バイブルランドin福井

安田由久が驚くべき聖書の世界をご案内します

家庭の幸福 31 しあわせな結婚生活 07 信仰にある夫婦の祝福を獲得する 

2024-07-31 04:00:00 | 聖書の家庭観
配偶者を疑ったり、裏切ったりしてはなりません。

たとえ後で償っても傷跡が残ります。

信頼を破れば、すべてを失います。

人はひとりで弱い者ですが、信頼できるものと歩めば、

心強く倍のことができるのです。

そのうえ信仰があれば、話し合い、ゆるし合い、助け合い、祈り合って、

どんなことが起きても乗り越えていくことができます。

そして互いに信頼に応えようとします。


コリント人への手紙上
13:7 すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。

エペソ人への手紙
4:32 互いに親切にし、憐れみの心で接し、神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように、赦し合いなさい。

コヘレト
4:9 ひとりよりもふたりが良い。共に労苦すれば、その報いは良い。
 4:10 倒れれば、ひとりがその友を助け起こす。倒れても起こしてくれる友のない人は不幸だ。
 4:11 更に、ふたりで寝れば暖かいが/ひとりでどうして暖まれようか。
 4:12 ひとりが攻められれば、ふたりでこれに対する。三つよりの糸は切れにくい。


【解説】
信仰が一つである結婚は、実に何にも代えがたい

祝福であることを私はこの47年間、経験して来ました。

私は3人目の妻なのですが、先回、述べましたように

環境も背景も違い、様々なことがありましたが、

3人ともクリスチャンとして出会い、主を信じる者同士の信仰結婚でした。

ゆえに主イエスの前に共に祈れる夫婦となりました。

それゆえに今回のテーマである

「どんなことが起きても乗り越えていくこと」ができました。

それを証すれば相当な分量になります。

ほんとうに夫婦で主の前に出て、祈れるというのは、

まことにまことに感謝に尽きないことです。

しかし、日本のキリスト教会では、信徒の7割は女性ですが、

その大半のご主人がノンクリスチャンであるというのが実態です。

おそらくご主人のために救いを真剣に祈っておられると思いますが、

日本の場合、どうも成功しているとはいえません。

その点、韓国のキリスト教会は違います。

日本と同じように女性がまず、クリスチャンになりますが、

そこから大きく違うのです。

まず夫が救われるまで断食祈祷をするのです。

「私はあなたの救いのために断食します」と宣言し、私が死ぬか、

あなたがイエスは主であると告白するか、あれか、これか

神の前に問うという決意の度合いが違うのです。

そして断食祈祷で夫だけではなく、

嫁いだ先の家族全員が救われるまで断食祈祷するのです。

ですから韓国では、断食祈祷院が2000以上もあるのです。

ようするに信仰にあって神の祝福を獲得するという覚悟、気迫が

韓国と日本では月とスッポンほど違うのです。

日本のご婦人クリスチャンがなぜできないのか。

その理由は日本教(=世間教)です。

夫になぜ私と同じ天国に凱旋しようと叫ばないのですか。

それを阻む日本教(=世間教)を祈りでなぜ退散させないのですか。

「あなた(=夫)は地獄にいきますよ」と断食祈祷をもって迫りましょう。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キリストの食卓 14 レビの家での食卓 04 徴税人レビ 04 レビの食卓風景 02 社会的ランクによって席順、食事の質、量が異なっていた 

