バイブルランドin福井

安田由久が驚くべき聖書の世界をご案内します

日本は韓国からキリスト教を学べ 84 家族伝道が基盤の韓国キリスト教会

2023-11-30 04:00:00 | キリスト教国の歴史と現在 韓国
「2023ダニエル祈祷会」をYouTubeで見ますと

韓国のキリスト教が日本と決定的に異なることが分かりました。

それは家族伝道が段違いに韓国は熱いことです。

また職域伝道も格段の差なのです。

家族伝道の場合、一人がクリスチャンになれば、

家族全員が救われるように最初に救われた者が断食をして祈り始めるのです。

そして妻が先に洗礼を受けた場合は、特に熱心に家族伝道します。

また親族への伝道も熱心で「八親等まで家族」という

韓国の親族間への絆で伝道をしていきます。

ですから韓国では路傍伝道がほとんど存在しません。

私もクリスチャンになった時、少なくとも妹3人には伝道して、

全員、クリスチャンになりましたし、20年かかりましたが、

ようやく両親もクリスチャンになるのですが、

韓国のように「八親等まで家族」という考えは全くありませんでしたから、

親族伝道はしていませんでした。

また、韓国では、職域伝道も様々な分野で伝道がなされています。

日本では仕事上、宗教と政治はタブー視されていますので、

福音の拡大には、凄いブレーキとなっています。

しかし、韓国のキリスト教会では、

最初に救われた方が強烈な神を体験をしていますので、

それがパワーとなっているのです。

「2023ダニエル祈祷会」では、賛美の後、毎回、証しする方が登壇され、

約1時間のメッセージでした。

その証では基本的に語られているのは、


1・十字架の福音がシンプルに語られている。


2・聖書の言葉の突入、また聖霊に触れられるように

聖書を読むことを熱心に勧めている。


3・とにかく祈りから祈りへと祈りの力に明確に立っていること。


そして祈りですが教会の早天祈祷会には、

毎朝、参加してから職場に向かうという方が非常に多く、

しかも、月に3日の断食祈祷が加わって、祈りは日常的に継続されています。

韓国のプロテスタント教会では、教団教派に関係なく、

水曜日の聖書研究会と祈祷会、金曜日の徹夜祈祷会があり、

日曜の主日礼拝に参加は必須です。

牧師はすべてに説教し、空いている時間でカウンセリングがあり、

様々な委員会や葬儀、結婚式もあり、韓国の牧師は超多忙です。

今回の「2023ダニエル祈祷会」で牧師の証も幾人かありましたが、

その証からもよく分かりました。

ある田舎の50戸余りの村落に遣わされた牧師は、

片親しかいない子供を教会に寝泊まりさせ、学校に通わせ、

その子供の数が12名でしたが、後に教会の柱となっていき、

この子供たちが、学校で伝道し、大きくなったら職場で伝道して

農村ではあっても堅実な信徒が増加していったそうです。

また賛美も賛美歌、聖歌を本を下を向いて歌う教会は一つもありません。

プロジエクターで歌を大きな白い幕に写し、あらゆる楽器を使用して、

両手を挙げて賛美をするスタイルです。

日本ではまだこのような礼拝スタイルは3割ぐらいで、

賛美が暗く、重く、これでは若者は教会には来ません。

私たちが礼拝に参加していた滋賀県高島市の教会は

まさに暗く、重く、若者はゼロでした。

そして洗礼者も8年間、ゼロでしたから、

将来、無牧になるのは確実な教会でした。

韓国のキリスト教会はこのようなことは、あり得ないことです。
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2章・聖書が教える7種類の断食 21 危機を回避するための断食 07 国家の危機回避のための断食 05 教会が進むべき道を求めて断食 

2023-11-29 04:00:00 | 「聖なる花嫁断食」(マイク・ピックル著)
パウロはダマスコへの旅路で神の啓示を受けると、

ただちに3日間の断食に入り、神の指示を求めました。


使徒言行録
9:8 サウロは地面から立ち上がったが、目は開いていても何も見えなかった。

そこで人々は彼の手を引いて、ダマスコへ連れて行った。

 9:9 彼は三日の間、目が見えず、また飲み食いもしなかった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

新約聖書では、たびたび教会が進むべき道を求めて断食しています。

パウロはアンテオケでも仲間とともに知恵と指示を求めて断食し、

祈っています。

すると神ははっきりと異邦人伝道の道を示されました。


使徒言行録
13:2 彼らが主を礼拝し、断食をしていると、聖霊が、

「バルナバとサウロをわたしのために聖別して、

わたしが召した任務につかせなさい」と言われた。

 13:3 そこで彼らは、断食と祈りをして、ふたりの上に手を置いてから、

送り出した。

 13:4 ふたりは聖霊に遣わされて、セルキヤに下り、

そこから船でキプロスに渡った。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この伝道旅行によって、歴史が動かされたのです。

