ダナの証
自分がいかに神を求めていないか。
初めてそのことを思い知らされた日のことはよく覚えています。
その時、神は私に与えようとしているものと、
私が実際に体験しているものとの隔たりを明らかにしてくださいました。
そして私の人生に介入し、私が飢えて求めればもとめるほど
多くを与えられるという原則を示してくださいました。
霊的な飢えによって容量が広げられなければ、
神を体験することは制限されてしまうと知ったのです。
私は小さい頃からイエス様について知っていましたが、
内なる渇きについては知りませんでした。
私は神を心から愛しているとは思っていましたが、
心の容量が非常に小さいことには気づいていませんでした。
それを知ることができたのは恵みでした。
今思うと、私はその時から「求めることを求める」、
もしくは「飢えることに飢える」段階へと移行していたようです。
まだ、飢えに取りつかれるにはいたりませんでしたが、
神はその状態へと私を連れていこうとされていたのです。
飢えが飢えを呼び、内なる願いが強められ、
次第に神はご自分を明らかにされることで応えてくださるようになりました。
イエス様が「義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるから」
(マタイ5:6)
と語っておられる通りです。
イエス様は私たちの求める心に比例して、
ご自分の力と存在を与えてくださいます。
私たちには、神から与えられるすべてのことを得ようとする
ビジョンが必要です。
それにより霊的な飢え渇きを感じることができるようになります。
神は初代教会に与えた以上のものを、私たちに得させようとしています。
また、再臨の前に教会には、歴史上、
類を見ないほどに聖霊を与えようとしています。
その壮大さは、想像すらできないほどのものです。
コリント人への手紙上
2:9 しかし、このことは、/「目が見もせず、耳が聞きもせず、/
人の心に思い浮かびもしなかったことを、/
神は御自分を愛する者たちに準備された」と書いてあるとおりです。
2:10 わたしたちには、神が“霊”によってそのことを
明らかに示してくださいました。
“霊”は一切のことを、神の深みさえも究めます。
2:11 人の内にある霊以外に、いったいだれが、人のことを知るでしょうか。
同じように、神の霊以外に神のことを知る者はいません。
2:12 わたしたちは、世の霊ではなく、神からの霊を受けました。
それでわたしたちは、神から恵みとして与えられたものを
知るようになったのです。
神は、求めなさいというビジョンを私たちに与えておられます。
そのために、まずは飢えるようになることが第一優先となるのです。
【ブログ編集者から】
証をされたダナさんや著者マイク・ピックル師が私たちに
あなたは飢え渇いていますか、と語りかけておられます。
正直、ダナさんのように何と飢え渇きに乏しく、
逆に満足にあぐらをかいている有様です。
主よ、もう一度、飢え渇きの霊を与えられますようにと祈るのみです。