怪道をゆく(仮)

酸いも甘いも夢ン中。

怪日記vol.94 発掘現場より現代ニッポンを問・・・う?

2007年09月27日 23時00分58秒 | 怪日記
一周年ヨモヤマ話は本日起き抜けの午前6時半頃に削除いたしました、スイマセン。なぜって、あまりにもイタい内容だったもんですから(汗)。この時期私が一周年、というたら遍路に決まっておりますわけで、・・・まぁ、お察しくださいw

というわけで。本日、3月より始まった埋蔵文化財発掘調査現場の整理事務所を閉鎖、本格的な整理作業のための事務所へ移転しましたことを記念しまして、発掘調査現場の裏話・・・というほどでもないですが、思いつくままにチラホラ。ちょっとおおげさなタイトルをつけてみましたが尻つぼみになるのは目に見えてますので適当に読み流してくださいねw

1.
さて。考古学というのは学問でありますが、発掘調査とは、極論でいえば考古学という学問をするための、単なる「技術」に過ぎません。そのような現場を指揮する技術を持つ人、言い換えれば、発掘調査をする資格というのは、果たして公的にどのように規定されているか、ご存じでしょうか?

実は、ありません、というのが正解。教師ならば教員免許が、医者ならば医師免許がといったふうに国家資格があったりするものですが、発掘調査員にはそういったものが存在しません。学芸員ですら「学芸員資格」なるうろんなものがあるにも関わらず、そして同じく公共財産である文化財を扱っているにも関わらず、です。

調査に参加してくる学生達は、考古学に必要とされる科目を履修してきてはおりますが、自動車免許に学科が必要であることとは違い、それはあくまで各自の志向におけるものに過ぎません。ご経験をお持ちの方はたくさんおられると思いますが、そもそも「考古学」という授業を受けたところで、発掘調査に関わる技術が学べるわけではありません。それらの技術は一般に、現場で直接たたきこまれ、かつ蓄積されてようやく得られるものなのです(技術的なことをちょっとかじれる、「考古学実習」なる教科を設けてる大学もありますが、あくまで「かじっている」程度に過ぎませんね)。

プロの調査員の資格とは、様々な現場主任のもとで調査に参加した、報告書を書くのを手伝った、という、言わば人脈等に裏打ちされた「経験」と実績に基づく信頼関係によるもの、ということができるかもしれません。もちろん歴史系や考古学系の学部・大学院を出ていることは就職において有利ではありますし、そういう方々が採用されるのが一般的ではありますが、だからといって必ずしもそうでなければならない公的な規定は何一つないんです。

ぶっちゃけ、現場で専門的な訓練をうけ実績をつめば、誰でもなれるんですよ・・・多分。現に、発掘調査をやっているのは市町村教育委員会や大学などの研究機関だけではありません。調査から報告書作成までやってくれる民間業者というのも存在します(安価でやってくれるのでそっちに委託する建設主も多いんですよ)。ですから、ワタシのように専門は文献屋であるにもかかわらず、技術さえ覚えればなんとかやっていけちゃったりするんです。

目に見えて技術がともなう職・・・であることから、かつて発掘調査員についてなんらかの国家資格を検討する本格的な動きがあったそうです。それが結果的に霧消したのは、おそらく統一的な基準が確立できなかったから、というのもあるんでしょうな。なんでも苦心して要項まで作ったものの、法制化の段階で見事に頓座した、というのがもっぱらの噂w(←詳しいことは知りませんが、法律家に要綱を提出したとたん「無理」と断られたとかなんとか)。いまやちょっとした笑い話です。

まぁ、そんな資格をつくったところで取得するための努力が面倒くさいだけですし、学芸員資格と同様、とっても結局何ということもないものになるのは目に見えているんですけどねw

