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安田由久が驚くべき聖書の世界をご案内します

神を愛するとは 07 足跡

2024-03-19 04:00:00 | 聖書の中なかの聖書 申命記
申命記
6:4 聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。

 6:5 あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、

主を愛しなさい。

 6:6 今日わたしが命じるこれらの言葉を心に留め、

 6:7 子供たちに繰り返し教え、家に座っているときも道を歩くときも、

寝ているときも起きているときも、これを語り聞かせなさい。

 6:8 更に、これをしるしとして自分の手に結び、覚えとして額に付け、

 6:9 あなたの家の戸口の柱にも門にも書き記しなさい。

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先回、詩編の第1編に触れました。

1:1 いかに幸いなことか/神に逆らう者の計らいに従って歩まず/罪ある者の道にとどまらず/傲慢な者と共に座らず
 1:2 主の教えを愛し/その教えを昼も夜も口ずさむ人。
 1:3 その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来れば実を結び/葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。
 1:4 神に逆らう者はそうではない。彼は風に吹き飛ばされるもみ殻。
 1:5 神に逆らう者は裁きに堪えず/罪ある者は神に従う人の集いに堪えない。
 1:6 神に従う人の道を主は知っていてくださる。神に逆らう者の道は滅びに至る。

この詩編では2節にあるように神から与えられた律法は、

上記の申命記にあるように日常の中で常に

神の定めた戒めを刻み込むことを命じられたようにしました。

それはユダヤ教において


1・賢者

2・義しい者

3・敬虔な者


の姿であったからです。

しかし、キリスト教の信仰は違います。

イエスに触れられて、イエスの十字架を刻み込んで

あらたに変えられた者なので、ユダヤ教のように上記3つの姿ではなく、

十字架を仰いで、体に刻み込まれて歩むのです。

そして重荷はイエスが全部、担ってくださるのです。

最後に有名な一つの歌を紹介します。

足  跡

ある夜、わたしは夢を見た。

わたしは、主と共に、なぎさを歩いていた。

暗い夜空に、これまでの私の人生が映し出された。

どの光景にも、砂の上に二人分の足跡が残されていた。

一つは私の足跡、もう一つは主の足跡であった。

これまでの人生の最後の光景が映し出された時、

わたしは、砂の上の足跡に目を留めた。

そこには一つの足跡しかなかった。

わたしが人生で一番つらく、悲しい時だった。

このことがいつもわたしの心を乱していたので、

私はその悩みについて主にお尋ねした。

『主よ。わたしがあなたに従うと決心した時、

あなたは、全ての道で、わたしと共に歩み、

わたしと語り合って下さると約束されました。

それなのに、わたしの人生の一番つらい時、

一人分の足跡しかなかったのは何故ですか。

一番あなたを必要としていた時に、

あなたが、何故、わたしを捨てられたのか、

わたしには分かりません。』

主はささやかれた。

『わたしの大切な子よ。

わたしは、あなたを愛している。

あなたを決して捨てたりはしない。

ましてや、苦しみや試みの時に、

足跡が一つだったのは、

わたしがあなたを背負っていたからだ。

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