私は2月9日に書いたように内村鑑三を通して中江藤樹を知りました。
そして高島市では誰でも知っている清水安三は、中江藤樹はキリシタンであることを証明し、
その著作は高島市図書館で借りることができます。
しかし、このことを認めようとする高島市民はいません。
私は中江藤樹を知ったことが高島市移住の最大要因でした。
今回は、なぜ内村が彼の優れた英文で
世界に日本の旧約としての日本を代表する人物として中江藤樹を選んだのか不思議でした。
作家の童門冬二(注・01)が、「内村鑑三代表的日本人を読む」(PHP文庫)では、
理想的な教育の教師としての中江藤樹像を描こうと選んだのだという主旨でした。
また先回紹介した若松さんは西郷隆盛のルーツを辿っていったら中江藤樹に至ったからだと指摘しています。
さらに「代表的日本人」を岩波書店版で翻訳された鈴木範久さん(注・02)は、
やはりキリスト者であり、
岩波書店から内村鑑三全集の編纂責任者だけあって見解が鋭いのですが、
この本の目的は
1・西洋のキリスト教徒に優るとも劣らない日本人がいたことを紹介しようとした。
2・これらの人々を旧約としてそこに接ぎ木されたのである。
3・5人の歴史的な人物の描写ではなく、内村の理解したキリスト教人物像が投射されている。
4・それは内村独自の人間像となっている。
5・最初の「日本及び日本人」は日清戦争の時代を色濃く反映されているので
西郷隆盛は征韓論を唱えて、在野に下ったことを意識して書かれている。
6・近代の西洋文明とこれを無批判に安易に受容した近代日本への批判と抵抗がベースにある。
7・日蓮と内村は相当オーバーラップしており、内村自身が、
キリスト教の日蓮たらんという志をもっていた。
8・この5人を取り上げたことにより、キリスト教を受容した
内村自身のアイデンィティティの確立がはかられたのである。
と解説に書いておられますが、鈴木さんの指摘が最も正解ではないと私は思います。
(注・01)童門冬二
東京下町にて誕生。東海大学附属旧制中学卒業。海軍少年飛行兵(予科練)の特攻隊に入隊するが、
出撃しないまま終戦を迎える。東京都に入庁し、目黒区役所係員から、
東京都立大学理学部事務長、広報室課長、企画関係部長、知事秘書、広報室長、
企画調整局長、政策室長を歴任した後、1979年に退職、作家活動に専念。都庁在職中は、
美濃部亮吉都政3期12年を知事のスピーチライターとして支え、
都庁首脳として活躍した。美濃部の知事退任と同時に退職し作家専業となった。
(注・02)鈴木範久
日本の宗教史学者、立教大学名誉教授。主として内村鑑三など、近代日本キリスト教を研究する。
愛知県生まれ。東京大学大学院宗教学専攻博士課程満期退学。
1967年立教大学一般教育部助教授、教授、コミュニティ福祉学部教授、2002年定年退任、名誉教授。
そして高島市では誰でも知っている清水安三は、中江藤樹はキリシタンであることを証明し、
その著作は高島市図書館で借りることができます。
しかし、このことを認めようとする高島市民はいません。
私は中江藤樹を知ったことが高島市移住の最大要因でした。
今回は、なぜ内村が彼の優れた英文で
世界に日本の旧約としての日本を代表する人物として中江藤樹を選んだのか不思議でした。
作家の童門冬二(注・01)が、「内村鑑三代表的日本人を読む」(PHP文庫)では、
理想的な教育の教師としての中江藤樹像を描こうと選んだのだという主旨でした。
また先回紹介した若松さんは西郷隆盛のルーツを辿っていったら中江藤樹に至ったからだと指摘しています。
さらに「代表的日本人」を岩波書店版で翻訳された鈴木範久さん(注・02)は、
やはりキリスト者であり、
岩波書店から内村鑑三全集の編纂責任者だけあって見解が鋭いのですが、
この本の目的は
1・西洋のキリスト教徒に優るとも劣らない日本人がいたことを紹介しようとした。
2・これらの人々を旧約としてそこに接ぎ木されたのである。
3・5人の歴史的な人物の描写ではなく、内村の理解したキリスト教人物像が投射されている。
4・それは内村独自の人間像となっている。
5・最初の「日本及び日本人」は日清戦争の時代を色濃く反映されているので
西郷隆盛は征韓論を唱えて、在野に下ったことを意識して書かれている。
6・近代の西洋文明とこれを無批判に安易に受容した近代日本への批判と抵抗がベースにある。
7・日蓮と内村は相当オーバーラップしており、内村自身が、
キリスト教の日蓮たらんという志をもっていた。
8・この5人を取り上げたことにより、キリスト教を受容した
内村自身のアイデンィティティの確立がはかられたのである。
と解説に書いておられますが、鈴木さんの指摘が最も正解ではないと私は思います。
(注・01)童門冬二
東京下町にて誕生。東海大学附属旧制中学卒業。海軍少年飛行兵(予科練)の特攻隊に入隊するが、
出撃しないまま終戦を迎える。東京都に入庁し、目黒区役所係員から、
東京都立大学理学部事務長、広報室課長、企画関係部長、知事秘書、広報室長、
企画調整局長、政策室長を歴任した後、1979年に退職、作家活動に専念。都庁在職中は、
美濃部亮吉都政3期12年を知事のスピーチライターとして支え、
都庁首脳として活躍した。美濃部の知事退任と同時に退職し作家専業となった。
(注・02)鈴木範久
日本の宗教史学者、立教大学名誉教授。主として内村鑑三など、近代日本キリスト教を研究する。
愛知県生まれ。東京大学大学院宗教学専攻博士課程満期退学。
1967年立教大学一般教育部助教授、教授、コミュニティ福祉学部教授、2002年定年退任、名誉教授。