2.
日本では、原則として市町村の教育委員会が作成した遺跡台帳とか遺跡地図(過去の遺跡があると推定される区域が書かれた地図)に掲載される地点に建造物をたてる時は事前の発掘調査が必要、というのが基本です。えぇ、なんでもかんでも建てる前には必要というわけではないんですよ、あくまでその区域に含まれていれば、なんです。とはいえわかっていないだけで何かが埋まっている可能性はありますから、そういった義務が当初発生していない場所であっても、途中で見つかった際には建築そっちのけで調査が始まる、というのは、皆さんもご存知の通り。

ですから、当然ながら発掘調査は開発と非常に密接な関係があります。文化財保護法では発掘調査をはじめる30日前には届出が必要ですから、遺跡台帳にかかっている部分になんらかの開発を行う際は、完成までの工期にくわえ、地中に埋まっている可能性のある遺跡に必要な調査期間をさかのぼって計算し調査開始時期を定め、さらにその一月前に文化庁に届ける、という作業が必要になる。手続きをしなければ開発そのものが始まりませんからね。というわけで、何らかの開発が行われるぞ、ということにもっとも敏感なのがこの業界、とも言えるわけです。時には、公表されていない開発の通達が事前かつ内密にやってくることもあるのですね。

ここで、現在進行形のとっておきのネタをご紹介いたしましょう。

かつて小泉政権の下で、猪瀬氏らの主導の下、一部区間を抜本的見直し区間とされ計画が凍結された「第二名神」と呼ばれる高速道路があります(現在は「新名神高速道路」なる名称がついてるようですが)。名神高速道路の渋滞緩和のために計画された三重~滋賀~京都~大阪~神戸を結ぶ新たな経路で、このうち見直し区間とされたのは大津~城陽区間と八幡~高槻区間。その理由は、2003年に開通した京滋バイパスなどと重複していたからであることは皆様もご存知の通りですね。

ところが。これについて、京都の埋蔵文化財関係機関が、今年に入った頃から動きはじめています。埋蔵文化財が動くということはすなわち、いずこかより、凍結されたはずの第二名神の開発に対するお墨付きが出た、ということです。まぁ、先だってとんでもない辞任をしたあの方の内閣の際に、進行した話なのかなぁと思うわけですが。まったく、ほんとに改革は続行していたのでしょうか、小泉路線(いいか悪いか、支持するかしないかはこの際置いておいて)は継承されていたのでしょうかねw。こういうことを見ていると、のび太くん政権で「揺り戻し」が~なんていいつつ、アベ~ル政権の頃からそれはすでに始まっていたかのようにも思うのですが。あるいは「凍結」そのものが当初からパフォーマンスだったのか?

・・・ということで、たまにマジメな話をしてみたらチエ熱が出そうになりましたので、今日はこのへんでお後がよろしいようデw。

怪道vol.72 伊東オバケ紀行

2007年09月21日 23時21分03秒 | 怪道
ちょっと頭髪をいじってやろうとカラーリングしたつもりが誤ってブリーチをかけてしまいました。・・・どこぞの歌劇団の雪とか星とかの組所属な業界のヒトかとオノレにツッコんでます。このままでは仕事にすら行けませんが、おもしろい冗談なので連休中は放置することに決定。この間に出会えるみなさん、レアなワタシにひいてくださいw

さて、かねてよりの予告(←後半部分参照)どおり、静岡県は伊豆半島の伊東に行ってきました。



伊東といえば曾我物語(日本三大仇討ちwの一つのアレです)とか日蓮さんが流されてきて、とか三浦按針が洋式帆船を建造したところ、だとかハトヤ(?)とか比較的メジャーな観光スポットが目白押しの温泉地。・・・ですがそういった有名どころのスポットは軒並みスルーして参りましたことをあらかじめお断りしておきます。温暖な気候が特徴で明治・大正の頃から避寒地として栄えた土地柄ですしね、このクソ暑い中行っても何一つありがたいこともありません。

まずお邪魔してきたのは、「宮内洋探検隊の超常現象シリーズ」ドラゴン・トライアングルの回で紹介されていた、「海坊主」対策に漁師さんが船に積んでいたという底の抜いた柄杓が奉納されている神社・音無神社。この場合の「海坊主」は、一般に「船幽霊」と認識されるオバケをさします。すなわち、海上の怪で「柄杓を寄こせ」というてくる、それに柄杓を渡してしまうと、それでもって船に大量の水を汲みいれられてしまうから、底の抜いた柄杓を渡す、というものです。で、話に出てくる柄杓が、これです↓↓↓。