2024-07-30 04:00:00 | キリストの食卓
ルカによる福音書
◆レビを弟子にする
 5:27 その後、イエスは出て行って、レビという徴税人が

収税所に座っているのを見て、「わたしに従いなさい」と言われた。

 5:28 彼は何もかも捨てて立ち上がり、イエスに従った。

 5:29 そして、自分の家でイエスのために盛大な宴会を催した。

そこには徴税人やほかの人々が大勢いて、一緒に席に着いていた。

 5:30 ファリサイ派の人々やその派の律法学者たちはつぶやいて、

イエスの弟子たちに言った。

「なぜ、あなたたちは、徴税人や罪人などと一緒に飲んだり食べたりするのか。」

 5:31 イエスはお答えになった。「医者を必要とするのは、

健康な人ではなく病人である。

 5:32 わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、

罪人を招いて悔い改めさせるためである。」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

イエスの時代の正式な食事会の光景ですが、

午後でしかも昼間に行われていたのです。

そして最初の前半は晩餐会で、後半は懇親会となり、

飲酒による飲み会が行われていました。

その時代のユダヤ社会では、晩餐会の冒頭で、家父長による

「祈りとパン裂き」が行われ、懇親会の直前に

「杯の祈り」が行われたのです。

原始キリスト教徒たちの集会も会食と懇親会がセットになっていて、

会食と懇親会の間に、リーダーによる説教がなされていたのです。

カトリック教会のミサを見ていると、

原始キリスト教徒たちの集会の様子が反映されています。

さて、イエスはレビの家に、正式に客として招かれていますので、

どの臥台に横たわって食事をしていたのでしょうか。

イエスの時代の晩餐では、社会的ランクによって

席順や食事の質や量が異なっていました。

レビはイエスの弟子になったのであり、

先生であるイエスを主賓として招いています。

ということは、中央奥の臥台が賓客用であったので、

中央奥の臥台にレビが横たわっていた隣にイエスが横たわっていたようです。

そして、左側の臥台が上級の客用の場所で、

右側の臥台が下級の客用の場所で、サービスに差があったようです。

イエスの弟子たちの序列に関しては、食事の様子から分かります。


ヨハネ福音書
13:23 イエスのすぐ隣には、弟子たちの一人で、イエスの愛しておられた者が食事の席に着いていた。
 13:24 シモン・ペトロはこの弟子に、だれについて言っておられるのかと尋ねるように合図した。
 13:25 その弟子が、イエスの胸もとに寄りかかったまま、「主よ、それはだれのことですか」と言うと、
 13:26 イエスは、「わたしがパン切れを浸して与えるのがその人だ」と答えられた。それから、パン切れを浸して取り、イスカリオテのシモンの子ユダにお与えになった。


この福音書の記事にありますように、中央奥の臥台には、中央にイエスが、

その左右には、イエスの愛しておられた弟子と、

イスカリオテのユダが、横たわっていたことが分かります。

シモン・ペトロは一番弟子ですから左側の臥台に横たわって

いたことが分かります。

ということは、イエスの弟子たちの序列は、1番が、

イエスの愛しておられた弟子、2番目がイスカリオテのユダ、

3番目がシモン・ペトロだったことが分かります。

ユダは何しろ会計責任者でしたから、

イエスの信頼はペテロより大きかった

と言うことが食事の様子からも分かります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

パスカルの最初の回心 02 最も重要なものを棄てる断ち切りに導かれた若きパスカル  

2024-07-29 04:00:00 | パスカルが私たちに語りかけるもの
パスカルの最初の回心は「ジャンセニスム」(注・01)

