ロシア軍のウクライナ進攻は大ニュースとして連日、報道され、
「ウクライナが善、ロシアが悪」という白黒の善悪という報道やニュース解説が大半です。
しかし、果たしてそれは正しいことなのか私は疑問に思っていました。
ロシア問題に詳しいのは、作家の佐藤優(注・01)さんでしょう。
私も何度も雑誌や本で佐藤さんの本を読んでいますし、
クリスチャンとしての発言をされていますので、この進攻の真偽を今回、
「週刊新潮」(3/10)に寄稿された文章から紐解いていきます。
・・・まず今回のウクライナ大統領ゼレンスキーにも問題が大ありという指摘です。
彼は、コメディアン出身で2015年に主演ドラマ「国民のしもべ」が大ヒットし、
19年4月の大統領選で初当選しました。
ところが、当初は70%以上あった支持率も、政界に蔓延(はびこ)る腐敗を正せずに急降下、
1年後には30%ほどに落ち込み、現在はさらに低迷しています。
そこで支持率上昇のために、反ロシア感情を高め、領土の回復を試みようと動き始めました。
14年に親ロシア勢力が
一方的に独立を宣言した東部の「ドネツク」「ルガンスク」両“人民共和国”の人たちは、
多くがロシア語を話し、ロシア正教を信仰し、自らをロシア人だと認識しています。
すでに70万人がロシア国籍を取得しているともいわれ、
この地を取り戻そうとするゼレンスキーに対し、
プーチンがそれを許せば国民を見捨てることとなり、政権が瓦解する可能性もある。
そこで軍事介入というオプションを選んだのです。
ロシアの行為は全く是認できるものではありません。
国際法では、国連加盟国の紛争は武力で解決してはいけないことになっています。
ただし、プーチンが完全な無法行為を働いているとも言い切れません。
国際法を無視ではなく、巧みに「濫用」しているのです。
プーチンは今回「特別軍事作戦」が国連憲章51条に該当すると主張しています。
これは集団的自衛権を認める条項です。
さらにプーチンは武力行使を正当化するために“ウクライナの「ネオナチ」政権から守るため”
という屈を持ち出したのですが、ウクライナ政府には、ナチスドイツと一時期協力した
ステパーン・バンデーラを民族の英雄として尊敬する人たちがいるので、
こちらもこじつけることができます。
侵攻のタイミングも実に合理的でした。
前日の2月23日は、1918年にソ連がドイツに勝利した
「祖国防衛の日」であり、愛国感情が最も高まる日。
無名戦士の墓にプーチンが献花し、盛大な軍事パレードが行われる。
国民全体で戦いに思いをはせ、翌日に「ネオナチ」との戦闘に踏み切ったというわけです。
国境を「面」で捉えるプーチン自身は狂人でもなければ、
郷愁にとらわれたナショナリストでもありません。
24時間、国のために働くことができる国益主義者であり、
典型的なケース・オフィサー(工作担当者)です。
今回は国際社会からさまざまな経済制裁を受けるでしょうが、
その反面、NATOがすでに機能していないことを白日の下に晒したともいえます。
これ以上、NATOに加盟しようとする国が出てこなければ、ロシアの安全保障上、
きわめて大きなメリットとなります。
彼がもくろんできたのは非共産主義的なソ連の復活です。
無神論を掲げたソ連のKGBに勤めたプーチンは、今ではロシア正教の信仰を受け入れています。
彼にとって正教は、ロシアに不可欠なアイデンティティーの一つであり、
これを擁護することを義務だと捉えている。
そのためには軍事力を持ち出してでも「悪」の出現を食い止めなければ、
という立場にあるのです。
今回の軍事行動は、ロシアと事を構えない融和政権がウクライナで樹立されるまで続くでしょう。
現在ウクライナの軍事施設は壊滅的な被害を受けており、これを再建できないようにした上で、
マッカーサーが戦後日本で行ったように、自衛のための軍隊だけを認める。
それらが達成されたのち、ロシアは手を引くのではないかと思われます。
実効支配していた「ドネツク」「ルガンスク」の両人民共和国は、
それぞれが位置する州全体を支配することになるでしょうが、
ロシアが占領するとしてもこの2州にとどまり、全土には及びません。
あくまでロシアに迎合した政権が「自発的」に誕生するのを待つのではないでしょうか。・・・
佐藤さんの見解は私は正しいと思います。
アメリカのかつて日本やベトナム戦争などと同じ構えでウクライナに対応している背景には
プーチンのロシア正教会の思想を紐解いていかないと何も分からないということです。
日本のキリスト教を知らない浅はかな思考では対応できないのです。
(注・01)佐藤 優(さとう まさる、1960年1月18日 - )
日本の作家、外交官。同志社大学神学部客員教授、静岡文化芸術大学招聘客員教授。
学位は神学修士(同志社大学・1985年)。
在ロシア日本国大使館三等書記官、外務省国際情報局分析第一課主任分析官、
