バイブルランドin福井

安田由久が驚くべき聖書の世界をご案内します

パスカルの代表作「パンセ」について 01 神から信仰を与えられた人たちは、ほんとうに幸福だ 

2024-03-31 04:00:00 | パスカルが私たちに語りかけるもの
パスカルについては前々回、注でウィキの一部を紹介しましたが、

やはりパスカルといえば「パンセ」(注・01)です。

このパンセは日本でも多くの翻訳が出版されています。

なかでも分かりやすいのが、

名著13 パスカル『パンセ』:100分 de 名著」でしょう。

これまで私のブログでも内村鑑三や中江藤樹など幾人かは

このシリーズから引用しています。

しかし、日本ではパスカル研究の第一人者であった田辺保氏の著作が、

私にはピッタリなので田辺さんの著作を引用して、解説していきます。


心で感じ取る
パンセ110

わたしたちが真理を知るのは、ただ理性によるばかりではなく、

また心にもよる。わたしたちが、第一原理を知るのは、

なによりも心によるのである。

それにあずからない理性の働が、第一原理を打倒そうとしても、

むだなことである。・・・

だからこそ、心に感じることによって、神から信仰を与えられた人たちは、

ほんとうに幸福であり、正しい方法で確信を得たのである。

けれども、信仰のない人々には、神が心による直感によって。

信仰を与えてくださるまでは、理性の働きによって

信仰を与えてあげるより仕方がない。

この心による直感がなければ、信仰といって人間的なものにすぎず、

救に役立たない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

田辺さんはこの「心」について、訳の注で下記のように書いておられます。

パスカルは「心」(フランス語ではクール、英語ではハート)を

多用した思想家です。

心とは対象に即して、そのまま全的に受け入れ、

包容できる精神の配置であり、個人の関係に

もっともふさわしい原理を最初に選び取り、

的確に適用できる、何よりも根本的な直覚能力である。

つまり自分の側から精神を完全に対象にあけわたし、共感し、

思いをひそめ、一体化をなしとげたいと願う、「熱さ」「一途さ」

をいうのであろう。

心は愛の台座である。パスカルは

「聖書の知識は精神(理性)に関わるものではなく、心に関するものだ」

という。

つまり「心」は変えられなければ、

聖書の伝える内容の真実がそのまま響いてこないのである。

聖書を読むには、「回心」が必要なのだ。


【解説】
私はパスカルと出会うまでは、毎日、牧師として、

様々な聖書注解、説教集を参考にして、メッセージを語っていました。

しかし、何か限界を感じて、行き詰っていたのです。

その時に出会ったのが、上記のパンセの言葉でした。

私の本の書き込みに「これだ」と書いているので、

今まで気づかなかったことであり、

聖書をもう一度、一から読み直そうとしたことを覚えています。

それまで聖書を理性で読んでいて、

ハートで読んでいなかった自分を発見したのです。

そのためには真の回心(神を体験する)しかできないことを知ったのです。

そしてヘンリー・ブラクベィーの書いた

「神を体験する」を再び真剣に読むようになりました。

そして聖書を読むようになった方たちにこの本を紹介していきました。


「パンセ」(注・01)
原発事故やユーロ危機など、今ほど人間の理性の限界が明らかになった時代はありません。そこで「100分 de 名著」6月シリーズでは、理性の落とし穴を鋭く指摘し、物事を謙虚に受けとめることの大切さを記した名著、パスカルの「パンセ」を取りあげます。「パンセ」は、フランス語で「思想」を意味します。「人間は考える葦である」「クレオパトラの鼻が低かったら世界は変わっていただろう」など、様々な名言が散りばめられています。著者のブレーズ・パスカル(1623-1662)は、思想家であると同時に科学者でした。計算機の発明や大気圧の研究で知られ、気圧の単位・ヘクトパスカルにその名を残しています。「パンセ」は科学者の視点で、人間の心の特徴を分析した書と言えます。パスカルが生きた時代のヨーロッパでは、科学が著しく進歩し、キリスト教に基づく世界観に疑問の声があがり始めていました。そして人間の理性が、世界の真実を明らかにするという思想が急速に広まっていました。しかし世の中を冷静に見つめていたパスカルは、理性こそ万能だという考えには、危うさがあると確信するようになります。「人間はおごってはならない」と考えたパスカルは、人間の弱さを明らかにするため、日々考えたことをメモに書きとめました。それをまとめたのが「パンセ」です。そこには震災を経て、現代文明のもろさがあらわになった今こそ、改めてかみしめたい言葉があふれています。なぜ人間は同じ過ちを繰り返すのか—「パンセ」は、まるで科学の法則のように、合理的で冷徹な視点にたって、人間の心の特徴を明らかにしています。番組では、パンセを読みときながら、私たち人間の限界と可能性について考えます。(「名著13 パスカル『パンセ』:100分 de 名著」NHK出版の紹介文から引用)

