たぶん、この先っぽが、室戸岬です。あと15キロほどなので明日の昼前には到着の模様。というわけで、土佐は修業の道場におります。引き続き百介さんの道歩いてます(多分)。
ご覧のようにただひたすら海と山の境界を、てくてく。風景以外にこれといって愛でるものもありませんので、般若心経を覚えてみたり、いい感じの砂浜を見かけてはウルトラ5つの誓いを絶叫しながら走ったりしてました。袖の下から見れば、私の視線の先には胸にマークをつけた人が飛んでいくのが見えたはず。
それはさておき、今日は佐喜浜(崎浜)というところに逗留しております。思ったより早く宿に着き時間を持て余してしまったので、宿の本棚に『佐喜浜郷土史』(非売品)を見つけツラツラ読んでいました。
なかなかおもしろかったです。そういう意味ではおもしろくない土地などそうそうありませんけども。2、3ご紹介いたしますと、観音下の石段を降りたところを夜中に通ると釣瓶に乗れ釣瓶に乗れと空からからっぽの釣瓶か下りてくる、てな場所があったり、夜通ると黒い牛が追い掛けてくると言われる谷があったり。船場(地名)にある虚空蔵堂の本尊の大日如来(なぜだ・笑)は「鳥仏師」の作と伝えられると武藤致和の『南路志』(1815刊の土佐の地誌)にあるんだそうですわ。…写真載ってましたけどね、止利にしては野趣あふれすぎですね(笑)。本の著者も、なぜここに鳥仏師の名が受け継がれていたか理解に苦しむとおっしゃってますが、なんぞ学のある方がいらっしゃったんじゃないですかね。おんば様とよばれる祠があるみたいなんですが、そのいわれは三輪山のオオモノヌシのお話そのままで、違うのはムスメが七たらい半ある蛇を産み落とすも育てるわけにもいかず葬った、と、その塚がおんば様だということになってたりもし
ますし。まぁ三輪山のお話は特別に学がなくても広く人口にカイシャした話でしょうけども。
ちなみにおんば様の「おんば」はこの辺りでは山姥のような意味で使われる言葉でもあります。昨日通過した海部郡には中世以降代々海部氏吉を名乗る名刀工がいたんですが、氏吉には山姥の意味での「おんば」にまつわるお話があります。なんでも金(キン)の「せいろ」をかついでそこになんでもほおりこんで食ってしまう「おんば」がいたが、氏吉の娘を自分の息子の嫁にもらいたい、と言ってきたので氏吉がならば一夜で千本の刀を作れば娘をやる、と(続きは千本に達しそうなので鶏を鳴かせてというパターン)。金のせいろをかついだ山姥ってのがおもしろいですよね。それはともかく、佐喜浜の「おんば様」はなんかこう…自分の中にある勝手なイメージではあるんですが名前と伝承が噛み合わない感じで気持ち悪いですね。おんば、にはもっと広い意味があるのかなぁ。
さてさて、佐喜浜にはワタシがかねてより出会えないかなと期待していたものがありました。すなわち、六部殺しの伝承です。本には殺した六部の財によって分限者になった一族の名前が明記してあったんですけども、どうも分家筋の方がまだご存命でらっしゃるようなのであえて名は伏せておきますが、相当な財をきずいたようで、香川の金比羅山の手水桶にも名が残っているんだとか。日浦に「聖神」という祠があって「ひじりさん」と呼ばれてるのが、その家によって代々祀られていたひじり墓なんだそうですよ(殺したのは高野聖、なんだそうです)。その後、不幸が重なって家産が傾き一族の若死が相次ぎ、なんと大正の頃、ただ一人の生き残りの方が六部の霊との縁切り祈願に高野山で祈祷を受けたところ、殺された六部の亡霊がありありと現われた、と伝えられているんだそうですわ。
