怪道をゆく(仮)

酸いも甘いも夢ン中。

祝・結願

2006年10月31日 21時15分26秒 | ヘンろみち
本日午後2時30分ちょうどをもちまして、88番札所大窪寺の納経を終えました。


やったゼこんちくショーッo(≧∀≦)/


まだ終わった実感はあまりないんですけどね。境内ではなんとなくガッツポーズしちゃいました。その後、来る道すがらに購入しておいた勝利の葉巻でツレと乾杯。わっはっは!お大師、言わしたったぜ!

最後の女体山(標高約780m)は冗談抜きで2回ほど死にかけたですょ。花崗岩質の山というのは地面がもろいので崖崩れなんかも起こりやすくてですね。何より足元が異様に滑るので冷や汗が止まりませんで。山頂の岩場なんかもー、クソ重い荷物せたろうて四つんばいせにゃならんかったです。「女体」にしてはゴツすぎです全く。

総長1,116キロ、踏破できたのは、すべて支えてくださった周囲の皆様、四国の皆様のおかげです。本当にありがとうございました。

…で、まだ終わりじゃないんですね、なんとこれから1番札所の霊山寺にお礼参りに向かわねばなりません、そういうシキタリがあるのです。これについては大窪寺から10番切幡寺に戻って1番に直行するというルートが一般的なんですが、せっかくなのでワタシは義経が屋島合戦の際に通ったという歴史に名高い大坂峠越えをして、3番金泉寺に戻って1番へ向かうルートをとる予定です。

旅は、あと少しだけ続きます。

タヌキさんに天狗さん

2006年10月30日 22時46分53秒 | ヘンろみち
オバハンみたいな弁慶。
ワタシのツボすぎましたので激写。

今日は83番一宮寺、84番屋島寺、85番八栗寺と打ってきました。オバハン弁慶は説明するまでもなく、屋島寺付近にあったもので、門前のシャッターがおりた土産物屋の窓に義経や佐藤継信とともにおられました。にしても讃岐の山には参りました。見た目は日本昔話の山みたいなのばっかで見栄えもいいですが、いざ登ってみると意外に高いだけじゃなく傾斜がゴツすぎ。勾配25%とか軽くいってます。地図上の標高から軽く見てたら、そんな山を昨日も今日も連日2回ずつ登ったせいで足腰かなりイワされてます。

さぁて本日も化け物アワー。屋島寺は狸に縁の深い場所です。平成たぬき合戦ポンポコですっかり有名になった屋島の禿をはじめ、平家の大将が助けた瀕死の狸夫婦、またお大師さんの札所としてのお話では、霧で道に迷ったお大師さんを寺まで案内した蓑をかぶった老人が太三郎狸だと言われていたりします。…あれ、屋島の禿、どんだけ長生き?

境内には、お稲荷さんのように鳥居がならんだ前に、巨大な太三郎夫婦の像が据えられた蓑山大明神があり、しかも裏に回ったらタヌキの剥製までご鎮座あそばしておりました。その奥には狸塚があり、さらにその奥にはお稲荷さんが。平家の誰かを祀るお稲荷さんのようでした。余談ですが妖怪ウォーカーには交通手段は琴電屋島駅よりケーブルカー利用とありますけども、すでに廃線となっています。よって徒歩か車でしか上がれません。徒歩の方は…エヅくほどの坂がノンストップで40分続くとお考えください。グッドラック。

八栗寺は門前から楽しみがありまして。ここのよもぎ餅は「男はつらいよ」の確か寅次郎の縁談だったと思うんですが、それに出てきたやつなんですよね。朝摘みのヨモギたっぷりの手の平サイズの餅に甘めのアンコがぎっしり、それにきな粉をまぶしたもので、店のおばちゃんがその場で「ちょっと大きめにしたげるね」と丸めてくれたやつをほぉばりながら山に入りました。激うまでした。

八栗寺は五剣山と呼ばれる峻険な岩山の中腹にある、見るからに修験カラーてんこ盛りの場所。と思ったら中将坊と呼ばれる讃岐の三大天狗の一人のスミカでした。他の二人は昨日言ってた白峰さんの相模坊と、も一人は金比羅山の金剛坊なんですって。なーんだこんぴらさんにもいるんじゃない、てな話で、というか知らないワタシがおかしいんですよね(笑)、勉強が足りませんね!また一つ、帰ってからすることができましたネ。なにはともあれ知らないうちに讃岐三大天狗のアジトを制覇しておりました、祝。中将坊のアジトが一番強そうでかっこよかったです!