の影響を受けたデシャン兄弟でした。

彼はサン・シランの弟子でしたが、サン・シランの教えは、

大きな影響をパスカルに与えました。

キリスト者に向けて、徹底した悔い改めを迫り、

カルヴァンに通じた救いに入れられる人間と呪われて

地獄に落ちる人間の峻別を見据えた説教は多くの回心者を生み出しました。

そしてポール・ロワイヤル女子修道会を改革し、教勢は拡大していきました。

その忠実な弟子の一人であったデシャン兄弟は

若き22歳のパスカルに出会います。

パスカルは父の負傷と自分の病が深刻であることを知り、

死の覚悟をしたのですが、彼の熱心な説教でキリストの福音の神髄を知り、

キリスト信仰がリバイブしました。

姉はその頃のパスカルについて


「弟は24歳にならないうちに、神はみ旨をもって、

信仰書を読まなければならないような機会をおつくり出しになり、

この聖なる読書を通じて、弟の心に啓示を与えられ、神様以外の目標には、

何も持たないようにと教える宗教であることを、

弟は完全に理解するようになりました」と書いています。


これは私の場合もパスカルほどではありませんが、

43歳の時に聖書をとにかく読む無教会グループにいましたが、

残念ながらパスカルのようにではありませんが、

仕事第一にして、保険代理店に邁進していましたが、

韓国で聖霊を受けて、初めて「神様以外の目標には、何も持たない」

ところに導かれましたので、

飛行機で韓国から帰国する時にちょうど鈴鹿山脈の真上を通過した時に、

濃尾平野が一望できましたが、まるで世界が変わっていました。

保険営業で名古屋を制覇し、日本一になると息巻いて、

名古屋市を一望できる養老山地から

毎日、見ていた光景とは全く別次元の世界でした。


パスカルはすでに世界で初めての計算機を完成させ、

他にも様々な物理の実験、数学論文を多く抱えて、

名声が爆上がりする只中にいたのですが、

それらを全て断ち切ろうと決心していたのです。


「ジャンセニスム」(注・01)
ジャンセニスムは、17世紀以降流行し、カトリック教会によって異端的とされたキリスト教思想。ヤンセニズム、ヤンセン主義ともいわれる。人間の意志の力を軽視し、腐敗した人間本性の罪深さを強調した。ネーデルラント出身の神学者コルネリウス・ヤンセン(1585年-1638年)の著作『アウグスティヌス』の影響によって、特にフランスの貴族階級の間で流行したが、その人間観をめぐって激しい論争をもたらした。1646年にジャンセニスムに入信したブレーズ・パスカルは『パンセ』において「人間は考える葦である」と述べた。ヤンセンの盟友であったジャン・デュヴェルジェ・ド・オランヌはフランス人のアントワーヌ・アルノーの知己を得て、同書を携えてパリへ赴き、そこで1641年に出版した。これがフランスの上流階級の間で反響を呼ぶ。デュヴェルジュは本名よりも「アベ・ド・サン・シラン」(サン・シラン修道院長、以下サン・シラン)という名前で知られるようになる。やがてサン・シランはアルノーの姉妹が暮らしていたパリ郊外の女子修道院ポール・ロワヤル修道院の霊的指導者となり、そこをジャンセニスムの拠点とするようになった。サン・シランはかねてよりイエズス会員の道徳教説が信徒の堕落を招いていると考えており、ジャンセニスムに名を借りたイエズス会攻撃を行った。これにイエズス会員たちが反論したため、以後、ジャンセニスム対イエズス会という図式が出来上がっていく。当時のフランスでジャンセニスムに傾倒した著名人の中には、哲学者ブレーズ・パスカルや戯曲作家ジャン・ラシーヌもいた。パスカルがジャンセニスムに傾倒していたことは有名だが、彼はジャンセニスムへの批判に反論して1656年に『プロヴァンシアル』を執筆している。(ウィキ)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キリスト教国への道 03 クリスチャン急増する1970年代 03 韓国のキリスト教会は祈りの勝利で急成長した