この辺りの方はお遍路さんのことを遍土(へんど)と呼ぶんだそうです。…なんだか急に、自分が彼岸の人間になった気がしました(笑)。
ご覧のようにただひたすら海と山の境界を、てくてく。風景以外にこれといって愛でるものもありませんので、般若心経を覚えてみたり、いい感じの砂浜を見かけてはウルトラ5つの誓いを絶叫しながら走ったりしてました。袖の下から見れば、私の視線の先には胸にマークをつけた人が飛んでいくのが見えたはず。
それはさておき、今日は佐喜浜(崎浜)というところに逗留しております。思ったより早く宿に着き時間を持て余してしまったので、宿の本棚に『佐喜浜郷土史』(非売品)を見つけツラツラ読んでいました。
なかなかおもしろかったです。そういう意味ではおもしろくない土地などそうそうありませんけども。2、3ご紹介いたしますと、観音下の石段を降りたところを夜中に通ると釣瓶に乗れ釣瓶に乗れと空からからっぽの釣瓶か下りてくる、てな場所があったり、夜通ると黒い牛が追い掛けてくると言われる谷があったり。船場(地名)にある虚空蔵堂の本尊の大日如来(なぜだ・笑)は「鳥仏師」の作と伝えられると武藤致和の『南路志』(1815刊の土佐の地誌)にあるんだそうですわ。…写真載ってましたけどね、止利にしては野趣あふれすぎですね(笑)。本の著者も、なぜここに鳥仏師の名が受け継がれていたか理解に苦しむとおっしゃってますが、なんぞ学のある方がいらっしゃったんじゃないですかね。おんば様とよばれる祠があるみたいなんですが、そのいわれは三輪山のオオモノヌシのお話そのままで、違うのはムスメが七たらい半ある蛇を産み落とすも育てるわけにもいかず葬った、と、その塚がおんば様だということになってたりもし
ますし。まぁ三輪山のお話は特別に学がなくても広く人口にカイシャした話でしょうけども。
ちなみにおんば様の「おんば」はこの辺りでは山姥のような意味で使われる言葉でもあります。昨日通過した海部郡には中世以降代々海部氏吉を名乗る名刀工がいたんですが、氏吉には山姥の意味での「おんば」にまつわるお話があります。なんでも金(キン)の「せいろ」をかついでそこになんでもほおりこんで食ってしまう「おんば」がいたが、氏吉の娘を自分の息子の嫁にもらいたい、と言ってきたので氏吉がならば一夜で千本の刀を作れば娘をやる、と(続きは千本に達しそうなので鶏を鳴かせてというパターン)。金のせいろをかついだ山姥ってのがおもしろいですよね。それはともかく、佐喜浜の「おんば様」はなんかこう…自分の中にある勝手なイメージではあるんですが名前と伝承が噛み合わない感じで気持ち悪いですね。おんば、にはもっと広い意味があるのかなぁ。
さてさて、佐喜浜にはワタシがかねてより出会えないかなと期待していたものがありました。すなわち、六部殺しの伝承です。本には殺した六部の財によって分限者になった一族の名前が明記してあったんですけども、どうも分家筋の方がまだご存命でらっしゃるようなのであえて名は伏せておきますが、相当な財をきずいたようで、香川の金比羅山の手水桶にも名が残っているんだとか。日浦に「聖神」という祠があって「ひじりさん」と呼ばれてるのが、その家によって代々祀られていたひじり墓なんだそうですよ(殺したのは高野聖、なんだそうです)。その後、不幸が重なって家産が傾き一族の若死が相次ぎ、なんと大正の頃、ただ一人の生き残りの方が六部の霊との縁切り祈願に高野山で祈祷を受けたところ、殺された六部の亡霊がありありと現われた、と伝えられているんだそうですわ。
この辺りの方はお遍路さんのことを遍土(へんど)と呼ぶんだそうです。…なんだか急に、自分が彼岸の人間になった気がしました(笑)。