怪道をゆく(仮)

酸いも甘いも夢ン中。

足摺の秋は

2006年10月10日 20時52分07秒 | ヘンろみち
何もない秋です。

と言うたら怒られそうですが、やっと着きました、室戸岬より遠かったぜコノヤロー。

というわけで足摺岬です。久しぶりに納経したので光明真言が噛みそうだったほどです。四国最南端、なおかつ四国裏鬼門の地!さぁ!なにがでるかな、なにがでるかな!

で、特にでなかったですょ、でたのは足摺の七不思議の一つ「亀呼場」で道連れさん(岸和田から来た元警備員の兄ちゃん)が試しに亀を呼んでみたらホントにウミガメさんが顔を出した(笑)ぐらいです。ワタシは見れなかったんですがね、大興奮でしたからホントに出たんでしょう。俺も大師級やでとそれは大騒ぎでした。

ワタシが会いたかったのは25番金剛頂寺で追われた天狗さんです。こちらに天狗さんは来ませんでしたかとだいぶたずねて歩いたんですが、25番がそういうことをゆうてるのは知っとるがこっちでは何もゆわんょ、と皆さん口を揃えておっしゃる。こちらの38番さんの寺の名前は金剛福寺と言うのに、金剛つながりでしょーに(?)、マッタク連携の取れてないったらありゃしない。昨日通過した四万十川の上流の方に天狗高原なる土地があるらしいんですが、そっちなんかしら(適当)。ゆうても祓われた先としちゃあやっぱり迷惑な話なわけで、仕方がないかもしれません。天狗封じの場所だとか、逆に天狗の子孫とか言う方々がいたらおもしろいのになぁと思ったんですけどね。

金剛福寺さん、簡単にご説明しますと、嵯峨天皇より「補陀洛東門」の勅願をいただいたお寺で、また多田源氏がちょろちょろと関わってるようですな。満仲や頼光が多宝塔だの諸堂だのを建ててます。渡辺綱に建てさせたとかゆうてる辺り、なんだかアヤシイ限りですけども。その他、堺の商人がよく信仰してたみたいですね、なんでかはわかりませんが(←いただいたご由緒書きを見てて今気付いた)。あとは補陀洛渡海にまつわるお話なんかもちらほらあります、渡海しようと思ったら代わりに観音さんが乗っていってしもうた、とかね。足摺七不思議っていうわりに七つ以上ある不思議もあります。地獄穴って地獄にまで通じている恐ろしく深い穴らしいですが、お賽銭でビッチリ埋まってました。…地獄から積み上がってんなら、億は下らないんではないかと思われます。

写真は「白山洞門」と呼ばれる海蝕洞門。花崗岩の洞門としては日本一の大きさを誇るそうです。なにぶん携帯電話のカメラで撮ったものですから全体が写りきらなかったんですが、土蜘蛛が降ってきそうな場所でしたよ。よろしかったらググってみてください、いい画像があると思います。白山洞門から県道に上がってきた所には白山神社がありまして、正式名称は白皇神社。境内に立っているというか隣接しているというかのユースホステルにご由緒書きないですかと聞きに入ったんですが、宮司が出かけてるからと断られてしまいました。手がかりはないか探してみましたけれども、これといってめぼしいものもなく、祭神すらよくわからなかったです。

一応、修験の地ではあるようです。足摺岬を形成している山の天頂には石鎚神社とかありますしね。神社といえば金剛福寺にたどりつく少し前(すなわち岬突端よりやや東)にはお伊勢さんがありましたね。

…何もないことなかったですね。足摺岬、すみませんでした。

蛇足ですが、今日何げに鏡を見ていたら自分の耳に驚きました。何にって、車道歩きすぎで煤まみれになったのかと思ったぐらい、黒いんです。拭いてもとれないし、ようやく日焼けしたことに気付きました。顔や首まわりはしっかり塗る日焼け止めですが、耳まではねぇ…耳って忘れるよねぇ…。

そんなわけで、阿弥陀寺の和尚さんにすこぶる共感してしまいました。