彼らはまた、ルステラ、イコニオム、アンテオケの教会のために

長老たちを任命するためにも断食し、祈りました。


使徒言行録
14:23 また、彼らのために教会ごとに長老たちを選び、断食をして祈って後、

彼らをその信じていた主にゆだねた。


イエス様も12弟子を選び出す前に、一晩祈りました。


ルカによる福音書
6:12 このころ、イエスは祈るために山に行き、神に祈りながら夜を明かされた。

 6:13 夜明けになって、弟子たちを呼び寄せ、

その中から十二人を選び、彼らに使徒という名をつけられた。

 6:14 すなわち、ペテロという名をいただいたシモンとその兄弟アンデレ、

ヤコブとヨハネ、ピリポとバルトロマイ、

 6:15 マタイとトマス、アルパヨの子ヤコブと熱心党員と呼ばれるシモン、

 6:16 ヤコブの子ユダとイエスを裏切ったイスカリオテ・ユダである。

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第8章・「私に断食をせよとおっしゃるのですか」 12 断食とは、単に、宇宙の創造主である永遠の神に助けを求める

2023-11-28 04:00:00 | 「カミング・リバイバル」 ビル・ブライト著
断食によって願うものを手に入れることについて、

イーディス・シェーファーはこう書いている。


果たして断食とは、我々の陳情にもっと注意を向けさせるための、

神への賄賂なのだろうか。

そうではない。断じてそんなことはない。

断食とは、単に、宇宙の創造主である永遠の神に助けを求めるという、

驚くべき機会に対して、我々が十分に敬意を払っていることを

明らかに示す手段に過ぎない。

また断食とは、神の助けこそが、自分の力のアイデアによって、

自分にできるであろうあらゆる事柄よりも重要であると考え、

何もかも横に置いて、神を礼拝し、罪の赦しを求め、

我々の願いを知っていただくことに集中することを選び取ることである。


これらの考え方に加え、ウィスレー・L・デューウェルは、

その著書「祈りを通して世界に触れる」の中でこう書いている。


聖書的な意味における断食とは、

つぎのような理由で食物を口にしないことを選び取ることである。

すなわち霊的な渇きがとても激しいから、

執り成しの祈りをしようというあなたの決意が固いから、

あるいはあなたの闘っている霊的な戦いがとても過酷だから、

祈りと黙想に没頭するために、一時的に肉体的な必要さえも退けた、

ということである。


神は主権をもって私たちをご覧になり、私たちに最善をなしてくださる。


ローマ人への手紙
8:28 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、

神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、

私たちは知っています。


また、神はご自分の御心を行うために、私たちの内に働かれる。


フィリピ人への手紙
2:13 神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、

事を行わせてくださるのです。

そして、あなたが神に服従するなら、神はあなたに応えてくださるのである。

4:6 しかし、神は、さらに豊かな恵みを与えてくださいます。

ですから、こう言われています。

「神は、高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる。」

 4:7 ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。

そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。

 4:8 神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。

罪ある人たち。手を洗いきよめなさい。二心の人たち。心を清くしなさい。

 4:9 あなたがたは、苦しみなさい。悲しみなさい。泣きなさい。

あなたがたの笑いを悲しみに、喜びを憂いに変えなさい。

 4:10 主の御前でへりくだりなさい。そうすれば、

主があなたがたを高くしてくださいます。

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真のリバイバルとは何か 32 リバイバルはなぜ必要なのか 03 韓国にキリストの花嫁信仰が起こったら 

2023-11-27 04:00:00 | 正しい霊的復興
第一ペテロの手紙
4:17 なぜなら、さばきが神の家から始まる時が来ているからです。

さばきが、まず私たちから始まるのだとしたら、

神の福音に従わない人たちの終わりは、どうなることでしょう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ペテロは神の家(=教会)の罪を厳しく問われます。