鴨居にずらりと立てかけられた柄杓。これが、神社の両側面をも埋め尽くす・・・というほどでもないけどあります。


一部を拡大。見た感じ最近のモノが多かったです。比較的メジャーなオバケですし話にはよく聞くものの、実際に使われていた柄杓を目の当たりにすると、オバケそのものがヤケにリアルに感じられるものですね。

とはいえ先に申し上げますと、これら奉納されているとおぼしき柄杓が「船幽霊」の解除アイテムであるとのお話を現地の方にうかがうことは結局できずじまいでした。この後おとずれたお寺や、他の神社で秋祭りの相談をしているオッチャン方に尋ねたんですが、逆にこちらが船幽霊について説明し、そんなものがあるんだねぇ、と感心される始末。まぁ、よくあることです。

ただこの神社が松川(現伊東大川)沿いにあることや祭神が豊玉姫命であることなどを考え合わせると、海と関わりの深い神社であることは明白ですから、これらがおそらく「船幽霊」と関わるものであろうことはある程度察しはつきます。・・・ここから電車で2駅ほどいった富戸の方には間違いなく「船幽霊」のお話が残っているようなんですけどもね。宮内洋探検隊は、何らかの話が聞けたのでしょうか、ウラヤマシイ。

ちなみに音無神社、源頼朝と八重姫が逢瀬に使った場所でもあるそうで、その辺の話が由来して行われる「尻摘み祭」なるものが有名らしい。興味がおありの方はご自分でお調べくださいませ。ワタシとしては神社前になぜか平積みしてあった「解脱会」のパンフレットがかなりおもしろかったです(→解脱会についてはコチラw)。

音無神社をあとにして、近くにあった葛見神社の大木をおがみ、曾我兄弟やそのオヤジさんの墓があるという東林寺は5秒ほど逡巡しましたがやはりスルーw いや、やっぱり早いこと、仏現寺に行きたかったんですw 仏現寺はいわずとしれた、天狗の詫状があるところですね!

その昔、柏峠に行きかう旅人の通行をさまたげる天狗サンがいました。困った人々は当時仏現寺にいた日安上人に、退治をお願いします。日安上人は柏峠の松の前で七日七晩修法をとりおこない、松の木を切り倒したところ、一巻の巻物が空から降ってきました。以降天狗の悪さがなくなったことから、これは天狗の詫び状なんだろう、ということになりました。というもの。

「詫び状なんだろう」と推定せざるを得ないのは、書き連ねられた千数百字の文字が未だに解読されていない謎の文字だからです。文書の上下左右の向きすらもわからないというのだからスゴイですよね。そして世の中には大層ヒマな人がいるもんだなぁと感心してやまないことに、今まで何人もの研究者がアタックしては玉砕しているそうです。ていうか「詫び状」という捉え方自体がまた都合のえぇことゆうてと思うてしまいますがね。ひょっとしたら次は覚えとけよ、な果たし状だったのに何らかの理由で再チャレンジできずじまいという可能性もあるわけです。そのうち天狗さんがウン百年越しの仕返しに来るかもしれませんよ。


戦利品、天狗の詫状羊羹。包み紙の裏に詫状が印刷されてあります。

ちなみに仏現寺の方は詫状だけを目当てに来る連中には複雑な心境をお持ちのようでしたので、お参りされる方はくれぐれも相手のご心中をお察しするよう心がけられたほうが吉かと思われますw。まずは本堂のお参りからきちんとさせていただきましょう。あと、本物は見せてもらえません(まぁ寺宝とはそういうものです)。かつてはレプリカが拝観できたようなんですが、それすらなくなったらしいw。ただし、一部コピーしたものはゆずっていただけます。

