怪道をゆく(仮)

酸いも甘いも夢ン中。

四国の鬼門・裏鬼門

2006年10月02日 21時12分38秒 | ヘンろみち
写真に意味はないです。そういえば今日は何も撮らなんだなぁと思い、ふと目に入った看板を。

さて、朝のオツトメ、何をやるんかいなぁとワクワクしていったら護摩堂でお経をあげただけでした(護摩堂の場所がわからなくて開始直前まで境内を10分ほどジョギングしたのは内緒です)。護摩堂だけになんぞ焚いてくれるかとも期待したんですがそれもなく。

とはいえ、やはり仏教の儀式というのは見せる・聞かせるものなんだなぁとあらためて思いました。なんやよう動かはりますしね。祝詞は神さんにさぇ聞こえたらそれでいいもんですからごにょごにょっと終わっちゃいますけども。言うてる意味はわからねど、…やっぱり坊さんが経をあげる声っちゅうのはよろしいもんです。空海さんもさぞかしえぇお声で読んではったことでしょう。

それはさておき金剛頂寺です。昨日言いっぱなしにしてたやつ、なぜに東寺か西寺かというのは、まぁ古い呼び習わしらしいですが中心は室戸の町だろうと、そんぐらいのことしかわからんようです(ちなみに間の25番津照寺さんは「中寺」と呼ぶんだそうです)。ただ一つ情報を加えるとすれば、東寺の住職を西寺の住職が兼職することがしばしばで、二つの寺はそのぐらい関係が深かったようではありました。

そんなわけでご住職のお話をいろいろうかがって来たわけですが、金剛頂寺はお大師さんが開く前からあった寺らしいのですね。で、お大師さんがここを訪れた時、この地は昔から天狗の住みかになっていて、修業僧達が悩まされて困っていると。結論から言えば天狗は追い払われてその後姿を見せなくなりました、というのが有名な天狗問答の話なわけですが(今昔物語にも掲載されてるそうで)、じゃあ天狗はどこに追い払われたのかというと、足摺岬なんだそうで。

真言の寺の境内には本堂と大師堂があります。で、この本堂と大師堂は、向かい合わせだったり12時と3時の位置関係だったりで建ってますね。しかしながら金剛頂寺の大師堂はなんと本堂に背を向けて、足摺を向いて建ってます。そうして悪さをする天狗を封じてるんだと。で、なんで足摺岬なんだと聞くと、足摺は四国の裏鬼門で、四国で何か悪いものを祓う時は必ず足摺へ祓うようになってるんだとおっしゃる(…足摺の人はどないなりまんねんちゅ話ですよ)。

こうなると38番金剛福寺(足摺岬にある寺)が俄然楽しみになってきますね。その次の39番延光寺が高知の最後の札所になるのですが、実は38番を打ち終えた遍路には不文律がありましてね。それは、さらに西の月山神社へ参ってから(月山詣で)39番へ行く、もしくは38から39へ直で行っても伊予に入るまえに篠山神社に行く(篠山詣で)というものでして。これは、何かありそうでしょ。というわけで、月山も篠山もいろんな都合で飛ばそうかなと思っていたのですが、行くべきなんではないかと感じはじめております。

さて、対する四国の鬼門はどこなんだというと鳴門だという。あなた方お遍路さんは鬼門から入って来られるんです、と。それでうーむと唸ってしまいました。

1番霊場を鳴門の霊山寺としたのは、畿内に一番近い寺を一番とせよという空海のお墨付きがあるからだと聞いたことがあるんですが、考えてみれば1番をなぜそこにしたのかというのはそこそこ重要な意味があると思うのです。香川の75番善通寺は空海生誕の地として特別視される札所で、現にそこを出発点として廻られる方も少なくないのですね。四国遍路の目的が空海の事績をめぐることにあるならば、善通寺こそが1番であってもよいわけで。となると遍路は四国の鬼門から入って鬼門から出ていく、文字通り鬼のような存在という考え方はあながち的外れなものではないような気もしてまいります。

遍路の白衣は死に装束で杖は卒塔婆だというのは誰もが知ってる常識ではありますが。ますますこの世のものではないという位置付けに、ニヤニヤしている今日この頃だったのでした。