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日本は韓国からキリスト教を学べ 88 空白の36年間 

2024-03-30 04:00:00 | キリスト教国の歴史と現在 韓国
「日本は韓国からキリスト教を学べ」はもう88回目になります。

この項目は、私の最も信頼し、尊敬している元牧師、

鈴木崇巨先生の著作「韓国はなぜキリスト教国となったか」

(春秋社2012年発行)をベースに

ネットや図書館で借りた本を付け加えて連載して来ました。

もちろんその件は鈴木牧師にも了承をいただいています。

ダニエル祈祷会やブラザー・ヒョク師のことなど

今まで全く知らなかったことで、大いに参考になっています。

私は30年前に韓国のオサンリ祈祷院(3万人収容可能な断食施設)や

運営母体のヨイド純福音教会(100万人の信徒でプロテスタントでは、世界一)

との出会いで人生は180度の大転換でした。

また、その25年前(つまり55年前)は、

高校3年の時、堤岩里教会焼き討ち事件謝罪運動との出会いで、

ドイツ派遣を断り、韓国へいく予定を立てて、人生は大きく変わりました。

つまり韓国のキリスト教との出会いがなければ、無教会人として、

信仰生活を送っていたと思います。

ゆえに鈴木牧師の書かれた「日本は韓国からキリスト教を学べ」は、

日本人全員が読んでほしいと切に願っています。

この本は皆さんのお近くの県立図書館には在庫があると思います。

さてこの本では、第4章に入り、「純粋さという民族性」と題して、

鈴木牧師は2年間にわたって綿密に調査され

韓国教会の実地調査から始まります。

調査期間は2008年からなので、今の状況はかなり変化しているようですが、

私はたびたびブログで指摘しているように日本で発行される

韓国を批判するヘイト的な韓国本やネットの書き込みを読むと

韓国のキリスト教にはほとんど触れられていないし、

むしろ無視し、誤解しているように思います。

韓国のキリスト教を正しく認識しないで韓国を語ることは

大きな欠陥なのです。

鈴木牧師は2008年、調査のために訪韓され、

プロテスタント26名の牧師・指導者、

カトリックの神父指導者3名にインタビューし、

信徒200名にはアンケート調査をされました。

また、アメリカにも行き、フラー神学校、

ユニオン神学校でも文献調査をされました。

なぜこの神学校かといいますと韓国の教会から多くの方が学んでおられ、

卒論などで韓国のキリスト教会史などの資料を得るためでした。

そして鈴木牧師は、クリスチャン人口の統計を韓国で調べるために

ソウル市内の書店でキリスト教年鑑を探したにもかかわらず、

見つからないというのです。

年代順の統計がないので、帰国してから日本の国会図書館で

朝鮮総督府の発行したキリスト教年鑑でようやく見つけたのですが、

戦前の統計はそれだけでした。気楽に統計があるだろうと

考えていたのが間違いだったのです。

それは朝鮮総督府36年間、日本帝国の過酷な支配で

統計などあり得ない状況だったのです。

しかも戦後、国家分断、朝鮮戦争を経ていますので

ますます統計は困難だったのです。

しかし、鈴木牧師は現実に韓国が総人口の3割となった原因を

様々な角度から分析しておられます。

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3章・花嫁断食とは 02 新しい契約による断食 02 新しい断食を示されたイエス 