2024-07-28 04:00:00 | キリスト教国の歴史と現在 韓国
「韓国のクリスチャン急増する1970年代」のテーマで

今後、書いていきますが、そのテキストは、

これまでのように鈴木崇巨先生の書かれた

「韓国はなぜキリスト教国になったか」(春秋社・2012発行)です。

そして第3章をたたき台にして連載していきます。

鈴木先生は1970年代に歴史上類例がないほどの急成長した理由として


1・キリスト教という純粋な教えを持つ宗教が

2・非常に純粋なこころをもった民族に

3・過酷な迫害と殉教の歴史の中で出会い

4・国民の信頼を勝ち取り

5・爆発的に1970年代に急成長した。


と指摘されています。

上記で3の迫害と殉教ですが、鈴木先生も指摘されていますが、

「殉教者が多く出ても伝道につながらないこともある」ので、

韓国の場合は、何よりも「韓国のクリスチャンはとにかくよく祈ること

だと書かれています。

私も韓国が祈り、しかも断食祈祷が成長の起爆剤

ということを実感しています。

1993年2月11日に私は韓国のオサンリ祈祷院に行きました。

長老が墓場をくりぬいた個別の祈祷部屋で祈りましょうと

案内してくださいました。

零下5度の厳寒で暖房もない岩の中で1時間の祈りは、

今までそのような経験はなく、ただ我慢するしかなかったのですが、

隣で祈る長老の祈りはよく聞こえてきましたが、それは激しい祈りでした。

その後、ご自宅の夕食に招待してくださったのですが、

応接間に「日本のため一千万人救霊」という掛け軸があり、

朝早くからこの掛け軸の前に日本のリバイバルのために

祈っているとお聞きし、何か震えるものがありました。

私は愛農高校でチェアム教会謝罪事件のことを取り上げた

校内弁論大会で優勝して以来、韓国に対して7つの略奪をした

大罪を犯したことを知っていますので、

このような「一千万人救霊」という掛け軸の前で

日本のために祈られていることに

何か激しい霊的な悔い改めと和解の霊に満たされ、

夕食も何か喉を通らなかったことを鮮明に覚えています。

先回、述べましたようにこの祈祷で聖霊にタッチされ、

日本への帰国する時にすでに

日本に断食祈祷院を建設することを決意していました。

その後、断食祈祷院建設の準備のため、

再びオサンリ祈祷院に行きましたが、

韓国のキリスト教会は断食祈祷院がすでに2000か所も存在し、

韓国リバイバルの熱風がなおも吹き続いていました。

韓国では路傍伝道は一切、ありません。

むしろ家族でクリスチャンになった者が一人いれば、

その方が家族全員、救われるまで断食祈祷するのは当たり前なのです。

ゆえに家族全員が救われますので、当然、家庭集会が生まれ、

家族同士の交流で親族、友人が救われていくという連鎖が起こりす。

1993年の時点でオサンリ祈祷院の母体であるヨイド純福音教会は

信徒数70万人いう世界一のメガチャーチとなっていました。

そして祈祷院は3万人が収容できるノアの箱舟をかたどった礼拝堂でした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

花嫁断食とは 08 新しい契約による断食 08 牧会者は新しい皮袋に生きよ

2024-07-27 04:00:00 | 「聖なる花嫁断食」(マイク・ピックル著)
新しいぶどう酒と新しい皮袋

マタイによる福音書
9:16 だれも、織りたての布から布切れを取って、

古い服に継ぎを当てたりはしない。

新しい布切れが服を引き裂き、破れはいっそうひどくなるからだ。

 9:17 新しいぶどう酒を古い革袋に入れる者はいない。

そんなことをすれば、革袋は破れ、ぶどう酒は流れ出て、革袋もだめになる。

新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。

そうすれば、両方とも長もちする。」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

イエス様は花嫁断食をしたすぐ後に、新しい皮袋の話をしました。

新しい皮袋の話が花嫁断食と同じ文脈で語られたことは

注目に価することです。

新しいぶどう酒というのは、聖霊による愛によって、

私たちを喜ばせる力のことです。

聖霊は常に、御心に関する、新しい啓示を与え続けるので、

そのぶどう酒はいつでも「新しい」のです。

御言葉が新しいのではなく、

そこから与えられる発見や視点が常に新しいのです。

今もなお、多くの人たちが、この古くから存在する宝を得ることで、

新しくイエス様を体験し、さらにイエス様に飢え渇くようになっています。

では、霊的な妥協が蔓延する現代の教会に、

この皮袋の世代はどのようにして入り込むことができるでしょうか。


新しい皮袋の世代

新しいぶどう酒を経験した人には、新しい皮袋が必要になります。

彼らはイエス様を花婿として知るようになったことで、

神の国を新しい価値観と視点を通して見るようになります。

愛に飢えた信徒には、新しい枠組みが必要ですし、

新しいリーダーも必要になってきます。

古い皮袋の価値観を持つ人には、

残念ながら新しいぶどう酒を知る人々を導くことはできないのです。(つづく)


【ブログ編集者から】
新しい皮袋とされた者たちに対して、

それを経験していない者は導けないという厳しい指摘です。

しかし、これを最も謙虚に受け止めなければならないのは

牧会者である牧師です。

この姿勢がなければ確実に牧会は失敗します。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする