申命記
6:4 聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。
6:5 あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、
主を愛しなさい。
6:6 今日わたしが命じるこれらの言葉を心に留め、
6:7 子供たちに繰り返し教え、家に座っているときも道を歩くときも、
寝ているときも起きているときも、これを語り聞かせなさい。
6:8 更に、これをしるしとして自分の手に結び、覚えとして額に付け、
6:9 あなたの家の戸口の柱にも門にも書き記しなさい。
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先回、詩編の第1編に触れました。
1:1 いかに幸いなことか/神に逆らう者の計らいに従って歩まず/罪ある者の道にとどまらず/傲慢な者と共に座らず
1:2 主の教えを愛し/その教えを昼も夜も口ずさむ人。
1:3 その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来れば実を結び/葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。
1:4 神に逆らう者はそうではない。彼は風に吹き飛ばされるもみ殻。
1:5 神に逆らう者は裁きに堪えず/罪ある者は神に従う人の集いに堪えない。
1:6 神に従う人の道を主は知っていてくださる。神に逆らう者の道は滅びに至る。
この詩編では2節にあるように神から与えられた律法は、
上記の申命記にあるように日常の中で常に
神の定めた戒めを刻み込むことを命じられたようにしました。
それはユダヤ教において
1・賢者
2・義しい者
3・敬虔な者
の姿であったからです。
しかし、キリスト教の信仰は違います。
イエスに触れられて、イエスの十字架を刻み込んで
あらたに変えられた者なので、ユダヤ教のように上記3つの姿ではなく、
十字架を仰いで、体に刻み込まれて歩むのです。
そして重荷はイエスが全部、担ってくださるのです。
最後に有名な一つの歌を紹介します。
足 跡
ある夜、わたしは夢を見た。
わたしは、主と共に、なぎさを歩いていた。
暗い夜空に、これまでの私の人生が映し出された。
どの光景にも、砂の上に二人分の足跡が残されていた。
一つは私の足跡、もう一つは主の足跡であった。
これまでの人生の最後の光景が映し出された時、
わたしは、砂の上の足跡に目を留めた。
そこには一つの足跡しかなかった。
わたしが人生で一番つらく、悲しい時だった。
このことがいつもわたしの心を乱していたので、
私はその悩みについて主にお尋ねした。
『主よ。わたしがあなたに従うと決心した時、
あなたは、全ての道で、わたしと共に歩み、
わたしと語り合って下さると約束されました。
それなのに、わたしの人生の一番つらい時、
一人分の足跡しかなかったのは何故ですか。
一番あなたを必要としていた時に、
あなたが、何故、わたしを捨てられたのか、
わたしには分かりません。』
主はささやかれた。
『わたしの大切な子よ。
わたしは、あなたを愛している。
あなたを決して捨てたりはしない。
ましてや、苦しみや試みの時に、
足跡が一つだったのは、
わたしがあなたを背負っていたからだ。