2024-03-29 04:00:00 | 「聖なる花嫁断食」(マイク・ピックル著)
旧約時代の断食は、罪の悔い改めや、

災いからの救いを嘆願するものがほとんどでした。

また、当時の律法主義者たちによって、

宗教心を表明するだけの行為に格下げされることもありました。

しかし、主は、新しい断食を示し、信徒一人ひとりに聖霊を与えることで、

これを新しい次元のもとへと昇華させたのです。

新約聖書では、神はすべての信徒に御心を示しました。


1コリント人への手紙
2:10 そして、それを神は、御霊によってわたしたちに啓示して下さったのである。御霊はすべてのものをきわめ、神の深みまでもきわめるのだからである

ヘブル人への手紙
10:19 兄弟たちよ。こういうわけで、わたしたちはイエスの血によって、

はばかることなく聖所にはいることができ

 10:20 彼の肉体なる幕をとおり、わたしたちのために

開いて下さった新しい生きた道をとおって、

はいって行くことができるのであり、

 10:21 さらに、神の家を治める大いなる祭司があるのだから、

 10:22 心はすすがれて良心のとがめを去り、からだは清い水で洗われ、

まごころをもって信仰の確信に満たされつつ、

みまえに近づこうではないか。


弱い人間が、神の心を体験できるというのは驚くべき特権です。

私たちはその経験を深めないまま生きてはいけません。


1コリント人への手紙
2:10 そして、それを神は、御霊によってわたしたちに啓示して下さったのである。

御霊はすべてのものをきわめ、神の深みまでもきわめるのだからである。

 2:11 いったい、人間の思いは、その内にある人間の霊以外に、

だれが知っていようか。それと同じように神の思いも、

神の御霊以外には、知るものはない。

 2:12 ところが、わたしたちが受けたのは、この世の霊ではなく、

神からの霊である。それによって、神から賜わった恵みを悟るためである。


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第8章・「私に断食をせよとおっしゃるのですか」 18 断食と医師 02 絶対に断食をしてはならない人たち 

2024-03-28 04:00:00 | 「カミング・リバイバル」 ビル・ブライト著
断食をする前に主治医に相談するべきでしょうか
(つづき)