ちなみに下に上がってる写真だけの妙なブログは、この八栗寺の山門を撮影したものです。鳥居の向こうに山門が見えるワ、なんて撮ったやつを家のパソコンに送ったつもりが送信先を間違えたのです(笑)。携帯からはブログをあげることはできるんですが消したり書きなおしたりはできませんもんで、スミマセン。ついでにこの鳥居は境内にある歓喜天さんの鳥居のようでした。歓喜天に鳥居なんですね、ワタシ知りませんでしたが。

今朝は香川県立博物館に行こうと思ったら休館日だったり、論文の第二校はいつになったら来るのか問い合わせたら執筆者校正は初校だけですなんて返事が来るし…先に言うといてくれょってのと同時にあの複雑怪奇な朱入れがホントにちゃんと直ってるのか相当不安…てなことでヘコみ気味だったんですが、タヌキと天狗に憂さを忘れさせていただけました。

明日はついに結願だぁー。

白峰、あれこれ

2006年10月29日 22時47分23秒 | ヘンろみち
みなさんご存じの、バランちゃんの後ろ姿です。というわけで本日は82番根来寺まで打って参りました。

この期に及んで実はもクソもないんですが、81番白峰寺と82番根来寺は私を四国へいざなったキッカケの寺であります。今年の3月にケゥちんがこの2ケ寺に行った話がうらやましくて、ワタシも行きたい、2つ行くなら…全部行っちまぇ、というので出発したのがそもそもで今エライ目にあってるわけですが、旅も終わりに近づいてようやっと念願果たせて、感慨もひとしおです。

白峰寺は言うまでもなく日本一の大怨霊、崇徳上皇の御陵がある場所で、八大天狗の相模坊なんかもいらっしゃるとこなわけです。相模坊さんは松山天狗などにも出てきますように崇徳上皇の廟所に夜な夜な通うとかいうイカついイメージがありましたが、地元には寺の小僧さんが夕暮れ時に豆腐を買いに行くのを手伝ってあげる、というようなかわいらしいお話も伝わっていてなかなか親しまれてるようでした。

さてさて白峰寺の崇徳上皇、毎度お馴染み明治の廃仏毀釈時には、付近の寺などの存続にどうも一役買っていたようです。

琴平に鎮座するこんぴらさんこと金刀比羅宮は明治以前は麓の松尾寺と共に金毘羅大権現をまつる神仏混合のお宮さんだったわけですが、金毘羅というたらクビラなわけです。孔雀王でユン・ピョウがやってたやつですね(違)。あるいは毘沙門天ともいわれる金毘羅、当然ながら排撃の対象になります。で、ご存じのごとく金刀比羅宮は大物主さんに祭神を変えてしまい、それと同時に、さらに神格をあげるために崇徳上皇も合祀しちゃいます。こんぴらさんの崇徳院伝説はすべて、明治以降の創作らしいですわ(奥の院の白袴神官談)。

昨日の早朝、久々のはぐれ遍路でこんぴらさんに行ってたんですが、奥の院に行かれた方はご存じでしょうが社務所の中はもちろん岸壁にも天狗の面が飾ってあるんですね。お聞きしたところこれは別に崇徳がらみではなく、こんぴらさんのある象頭山は修験道の盛んな場所だったのでその辺からではないですかとのことでしたが、クビラは天狗の長とか言われるわけですから、まんまなんとちゃうんかいと思われます。崇徳を合祀したのも、この辺りには元々クビラ等とも関わる天狗伝説があるなどして、それと崇徳上皇が結び付けやすかったんじゃないですかね。ちなみに象頭山の東にある山は愛宕山っていうんですって、太郎坊でもいるのかしら(笑)。

仏さんが廃される話ばっかりしてますが、逆に、昨日打った76番金倉寺では、境内のど真ん中にぽつんと鳥居が立ってるのを見つけました。不思議に思ってどの堂舎がこいつの対象なのかしらと真下に立つと、本堂とカリテイモさんのお堂をつなぐ長めの渡り廊下と正対する鳥居なわけです。お寺の方に尋ねてたら、さぁ…カリテイモさんの鳥居じゃない?とかおっしゃるんですが。これなんかひょっとして明治の頃にアリバイ的に神社を置いていたのを、ほとぼりが冷めた後につぶしたかもしくは火事で燃えたけど社殿を再建しないままで、鳥居だけなんとなく残ったんじゃないかとか思うわけです。

ちなみに金倉寺は智証大師円仁さん生誕の地。さすがにお大師さんの姪御さん(だったっけ)をお母さんに持つ方なだけあって、お大師さん生誕の地と目と鼻の先でした(善通寺が75番で金倉寺が76番)。直線距離にしても2、3キロてとこです。

明後日には結願、来月2日には帰阪の予定です。なんだかんだで終わりが見えてきましたねぇ。最後だしのんびり観光がてら行こうと思ったものの、資金が尽きかけていることにようやく気付いたもので。寄り道自粛令を発動することになりました。

明日は屋島の禿に会いに行きます。

捨身ケ嶽

2006年10月27日 22時39分14秒 | ヘンろみち
我拝師山こと捨身ケ嶽頂上部の遠景。
上方右辺りにあるのが本堂で、お大師さんダイブ地点はそこからさらに数十メートル上がったとこの、岩肌と木が茂ってる部分の境目辺りにありました。

おそらく、崖になってる左側の方に飛び降りはったんでしょね。