その苦境の度合いも半端ではない。

この何年か、『週刊朝日』は読者高齢化にあわせて健康などの実用情報を増やすなど、

様々な取り組みを行ってきた。そうした努力のうえで、それにもかかわらず休刊というのは、

苦渋の決断だったに違いない。この決定が出版界全体に与える影響はかなり大きく深刻だと思う。

コミックの場合は、紙の雑誌の落ち込みをデジタルの伸びが補い、

全体としては拡大という流れになっているが、

紙の雑誌全体としてはそうでない。

勢いのある『週刊文春』でさえジリジリと部数を落としていることが象徴的と言えよう。

『創』2月号が出版界の特集だったため、この1カ月ほど私は大手出版社の現状を

毎日のように取材してきたが、例えば光文社の『FLASH』など、

いまやウェブの方が紙の雑誌の売り上げを上回っているという。

出版界全体をデジタル化の波が覆いつつあるのだが、

ニュースサイトでPVを稼いで収益につなげていく広告モデルにするのか、

サブスクリプトと呼ばれる課金型で行くのかなど、デジタル化もまだ試行錯誤の状態だ。


また3月3日には私たち健康産業ではなくてはならない雑誌「壮快」や


マキノ出版が負債総額15億円で民事再生とのニュースでした。


この記事で、倒産の理由は下記のようなものでした。

1・インターネットの普及

2・活字離れ

3・購読者の高齢化が進むなど主力雑誌の売り上げが落ち込み

4・年間売り上げが2004年、36億1800万円を計上が2022年2月期の年売上高は

約14億5600万円と半分以下に減少し赤字決算が散発して財務内容も悪化


週刊朝日も好調な単行本の売り上げが週刊誌につぎ込むことになって休刊を決断したとも言われ、

共通するのは、上記1~3が原因です。

この流れを止められないのであれば、手を引くしかないのでしょう。

しかし、何よりも残念なのは反権力を掲げた週刊誌が消えることです。

日本の良心がまた喪失するのはこの国の危機です。

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ユダヤ教・教師の役目 01 ラバイの役割を知るユダヤのジョーク集 01  

2023-04-27 04:00:00 | ユダヤの知恵・健康&断食
最初のジョーク

献金をどう使用するかは宗教の指導者では異なります。


1・カトリックの神父

地面に丸五円を描き、献金のおかねをポンポン入れて、円の中に落ちた者は教会のため、

円から外に出たものは私生活に使う


2・プロテスタントの牧師
できるだけ遠くまで一直線の線を引いて、お金を思い切っり投げます。

そしてあの線を超えたものは自分のために使い、手前に落ちたものは教会のために使う。


3・ユダヤ教のラバイ
お金を真上に放り投げます。

神様は天にいます。

必要な分は取られるからだ。

地面に落ちたものは、私が使います。


これには解説が必要です。

1の場合、神に依存するので配分を天に任せる

2は、自助努力で受け取る

3は、がめついので知恵を働かせて収入を自分のものにする



二番目のジョーク

ある金持ちのおじいさんが死後のために下記の3者に1万ドルづつ寄付をしました。

死ぬ寸前で3者にあの世でお金が必要になるかもしれないので、

死んだら2000ドルは返してくださいといいました。

さてそのおじいさんが亡くなりました。すると


1・カトリックの神父

約束通り、2000ドルを支払いますと棺の上にお金を置いて帰りました。


2・プロテスタントの牧師

1と同じようにしました。


3・ユダヤ教のラバイ

6000ドルの小切手を棺に入れて、中にあった4000ドルをおつりだからもらっていきます、と持ち帰った。


死者は小切手を換金できませんが、ラバイの世俗主義のジョークですが、

教師の権威がありつつも絶対視しない

絶妙なバランス感覚を表すユダヤ教指導者そのものを示すジョークでした。


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修道院の医学の本質 19 修道院医学の根幹 08 体と魂 02  戒めという軟膏

2023-04-26 04:00:00 | 修道院の断食・医術・ハーブ
5月初めで「古民家ファスティング藤樹の宿」は閉館しますが、

私は引き続き「バイブルファスティング」の普及のために働きます。

その意味ではこのブログで「修道院の医学の本質」を連載している意義があります。

日本の断食は、ヨガが大半を占めています。

ゆえに「バイブルファスティング」の普及など不可能ではないかと思いますが、

私はその起爆剤が、修道院の断食ではないかと確信しています。

さて、修道院の基盤を形成した聖ベネディクトゥスは、さらに治療剤を提唱しています。

それは

戒めという軟膏


その意味はこうです。

「自分の傷を見つけ出すこともなく、また他人の傷を教えてやることもなく癒す」手段なのです。

全身療法を行っていた神父は、患者に回復のきざしがみられなかったら、

魂の障害を疑った

解決は、告解

あるのみ。


「犯した罪の重荷が回復を妨げるからだである」と修道士は言います。

つまり魂の癒すことが 体を癒すこともあるということです。

また、「人間の感情と体の組織とのあいだには、

一般的にかんがえられているよりも、ずっと密接な関係がある」

からだとも指摘しているのです。

たとえた糖尿病のような代謝異常の病気は、人間の心の状態でかなり左右されます。


それは低血糖の患者はちょうとしたことで興奮するが、

正しくインシュリンを投与すれば心に平常に戻るし、

甲状腺異常のある女性はホルモンバランスで聖書上に戻るように、

「心と魂を癒そうとすれば、説教だけではなく、体が深く関わる。

スピリチュアルを指導する司牧者は体のことも深くしらなければならない」

と修道院では考えているのです。
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