配偶者を疑ったり、裏切ったりしてはなりません。
たとえ後で償っても傷跡が残ります。
信頼を破れば、すべてを失います。
人はひとりで弱い者ですが、信頼できるものと歩めば、
心強く倍のことができるのです。
そのうえ信仰があれば、話し合い、ゆるし合い、助け合い、祈り合って、
どんなことが起きても乗り越えていくことができます。
そして互いに信頼に応えようとします。
コリント人への手紙上
13:7 すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。
エペソ人への手紙
4:32 互いに親切にし、憐れみの心で接し、神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように、赦し合いなさい。
コヘレト
4:9 ひとりよりもふたりが良い。共に労苦すれば、その報いは良い。
4:10 倒れれば、ひとりがその友を助け起こす。倒れても起こしてくれる友のない人は不幸だ。
4:11 更に、ふたりで寝れば暖かいが/ひとりでどうして暖まれようか。
4:12 ひとりが攻められれば、ふたりでこれに対する。三つよりの糸は切れにくい。
【解説】
信仰が一つである結婚は、実に何にも代えがたい
祝福であることを私はこの47年間、経験して来ました。
私は3人目の妻なのですが、先回、述べましたように
環境も背景も違い、様々なことがありましたが、
3人ともクリスチャンとして出会い、主を信じる者同士の信仰結婚でした。
ゆえに主イエスの前に共に祈れる夫婦となりました。
それゆえに今回のテーマである
「どんなことが起きても乗り越えていくこと」ができました。
それを証すれば相当な分量になります。
ほんとうに夫婦で主の前に出て、祈れるというのは、
まことにまことに感謝に尽きないことです。
しかし、日本のキリスト教会では、信徒の7割は女性ですが、
その大半のご主人がノンクリスチャンであるというのが実態です。
おそらくご主人のために救いを真剣に祈っておられると思いますが、
日本の場合、どうも成功しているとはいえません。
その点、韓国のキリスト教会は違います。
日本と同じように女性がまず、クリスチャンになりますが、
そこから大きく違うのです。
まず夫が救われるまで断食祈祷をするのです。
「私はあなたの救いのために断食します」と宣言し、私が死ぬか、
あなたがイエスは主であると告白するか、あれか、これかを
神の前に問うという決意の度合いが違うのです。
そして断食祈祷で夫だけではなく、
嫁いだ先の家族全員が救われるまで断食祈祷するのです。
ですから韓国では、断食祈祷院が2000以上もあるのです。
ようするに信仰にあって神の祝福を獲得するという覚悟、気迫が
韓国と日本では月とスッポンほど違うのです。
日本のご婦人クリスチャンがなぜできないのか。
その理由は日本教(=世間教)です。
夫になぜ私と同じ天国に凱旋しようと叫ばないのですか。
それを阻む日本教(=世間教)を祈りでなぜ退散させないのですか。
「あなた(=夫)は地獄にいきますよ」と断食祈祷をもって迫りましょう。