マタイによる福音書
◆天に富を積みなさい
6:19 「あなたがたは地上に富を積んではならない。そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。
6:20 富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。
6:21 あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」
◆体のともし火は目
6:22 「体のともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、
6:23 濁っていれば、全身が暗い。だから、あなたの中にある光が消えれば、その暗さはどれほどであろう。」
◆神と富
6:24 「だれも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」
20節は大いに誤解されている個所の一つです。
ユダヤ教の教えでは、貧しいものに施しておくと
天で(利息)が戻って来るというミシュナーの教えがありました。
ユダヤ流ジョーク集にもありますが、
ここでイエスが言われたのは全く違います。
地上での施しなど一切、関係なしです。
それは善行を積むことも同じです。
報いは一切なく、天に宝を積むというのは、
一切、無代価で神への捧げものをすべきだということになります。
韓国の伝道者が言いました。
「捧げものに代価を求めるミストリーは最初から腐っている」と。
その通りです。
ただし礼拝献金や什一返金は、神に捧げるものですから、
この献金を受けた者は、1円の誤魔化しも神の前にゆるされません。
私はかつて断食祈祷院を始めた時に宿泊料金は自由献金にしました。
これは当然で断食をもって神の前に出るのに
お金を取るべきではないからです。
しかし、10年間で赤字になったことは一度もなく、
必要な経費は神が与えてくださいました。
キリスト教の天の働き、天国への働きは、徹底した聖別、清さであり、
無代価なのです。
そして牧師はそこで品性が問われます。