・・・あとはもうグダグダでした。なんだか親の敵のように暑い日で、その後も二つ三つと神社を回ったもののさしてコレはというものもなく。ひとつだけちょっとおもしろかったのが、伊東市街地の北のはずれ、地図で言うと「伊東パウエル」のやや北西の山際に、「橘姫」の祠なるものがありましてね。橘姫というと、やっぱりヤマトタケルの奥さんの弟橘姫かなぁと思われます。

これがまた何の解説もないし全くもって詳細がわからなかったんですが、弟橘姫というと記紀神話でヤマトタケルの東征に同行するクダリで、タケルがワヤしたもんやから海が荒れてしまったので、彼女が海に身を投げて海神の怒りを鎮めた、という話で知られる方です。これは走水(現・浦賀水道)の出来事でして、なんか何日か後に弟橘姫の櫛だったか衣服だったかがどっかに漂着するんですよね(←うろおぼえ)。それは果たして伊東だったでしょうか、ひょっとしてそれを祀ってるとかいうローカルな伝説があったりするのかしらと思ったのですがw ちなみにこの祠のすぐ下の踏切が「龍神下踏切」なる名でして、龍神と祠はなんらかの関係があるのか、という辺りも気になりましたが・・・とにかく人通りの全くない場所だったので何もわかりませんでした、スイマセン。


「橘姫」の祠を見上げる。

汗だくになる一方だったので、せっかく伊東温泉だし、ということで市内に点在する「七福神の湯」なる公衆浴場につかりにいったんですが、あまりにも普通の銭湯すぎてなんだか申し訳ない気持ちでスミッコの方にお邪魔。湯上りで体がホテって一層茹だりながら再び町を徘徊するも、暑さに起因する疲労が顕著なため予定より1時間繰り上げて伊東を去ることにいたしましたのでした。合掌。


この海の先にドラゴン・トライアングルがあるのだぁー。


松嶋初音が泊まったホテル、伊東パウエル。ここの支配人はドラゴン・トライアングルをご存知です。番組中では北隣は空地だったが、立派な白亜のお屋敷が立っておりました。


港で愚霊(グレイ)に遭遇。会話は成立せず。


新幹線を待つ静岡駅で発見した、静岡産業大学の看板。・・・まぁ、ガンバッテくれw

怪想vol.22 ウルトラファイト研究序説 #5

2007年09月14日 01時59分45秒 | 怪想
〔注意〕携帯からつながれた方には見えない表があります。パソコンから見ていただけると幸いです。

テテン トン
テテントン テテントン
ステテントン テテントンテテントン

第Ⅱ期後期です。

混迷の前期をぬけると、ファイトの構成は一転して整然と組まれている、とみてよいかと思います。まずは1対1戦の対戦表をごらんください。



どうですか、このかぶり一つない見事な総当たり具合。これを見ると、やはり128話(エレキング×シーボーズ)は後期に入れない方がスッキリするのがおわかりいただけますでしょうか。

前回、128話は実は不要でと言いましたが、これと同時にオモシロイのをもう1回やるんだよね、というとこにもあったりします。第Ⅱ期前期の対戦というのは全体的に玄人好みなところがあって、ウルトラファイト新撮版の終盤戦(すなわちワタシが言うところの第Ⅲ期ですね)に見られるような、誰が見ても一目瞭然にユルくてクダラないw、これぞウルトラファイトというのが好きな人には、この時期のバトル展開は少し退屈だったりします。第Ⅰ期当時のただひたすらに殴り合うだけの要素がいまだ継承されている頃でもありますし、Ⅰ期後半でややくだけはじめていた山田アナの実況も、この時期は遊びがあまりない状態に再び戻るのですね。

ところがどっこい第Ⅱ期後期がはじまるや、しょっぱなの131話から、イカルスのあの有名な「カモーン!」のセリフが出るとともにシャドウボクシングをしてたりする。133話ではエレキングもトレーニングをします。134話ではセブンの「ラジオ体操的」と評される宇宙陰陽の構えが出ますし、136話はイカルスに出くわしたエレキングが「オス、よろしく!」というなりばーん、とどつく。この、「ばーん」なる実況が絶妙にオモシロイw。

128話のエレキング×シーボーズの対戦も、140話の対戦に比べるとややオモシロ味にかける感は否めないのですね。前者での2匹は海岸でただひたすらボカスカやってるだけですが(それはそれでワタシとしてはオモシロイんですが)、後者では、決闘の場に先に到着していたシーボーズが待ちぼうけでややキレ気味に戦闘開始、「死ぬまでやるぞデスマッチ」などの合いの手が入れられつつ、最後はエレキングの逃げるフリにだまされたシーボーズが奇襲攻撃をうけてあえなくダウン、・・・ストーリー性があっていいですね。つまりこの時期は全体的に、第Ⅲ期のあのすばらしきクダラナサの序章ともいうべき位置づけができるのではないでしょうか。

ではさらに、三つ巴戦の顔ぶれを見てみましょう。



おわかりでしょうか。前期三つ巴戦は、124話~127話の後半戦になるとようやく各怪獣が3回ずつの登場するという形ができはじめますが、後期になると四つ巴戦も含め、ウルトラセブンを全出場とし、他の怪獣が3度ずつ出番をもつ、という、実に整然とした組み合わせを見せます。美しいです。

前期にしろ後期にしろ、これが登場怪獣をまとめて持って行って一日で全部撮影しているかといえばそうでもありません。画面の背景を見ていると、後期に限っていえば141~143話、144話~146話の各3話ずつ、撮影しているようです(前期は今のところ判別不能な部分も多いが、少なくとも後期のような規則性はない)。そのこととこのかぶりのない組み合わせを考えると、事前に対戦を組んだ上で撮影していると考えるのが妥当です。

四つ巴戦の方は、はっきりしたことはいえませんが、148話~150話は同じ場所での撮影と考えられますが、147話に関しては三つ巴戦・141~143話群撮影の際に一緒に撮っているのかな?という感じもする。このような各話の撮影スケジュールを撮影場所から割り出す(どの対戦を同日に撮影しているか、ですね)というのは今後の課題にしているところで、正確に分析できればまた見えてくるものもあるのではないかと思っております。

ちなみに第Ⅱ期後期といえば、なをき先生の『ウルトラファイト番外地』でのウルトラセブンは首筋が黒いセブンを使用しておられますが(以後黒セブンと呼ぶ。対して通常のセブンを銀セブンと名づく)、実はこの黒セブン、第Ⅱ期後期開始時にあたる131話「怪獣ゲバゲバ地帯」以降~第Ⅲ期2話目にあたる152話「赤い抱擁」までの間のみ、すなわちほぼ後期のみに登場する存在なのですね。これは新撮版でセブンが登場する全69話中、17話にすぎなかったりします。トリビアとして知っておかれると自慢できますよ(?)。

というわけで、第Ⅱ期の総括にかえて、対戦結果の勝率一覧を発表します。



全体的に納得の感はありますが、唯一、イカルスの7%は驚きですね。第Ⅰ期では46.7%と2位を誇っていたことに比べると、ナマケていたのかスランプか、格段の落ち込みです、これはテレスドン以下の勝率です(何もテレスドンが弱いとは言いませんがw)。宿命のライバル・ウーが成績を上げ、5割強の勝率を誇っているにも関わらず、これはちょっとオソマツ。イカルスにはカウントに入れられなかった119話の対アギラ戦があり、イカルスが勝利を納めてはいるのですが(とはいえアギラの自爆によるタナボタ勝利な面もある)、それを含めても最下位であることには変わらんでしょう。

では、次回第Ⅲ期は、暴れん坊イカルスの巻き返しなるか!対してケンカ屋ウーはその地位を守れるか?!乞うご期待!!


