太った中年

日本男児たるもの

マトリックス

2010-01-04 | weblog

Burning Sky

 

正月、映画マトリックスシリーズ3作を全部見た。以下、粉川哲夫のシネマノートより映画評を転載。

●マトリックス (The Matrix/1999/The Wachowski Brothers=Andy & Larry Wachowski)(ウォシャウスキー・ブラザーズ)

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◆前回30分まえで満員だったので、40分まえに行く。それでも、10数名来ている。口コミで過熱している。
◆第1回監督作品の『バウンド』とはうってかわった作り。ただし、いまにして思えば、『バウンド』にも、本作のような〈イン・スペース〉な感じがあった。ただ、それは、「生身」の身体が「直接」表象した想像や幻想の産物に見られるような〈イン・スペース〉感覚であって、サイバースペース特有の全面的な〈イン・スペース〉感覚ではなかった。
◆21世紀、人間とAIとの対立が起こり、人間が地球を破壊、都市は廃墟と化した。生き残ったのはAIで、元の世界を再現(それが「マトリックス」)し、人間をエネルギー供給源(カプセル内に人体からエネルギーを作る)にして、人間の姿をして生きている。そうしたなかに、わずかに、生き延びた人間の子孫たちが数名いた。その1人がネオ(キアヌ・リーブス)である。彼は、ヴァーチャルな世界(表面上は「普通」の都市世界だが、それらはすべてヴァーチャルな電子的産物で、「人間」はすべてアンドロイド?)にまぎれこみ、ハッキングをやりながら、このヴァーチャルな世界(マトリックス)の果て、それを支配する者を探している。当然、それは、マトリックスの脅威となり、エイジェント(アンドロイド)に追われる。他方、彼とは別に生き延びた集団があり、海底のホーバクラフトのなかに住み、マトリクスの支配の解体をねらっている。
◆モーフィス(ローレンス・フィッシュバーン)率いる闇の集団とネオとを引き会わせるのがトリニティ。キャリー=アン・モスが、非常に魅力的に演じている。冒頭、彼女がエイジェントたちの追跡をかわしてビルの屋上から屋上へ逃げるシーンがあるが、うっとりさせる。
◆モーフィスは、「救世主神話」や「選民」思想を信じており、ネオをその救世主だと信じている。この映画の核となる救世主信仰は、『スターウォーズ』にも似た(その外見とはうらはらの)古さ(その意味では、ローレンス・フィシュバーンは適役)を感じさせないでもないが、これは、むしろこのごろはやりの「ダーク」なセンスと考えた方がよい。だから、この映画でも、救済そのものは描かれず、むしろ、誰かが誰かを信じるということ(要するに「愛」)によって、その人物が次第に奇跡的な力をつけていくという(これもある意味ではコンベンショナルではあるが)プロセスを見せることに重点が置かれる。
◆われわれの日常が、すべてバーチャルなもので、本当の現実は、砂漠や廃墟で表象される空虚だけだという考えは、決して新しくはない。古代哲学でもひととうり論じられている。時代によって、そのヴァーチャリティを構成する技術が、錬金術であったり、魔術、薬物であったりし、現代は電子テクノロジーであるという違いはあるだけだ。
◆いつの時代も、最新のテクノロジーは、現にあるものをそれによって再構築しようとする。現代は、それがサイバーテクノロジーであり、ヴァーチャルな世界が、サイバースペースなのである。他方、その一方で、現在のテクノロジーを越えるテクノロジーがあるのだという主張が並行して現れ、ヴァーチャルな世界の連続性に真憑性が加えられる。
◆世界は見方(認識論)次第である。いまわれわれが知覚している世界は、習慣の産物である。だから、その習慣・知覚の仕方を誰かに植えつけられた、あるいはたえず植えつけれれているという論法はなりたつ。そこで、そうした知覚操作の向こう側とこちら側とお行ったり来たりして見ると、この映画のような世界が生まれる。
◆『メッセンジャー』では自転車便が、この映画ではFedEXが携帯電話を配達する。
◆全体として、緑とセピアがかった画面。
◆使われている個々のCGI技術そのものはそれほど新しくはないが、それらの連関、全体としての効果的な使い方、使い方のコンセプトは、非常に新しい。

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●マトリックス・リローデッド (Matrix Reloaded/2003/Andy Wachowski, Larry Wachowski)(アンディ+ラリー・ウォシャウスキー)