そして、自分が健康であることを確認するために、

必ず、健康診断を受けていただきたい。

何か体に問題があるかも知れず、その場合、断食は

危険で浅はかな行為となり得る。

しかし、前もってこう警告したい。医師は、たとえあなたが健康であっても、

断食しないように説得するかも知れない。

こうなった場合、あなたは私が経験したのとよく似た

ジレンマに直面することになるだろう。

何年にもわたって、私は医師にかからずに何度も断食をしてきた。

1回につき、1週間から1ヶ月の断食が多かった。

40日の断食というのは、これまで経験したどの断食よりも長かったので、

私は数人のクリスチャンと世俗の医師に助言を求めた。

彼らは断食について何も知らないか、

知っていても総じて私をやめさせようとするのかどちらかであった。

結局、私は自分が一人ぼっちだということに気づいた。

聖霊に従うべきだろうか。

それとも、医師たちの忠告に従うべきのだろうか。

断食の権威は、皆、同じ意見である。

すなわち、もし自分が健康であると分かっていて、正しく断食するなら、

霊的にと同様、肉的にも益になる、と。

私は40日間、固形物こそ口にしなかったが、

各種のフルーツジュースを飲むことで、蒸留水の摂取を補った。

結果として、私は実際に、断食を始める前よりも体調が良くなったと感じた。

けれども、水だけで長期にわたる断食を行うときには、細心の注意を払い、

また、十分に祈るべきである。

適切な助言と監督を得ないまま、そのような長期の断食をすることは、

非常に危険である。

専門的な監督がなければ、絶対に断食をしてはならない人たちもいる。

それは次のような人である。


1・体がやせ衰えている人

2・虚弱体質の人や貧血ぎみの人

3・腫瘍や出血性の潰瘍、ガン、血液の病気を患っている人

4・または最近、心筋梗塞を起こした人

5・腎臓、肝臓、肺、心臓、その他の重要な器官に慢性の持病がある人

6・糖尿病でインシュリンを打っている人、

その他、低血糖症、血糖値に問題がある人


7・妊婦、および授乳中の母親

8・断食の恩恵や予想される結果についての理解が十分でないために、

断食に恐れを感じている人

※断食は飢餓ではないが、もし本当にそのような疑問や

感情を抱いている人がいるならば、

--そのような感情は克服されるべきであるが—

その人が(断食の大切さを)知るまで、誰もその人を(無理に)説得して

断食させてはならない。


他にも、断食すべきでない条件をもった人がいるかも知れない。

経験原則はこうである。

もしあなたが健康に関して、重大な疑問があるか、

現在、医者にかかっているならば、食べ物を断つたり、

食べ方を変えたりする前に、医者に相談すべきである。


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真のリバイバルとは何か 38 リバイバルはなぜ必要なのか 09 リバイバルの火をもたらしたエバン・ロバーツの4つの原則 

2024-03-27 04:00:00 | 正しい霊的復興
「カミング・リバイバル」(121頁~)
★リバイバルの火から引用


彼(エバン・ロバーツ・注・01)のメッセージはシンプルだった。


1・思いつくかぎりの罪を告白しなければならない。

2・生活の中から、いかがわしい習慣をすべて取り除かなければならない。

3・聖霊の促しに従わなければならない。

4・キリストのために、証しを携えて人々の中に出ていかなければならない。


ロバーツの説教は未熟だったが、

牧師と17人の教会員の心は、神に触れられて激しく燃え始めた。

次の日の夜には、さらに多くの人々が、若い説教者の話を聞きに集まってきた。

そして、リバイバルの火は、瞬く間に他の教会に

燃え広がっていったのである。

その後の1ヶ月間に、37000人が講壇の前に出て来て、罪を悔い改め、

イエス・キリストを自分の救い主として受け入れた。

そして、5ヶ月で、ウェールズ中から10万人が

キリストの王国に取り集められ、こうしてロバーツのビジョンは

成就したのである。

『雄羊の角』と呼ばれる新聞は、エバン・ロバーツについてこう報告した。


彼の行くところ、どこでも人々の心は愛で満たされた


また、『メソジスト・レコーダー』誌は

ウェールズは今、過去に起こったリバイバルと比較して

最も驚くべきリバイバルの、激しい痛みと歓喜のただ中にある。

これはまさに道徳革命に他ならない。

ウェールズの新聞には、新生して

神の国に入った名前のリストが載り始めた。

大学は閉鎖され、学生たちは神を賛美し、歌いながら祈祷会へと向かった。

子供たちも、自分のヒーロー、つまり教会の牧師たちを真似て、

家の中や中庭で集会を開いた。


【解説】

「真のリバイバルとは何か」を連載していますが、

私の会社であった㈱パトモス社から出版している

「カミング・リバイバル」から引用しています。

リバイバルとはこのようなことが起こることであり、

それ以外はニセモノだということは間違いありません。

日本にこのようなことが起こるためには、

エバン・ロバーツの4原則に立つしかあり得ません。

そして彼のような青年が日本に与えられるように祈るのみです。



エバン・ロバーツ・注・01
1878年6月8日 - 1951年9月29日)は、1904年から1905年のウェールズ・リバイバルの指導者。ウェールズに生まれた。11歳から23歳まで炭鉱で働きながら、毎晩ウェールズ長老教会のモリヤ・チャペルに通った。1904年、神学校に入る。福音伝道者セス・ジョシュアの礼拝に出席し、聖霊のバプテスマを求めるようになった。故郷のモリヤ・チャペルで説教をはじめ、ウェールズにリバイバルが起こった。ウェールズ中の10万人がキリスト教信仰に回帰したと言われる。ウェールズのリバイバルは、英国から大陸ヨーロッパ、ノルウェー、北米にまで波及した。(ウィキ)


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