ブラザー・ヒョクが指摘しているように神の家の清さ(=聖別)を

真に問われるのです。

いや、ほんのわずかの罪さえ赦されないのです。

それはキリストの花嫁としての備えをする必要があるからです。

そして世の裁きの前にまず教会の罪を裁かれるとペテロは指摘するのです。

そしてヨハネも言いました。


ヨハネ黙示録
2:4 しかし、あなたには非難すべきことがある。

あなたは初めの愛から離れてしまった。

 2:5 それで、あなたは、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、

初めの行いをしなさい。

もしそうでなく、悔い改めることをしないならば、

わたしは、あなたのところに行って、

あなたの燭台をその置かれた所から取りはずしてしまおう。

 2:6 しかし、あなたにはこのことがある。

2:25 ただ、あなたがたの持っているものを、わたしが行くまで、

しっかりと持っていなさい。

 2:26 勝利を得る者、また最後までわたしのわざを守る者には、

諸国の民を支配する権威を与えよう。

 2:27 彼は、鉄の杖をもって土の器を打ち砕くようにして彼らを治める。

わたし自身が父から支配の権威を受けているのと同じである。

 2:28 また、彼に明けの明星を与えよう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

神の標準ははるかに高く、それを私たちは決して忘れてはならないのです。

今年も韓国教会の多くが合同で聖会を実施した

「2023ダニエル聖会」をYouTubeで見ましたが、

韓国のキリスト教会が実に中核をつく、基本的な信仰を

回復しようとしていることが分かりました。

また、先のブラザー・ヒョクのような「キリストの花嫁」を引っ提げて、

教会に清さを迫るメッセンジャーが登場し、

改めて韓国のキリスト教会の層の厚さを思い知らされました。

おそらくブラザー・ヒョクの求める「キリストの花嫁」への信仰が

韓国のキリスト教会の中核となったら、

世界の霊的復興(=リバイバル)が1970年代の数倍のパワーとなって

世界に大きな祝福をもたらすことでしょう。

しかし、その前に大きな苦難が襲うでしょう。

そしてこの後、日本の教会が、へりくだっていくことができれば、

その恩恵を受けていくことでしょう。
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聖書にある断食について 25 サウル王はなぜ無残な死に至ったのか 01 

2023-11-26 04:00:00 | 聖書の断食
歴代誌上
10:7 谷にいたイスラエル人は皆、兵士が逃げ、

サウルとその息子たちが死んだのを見ると、自分たちの町をことごとく捨てて

逃げ去ったので、ペリシテ軍が来てそこにとどまった。

 10:8 翌日、戦死者からはぎ取ろうとやって来たペリシテ軍は、

サウルとその息子たちがギルボア山上に倒れているのを見つけた。

 10:9 彼らはサウルの遺品を奪うだけでなく、その首と武具も奪った。

ペリシテ全土に使者が送られ、彼らの偶像と民に戦勝が伝えられた。

 10:10 彼らはサウルの武具を神々の神殿に納め、その頭はダゴンの神殿にさらした。

 10:11 ギレアドのヤベシュの人々は皆、

ペリシテ軍のサウルに対する仕打ちのすべてについて聞いた。

 10:12 戦士たちは皆立って、サウルとその息子たちの屍を取りに行き、

ヤベシュに持ち帰って、彼らの骨をヤベシュの樫の木の下に葬り、

 10:13 サウルは、主に背いた罪のため、主の言葉を守らず、

かえって口寄せに伺いを立てたために死んだ。

 10:14 彼は主に尋ねようとしなかったために、主は彼を殺し、

王位をエッサイの子ダビデに渡された。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

イスラエルの最初のサウル王について聖書の書かれていることを

もう一度みていきます。

サムエル記では、サウルについて

「美しい若者で、イスラエル人の中で彼より美しい者はいなかった」とあります。

そして預言者サムエルは彼の頭に油を注ぎ、王に任命したのですが、

よこしまな者たちが、「こいつがどうしてわれわれを救えるのか」

と言って軽蔑し、彼に贈り物を持って来なかった。しかし彼は黙っていた」

という聖書に記述されています。

それは当初は無名の若者でしかも少数民族、ベニヤミンの出身でありましたから、

イスラエルの民には大きな戸惑いがあったからです。

それだけではなくサウル自身が自信をもてずにいたことがうかがえます。

しかし、やがて王として最初の戦いに勝利を収めると、

民はサウルを王としてようやく認め、本人の意識にも次第に王として自覚し、

大きな変化が現れていきます。

しかし、ペリシテ人との戦いでイスラエルは苦境に立たされ、民は、

神に全焼のささげ物をささげてこの危機から救ってもらいたいと、

サムエルの到着を待っていました。

ところがサムエルがなかなか来なかったため、

民が戦意を失いかけているのを見たサウル王は、祭司にしか許されていない

「全焼のささげ物をささげる」という行為を自ら行って、

民をつなぎとめました。

ちょうどそのときに到着したサムエルはサウルをとがめ、

神の命令を守らなかったサウルの王国は続かない、と宣言します。

王が祭司に代わってささげ物をささげることの何がそんなにいけなかったのか、

と思えるかもしれませんが、神と民との間をとりもつ祭司職というのは

それほどまでに神聖な職務であり、また、何よりも、

神によって選ばれた王が、神の定めたその秩序を軽んじ、

神をないがしろにしたことが致命的な誤りだとされたのです。

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