・・・はいつ頃になるかしらw ウルトラファイトは不人気でねぇ、これをやると閲覧数がぐぐっと下がるんですョネ、こんなにおもしろいのにw、・・・ひとえにワタシの力不足です。なのでまた気が向いたらやります。ネタはもちろん、こっそりためておきますけどネw その日までしばし、サヨウナリ~


【参考資料】





怪想vol.21 ウルトラファイト研究序説 #4

2007年09月12日 21時57分29秒 | 怪想
〔注意〕携帯からつながれた方には見えない表があります。パソコンから見ていただけると幸いです。

スッタカター タカタッタカタッ
チャチャチャチャチャン 
タリラッタリラッ タリラッタリラッ

お久しぶりです、ウルトラファイトです。ほんとに久しぶりですね。なんと5ヶ月ぶり。正直に申しますと、パソコンが壊れてデータが一部飛んだりしたせいで何かもうめんどくさくなってました、スイマセンw 内容をご記憶の方はもういらっしゃらないかと存じます。ワタシも忘れましたw 再開を決意したのは、単に旅行前には身辺整理をしたくなるという性癖によりたまたま思い出したんですねぇはっはっは。

というわけで、以下、バックナンバーです。↓↓↓

 ・ウルトラファイト研究序説 #1
 ・ウルトラファイト研究序説 #2
 ・ウルトラファイト研究序説 #3

これまでに登場怪獣によるⅠ期、Ⅱ期、Ⅲ期の区分わけをし、かつⅠ期についてを終えましたので、今回はⅡ期の話をいたしましょう。第Ⅱ期は112話~150話まで。「ゲスト怪獣」はシーボーズ、ケロニヤになります。まず、基本資料となる当該期の怪獣たちの対戦とその勝者の一覧です。


(三つ巴戦における「勝者」は最終的な勝者。「▲」は引き分けもしくは決着がつかないもの)

第Ⅰ期は前半部と後半部、すなわち1対1の「タイマン戦」クールと複数怪獣で乱闘になる「三つ巴戦」クールに分かれていましたが、第Ⅱ期は1対1戦と三つ巴戦の各クールが交互に2度繰り返されております(最後には四つ巴戦まで勃発)。よって1対1戦クール+三つ巴戦クールをあわせてひとかたまりとすると、第Ⅱ期はひとまず仮に、112話~127話を前期、128話~150話を後期、と分けられるかと思います。前期ラストの127話が夕暮れ時の中戦われるのに対し、後期最初の128話が燦燦とふりそそぐ太陽の明るい映像に切り換わるわけで、第Ⅰ期→第Ⅱ期への移行時と似かよりますね。

前期と後期には、実は登場怪獣のメンバー構成にも違いがあります。以前に、ウルトラファイト新撮版全体を通して、登場怪獣はレギュラー怪獣〔セブン*・ウー・イカルス・エレキング〕とゲスト怪獣に大別できるとお話しましたが、実は第Ⅱ期前期にはレギュラー怪獣であるはずのエレキングが登場しないのですね。そして後期には、前期にゲスト怪獣として活躍していたケロニヤが姿を消します。この意味でも、上記の前後期区分は妥当であろうと考えています。ちなみに後期より登場するエレキングは第Ⅰ期の時のくたびれ色とは違い、目の覚めるような黄色い、新品みたいな姿で現れることを注記しておきましょう。

その2匹が、前期と後期の間となる129話で、入れ替わりを記念するかのように対戦しているのは注目すべきでしょう。また130話「セブン救出作戦」は、新撮版の中に唯一入り込んだ再編集版、という異色の一話。これより、第Ⅱ期後期怪獣であるエレキングの登場を見る128話(←1対1戦クールの開始の回でもある)、前期・後期で入れ替わるケロニヤとエレキングが戦う129話、異色作の130話は、「移行期」と位置づけてはどうか、と考えています。

実際にある作品を持ってこんなことをいうのはよろしくないのですが、番組構成としてより美しくまとめるには128話は実は不要で(これについては後述)、130話で前期に区切りをつけ、129話で前期・後期の怪獣交代を印象付けて後半部をスタートさせる、という形がよかったのかもしれませんけどね。とはいえ128話も、ゲスト怪獣として現れるなり第Ⅱ期最多出場を誇ることになるシーボーズがニュー・エレキングの相手として現れるわけですから、おもしろいカードであることには間違いありません。