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◆前作『マトリックス』以来、期待をかきたてつづけてきた続編がついに完成・試写というので、遠方から時間を気にしながら試写会場に駆けつけた。今回は2会場を使っての大がかりな試写。そして明日には一般向けの先行上映というのをやるという。プロモーションは過熱している。が、期待が大きすぎたせいか、たいしたことはないという印象を受けた。ワイヤーワークが売り物のはずだが、『HERO』があまりにすごいことをやってしまったので、何か凡庸に見える。
◆冒頭、ネオ(キアヌ・リーブス)が見る「夢」のシーンでトリニティ(キャリー=アン・モス)とエイジェント・スミス(ヒューゴ・ウィービング)とのシュールな闘いがあるが、あいかわらずキャリー=アン・モスは魅力的。
◆前回は、描かれる物的な世界がヴァーチャルな世界と紙一重である感じがよく出ていたが、今回は、薄れ、両者が二重に存在するかのような平凡さに陥っている。「マトリックス」というのは、電子的に構築された「回路網」であり、それは、操作次第で瞬時に消滅可能である。そういう世界に住んでいるヴァーチャル人間と生身の人間との闘いがテーマ。しかし、今回の「マトリックス」は実体感を強め、両世界を一方から他方へ移動する面白さが薄れた。その結果、話はエイリアンと人間との闘い、あるいは『ロード・オブ・ザ・リング』風の話に近づいてしまった。
◆通常、身体世界から電子ネットワークの世界に「入って」も、身体世界の方はある程度安全だが、この世界では、電子ネットワークの世界(によって構築されたヴァーチャルな世界)で起こることがこちら側に死をもたらすことがある。しかし、今回は、そういう相互作用があまりうまく描かれてはいない。
◆ すでに「マトリックス」という言葉が流布していたので、それを引き継がざるをえないのだが、matrixは「メイトリックス」と発音するのが正しい。こういう無責任なズラしのために、日本人の英会話がいつも無駄な困難に陥る。「マッカーシズム」なども、「マッカーシーイズム」と発音しなければ、英語圏では通じない。
◆イラク戦争まえに撮られたわけだが、この間の戦争加速の気分は確実にこの映画のなかにも出ている。「戦いはじき終わる」、「この100年ずっと戦ってきた」といったモーフィアス(ローレンス・フィッシュバーン)の言葉が象徴的。
◆ドアーを開くと予想を裏切る世界が展開しているというのは、『アンダルシアの犬』以来、それほど目新しい技法ではないが、この作品ではけっこううまく使っている。

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●マトリックス レボルーションズ (The Matrix Revolutions/2003/Andy Wachowski, Larry Wachowski)(ウォシャウスキー兄弟)

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◆ヨハン・グリモンプレの『ダイアル ヒ・ス・ト・リ・ー』の上映で解説役を引き受け、大阪に行ったりしていたので、しばらく試写に行けなかった。そのうえ、来月からブリュッセルのRadiophon'ic 2003に招かれて行くので、今月の見おさめは、この作品だけになりそうだ。明日イ・チャンドンの『オアシス』の試写があるが、たぶん行けないだろう。
◆劇場の外に長い列が出来たが、キャパの大きい新宿ミラノ座は満杯にはならなかった。これは、宣伝の割りに意外だった。上映まえに後ろを見まわしたら、まだ席が空いていた。前や左右の袖の席はかなり空いている。入場のとき、密かな撮影や録音の用具を隠していないかと持ち物チエックがあったが、こういうのも裏目に出る。撮られたっていいじゃないか。段取りが悪いらしく、プレスに書かれた字幕訳者名が「菊地浩二」ではなく、林完治であるという訂正のアナウンスがあった。さらに、『ザ・ラースト・サムライ』などの予告編のあとカーテンが降りてしまい、SONYの劇場音響システムの宣伝的映像が出るときは、カーテンの上に映像が映され、本編が始まってあわてて上げられた。だから、最初の緑の画面(文字がにじんでいる)の頭の方はまだ銀幕が出ていなかった。
◆『マトリックス リローデッド』よりもヴァーチャリティと肉体的現実との関係についての描き方がすっきりしている。そのとらえ方も奥行きがある。ただし、ネオ(キアヌ・リーブス)とエイジェント・スミス(ヒューゴー・ウィービング)との格闘シーンには前2作とは異なる新味が若干あるとしても、見せ場にしていると思われるザイオンへのセンティネルズの包囲攻撃とザイオン側のAPU(武装人民軍)による反撃のシーンは、月並みだ。このシーンになると、ただの「戦争」シーンになってしまう。肉体的現実とマシーンの世界があり、両者はプログラムの世界(マトリックス/メイトリックス)の世界で共有関係を持っているが、マシーンのなかからマシーンをも肉体をも越える存在(エイジェント・スミス)が生まれ、すべてを統合しようとするというテーマは、ガタリとドゥルーズが「マシーン」と「機械なき身体」という言葉で言おうとしていることに迫る深さがある。にもかかわらず、そういう深さは、「戦争」シーンでどこかに吹き飛んでします。が、さもないと観客が動員できないのかもしれない。ガタリとドゥルーズは「戦争機械」という言葉を使うが、それは、こういう戦争のことを指しているわけではない。
◆ネオがエイジェント・スミスによって閉じ込められてしまったマトリックス(プログラムされた世界)と肉体世界との中間地帯(そういうのがあるという設定も面白い)は、地下鉄の駅のような雰囲気。駅名は、「Mobile Av.」つまり「ケータイ通り」。そこに、マトリックス界から地下鉄が来る。こういう設定を見ると、この映画を何度も見たくなる。それだけの示唆力があるということだ。
◆肉体界(「ディス・イズ・リアル」)は、センティネルズの包囲攻撃を受けて存亡の危機にあるザイオーンと、反乱軍がたてこもる船のなかとがある。この船のなかでネオはマトリックス界にジャックインされ、ベッドに「意識」を失ったようなかっこうで寝ている。しかし、メトリックスにジャックインされているはずなのに、コンピュータ上では、彼の姿が見つからない。そこでモーフィス(ローレンス・フィッシュバーン)とトリーニティ(キャリー=アン・モス)らは、ジャックインして、マトリックス界に彼を探しに行く。そこで地下鉄に乗ると、ホームレス的な男トレインマン(ブルース・スペンス)がおり、モーフィアスたちは追いかける。しかし、男は地下鉄の非常レバーを引き、急停車させ、逃げてしまう。ホームで格闘するうちに、近づいて来た地下鉄の前を寸前のところでホームの向こう側に飛び移り、逃げてしまう。そして、次の瞬間、このベーンは、あの中間地帯の「ケータイ通り」に降り立ち、ネオの前に立つ。
◆19世紀的な工業機械の環境、マシーン・シティのギーガー的/『エイリアン』的な世界のこれ見よがしな描き方(それだけ金がかかっている)に比して、マトリクスの世界は、もっぱらエイジェント・スミスとネオとの闘いのシュールさにのみ比重が置かれていて、あまり新味がない。
◆とはいえ、さまざな位相のちがったテリトリーというよりネットワーク的な飛び地を移り行く肉体と脱肉体の「舞踏」と「旅」。この《ノマド》的なところがたまらない。ところで、ドゥルーズは、「ノマド的思考」という文章のなかで、「ノマドとは必ずしも動き回る人のことではない」と言っている。結局、ネオたちは、肉体的にはそんなに動き回ったわけではない。