外務省大臣官房総務課課長補佐を歴任。
「ウクライナが善、ロシアが悪」という白黒の善悪という報道やニュース解説が大半です。
しかし、果たしてそれは正しいことなのか私は疑問に思っていました。
ロシア問題に詳しいのは、作家の佐藤優(注・01)さんでしょう。
私も何度も雑誌や本で佐藤さんの本を読んでいますし、
クリスチャンとしての発言をされていますので、この進攻の真偽を今回、
「週刊新潮」(3/10)に寄稿された文章から紐解いていきます。
・・・まず今回のウクライナ大統領ゼレンスキーにも問題が大ありという指摘です。
彼は、コメディアン出身で2015年に主演ドラマ「国民のしもべ」が大ヒットし、
19年4月の大統領選で初当選しました。
ところが、当初は70%以上あった支持率も、政界に蔓延(はびこ)る腐敗を正せずに急降下、
1年後には30%ほどに落ち込み、現在はさらに低迷しています。
そこで支持率上昇のために、反ロシア感情を高め、領土の回復を試みようと動き始めました。
14年に親ロシア勢力が
一方的に独立を宣言した東部の「ドネツク」「ルガンスク」両“人民共和国”の人たちは、
多くがロシア語を話し、ロシア正教を信仰し、自らをロシア人だと認識しています。
すでに70万人がロシア国籍を取得しているともいわれ、
この地を取り戻そうとするゼレンスキーに対し、
プーチンがそれを許せば国民を見捨てることとなり、政権が瓦解する可能性もある。
そこで軍事介入というオプションを選んだのです。
ロシアの行為は全く是認できるものではありません。
国際法では、国連加盟国の紛争は武力で解決してはいけないことになっています。
ただし、プーチンが完全な無法行為を働いているとも言い切れません。
国際法を無視ではなく、巧みに「濫用」しているのです。
プーチンは今回「特別軍事作戦」が国連憲章51条に該当すると主張しています。
これは集団的自衛権を認める条項です。
さらにプーチンは武力行使を正当化するために“ウクライナの「ネオナチ」政権から守るため”
という屈を持ち出したのですが、ウクライナ政府には、ナチスドイツと一時期協力した
ステパーン・バンデーラを民族の英雄として尊敬する人たちがいるので、
こちらもこじつけることができます。
侵攻のタイミングも実に合理的でした。
前日の2月23日は、1918年にソ連がドイツに勝利した
「祖国防衛の日」であり、愛国感情が最も高まる日。
無名戦士の墓にプーチンが献花し、盛大な軍事パレードが行われる。
国民全体で戦いに思いをはせ、翌日に「ネオナチ」との戦闘に踏み切ったというわけです。
国境を「面」で捉えるプーチン自身は狂人でもなければ、
郷愁にとらわれたナショナリストでもありません。
24時間、国のために働くことができる国益主義者であり、
典型的なケース・オフィサー(工作担当者)です。
今回は国際社会からさまざまな経済制裁を受けるでしょうが、
その反面、NATOがすでに機能していないことを白日の下に晒したともいえます。
これ以上、NATOに加盟しようとする国が出てこなければ、ロシアの安全保障上、
きわめて大きなメリットとなります。
彼がもくろんできたのは非共産主義的なソ連の復活です。
無神論を掲げたソ連のKGBに勤めたプーチンは、今ではロシア正教の信仰を受け入れています。
彼にとって正教は、ロシアに不可欠なアイデンティティーの一つであり、
これを擁護することを義務だと捉えている。
そのためには軍事力を持ち出してでも「悪」の出現を食い止めなければ、
という立場にあるのです。
今回の軍事行動は、ロシアと事を構えない融和政権がウクライナで樹立されるまで続くでしょう。
現在ウクライナの軍事施設は壊滅的な被害を受けており、これを再建できないようにした上で、
マッカーサーが戦後日本で行ったように、自衛のための軍隊だけを認める。
それらが達成されたのち、ロシアは手を引くのではないかと思われます。
実効支配していた「ドネツク」「ルガンスク」の両人民共和国は、
それぞれが位置する州全体を支配することになるでしょうが、
ロシアが占領するとしてもこの2州にとどまり、全土には及びません。
あくまでロシアに迎合した政権が「自発的」に誕生するのを待つのではないでしょうか。・・・
佐藤さんの見解は私は正しいと思います。
アメリカのかつて日本やベトナム戦争などと同じ構えでウクライナに対応している背景には
プーチンのロシア正教会の思想を紐解いていかないと何も分からないということです。
日本のキリスト教を知らない浅はかな思考では対応できないのです。
(注・01)佐藤 優(さとう まさる、1960年1月18日 - )
日本の作家、外交官。同志社大学神学部客員教授、静岡文化芸術大学招聘客員教授。
学位は神学修士(同志社大学・1985年)。
在ロシア日本国大使館三等書記官、外務省国際情報局分析第一課主任分析官、
外務省大臣官房総務課課長補佐を歴任。