「マシーンのなかからマシーンをも肉体をも越える存在(エイジェント・スミス)が生まれ、すべてを統合しようとするというテーマは、ガタリとドゥルーズが「マシーン」と「機械なき身体」という言葉で言おうとしていることに迫る深さがある」

ドゥルーズ・ガタリの「機械なき身体」ってこれ、「器官なき身体」の間違いじゃないの。

そういえば昔、浅田彰が、「トラが木のまわりをグルグル回って最後はトラの身体が分子レベルに溶解し、トラバターになった」ちびくろさんぼの童話を「器官なき身体」=「トラバター」のイメージとして例えた。それに対し、粉川哲夫は「そうならないための概念だ」と批判していた。しかし、エイジェント・スミスとネオの闘いはトラバターのイメージだった。まあ、余り深く考える必要はない、脳ミソが疲れるだけだ。

 

ネット選挙運動解禁、参院選から…民主方針(読売新聞) - goo ニュース

民主党は公職選挙法を改正し、インターネット利用や戸別訪問を解禁して選挙運動を大幅に自由化する方針を固めた。

ネット利用解禁は、1月からの通常国会に改正案を提出し、夏の参院選からの実施を目指す。戸別訪問解禁は参院選の公約に掲げ、秋以降に法改正する考えだ。

公選法は選挙運動の公平性のため、配布できる文書類をはがきやビラなどに限っている。この規定に基づき、選挙中のホームページ(HP)更新も違法な「文書図画の配布」にあたり、禁じられると解釈されている。投票を依頼する目的で有権者の自宅などを訪れる戸別訪問も買収などを防ぐために禁止されている。

これに対し、民主党では小沢幹事長らが選挙運動の自由化を主張している。政権公約(マニフェスト)選挙の定着などで選挙が政党中心に行われ、自由化が買収などにつながりにくくなったと判断している。昨年の衆院選で主要政党が選挙中にHPを更新するなど、ネット利用禁止がなし崩しになってきており、実態に即した改正を行うべきだという声も強まっている。

ネット利用は、選挙中のHP更新だけでなく、電子メール使用も可能にする全面的な解禁とする方針だ。ただ、〈1〉投票日のHP更新は認めない〈2〉メールの送信対象は登録者に限定する〈3〉改ざんの恐れがあるため、選挙公報はネットに掲載しない――などの制限を加える案が出ている。

自民党は、他人が候補者の名前をかたる「なりすまし」が容易なメールの解禁には否定的だ。民主党もなりすましや中傷の対策などをさらに検討する考えだ。

民主党は5月末までに改正案が成立すれば、参院選でネット利用を解禁できるとみている。「インターネット選挙運動解禁研究会」(田嶋要会長)で検討し、議員提案で国会に提出する構えだ。一方、戸別訪問は1925年の普通選挙法制定以来、戦後の一時期を除いて禁止されており、解禁は選挙運動の抜本的な変化につながる。民主党は与野党協議に時間がかかると見ており、ネット利用解禁を先行させる考えだ。

ネット選挙はマトリックスの世界からすれば原始的な電子仮想空間政治の第一歩になるだろう。