さて、第Ⅱ期前期というのは、新撮版中でもっとも混迷の時期、と位置づけることができます。115話「セブン逆転す!」ではガッツが、そして119話「地獄までつきあえ」ではアギラが、それぞれたった一度だけ登場するという揺らぎがあります。また、第Ⅰ期ではゲスト怪獣を多く出したために1対1での全登場怪獣の対戦カードを組みきることができず、三つ巴戦においても結局解消できませんでした。そういう反省があったかどうかはさておき、第Ⅱ期ではゲスト怪獣・ケロニヤ、シーボーズの2匹を迎えるもレギュラー怪獣1匹(エレキング)をけずった5体で構成するという形をとった。にもかかわらず、1対1戦において総当りが組みきれていないのです。



セブン×ウーは三つ巴戦の第1戦である121話で、セブン×イカルスは翌122話で解消されるも、伝統の一戦ともいうべきイカルス×ウーが125話まで組まれないという失策(?w)も犯しています。これはちょっと驚きです。

また、第Ⅰ期・第Ⅲ期ともに、ゲスト怪獣新登場の際にはまずセブンが相手をしていますが、第Ⅱ期はまずイカルスがケロニヤを迎え(112話)、シーボーズは同じくゲスト怪獣であるケロニヤと対戦しています(113話)。第Ⅰ期の三つ巴戦にはセブンがすべて顔を出していましたが、第Ⅱ期前期は全7戦中セブンが登場するのはたった3度だけ。すなわち、セブンの印象が非常に薄い時期でもあるわけです。

次回は前期のこの混迷が後期でいかに変化するか、のお話です。



*・・・セブンは怪獣ではありませんが、いちいち書き分けるのは面倒くさいので以後怪獣に含めて述べることもありますが気にしないように。

怪道vol.71 三田の寄り道、夜啼き石

2007年09月10日 02時03分31秒 | 怪道
最近どうも日記ばっかりですね。スイマセン。

というわけで、前回の続きです。三田まで遠出するもんですから、ついでにもう少しまわって行こうと、一駅向こうの新三田も行ってきました。地図を眺めていたら御霊神社とあるのがちと気になりましてね。足を伸ばしてみた次第です。

御霊神社は三田市貴志にあります。キシとはかつて古代において渡来系氏族に与えられた姓「吉士」でして、富田林の喜志なんかもそうでありますようにこの付近に渡来系氏族の集落があったんでしょう。三田市そのものが丹波からの交通の要衝にあったようで、市街地を今も武庫川が縦貫する古くから拓けていた土地。近くにはどうも「末(スエ)」なんて地名もありましたしね。ちょっとWikiってみますと、須恵器の窯跡が出ているようですし、貴志の住人がそうであったかどうかはわかりませんが、須恵器を焼く集団もいたようです。御霊神社はこの貴志地区の氏神になるようで、拝殿に立つと扁額には「貴志神社」とありました。

御霊神社と言うだけに、祭神には鎌倉権五郎景政・・・も連なっておりましたんですが、最前列にいたのはイザナギ・イザナミに大彦命。「古老」の言い伝えによるともとは大彦命を祀っていたそうです(御霊神社由緒書きより)。貴志なる地ですから大彦命で正解かなと思われますね、戯れに『新撰姓氏録』をめくってみると「吉志」姓のやつが難波忌寸同祖で大彦命の後裔を称する連中がおりましたですよw まぁ大彦命は孝元天皇の子だから皇別氏族になっちゃうんですが。

で、行ってみたらば運のいいことに、大当たりでした。何がアタリだったかと申しますとね。なんと夜啼き石があったんです。それがコレ↓↓。



伝承によりますと、この付近を治めていた殿様に庭石として献上されたが、夜になると「貴志へ帰りたい、貴志へ帰りたい」といって泣くので、戻ってきた、というのですね。ちなみにお殿様というのは戦国時代に伊勢の九鬼水軍として名をはせた九鬼氏。江戸時代に三田藩に入ってこられ、居城は現在の三田駅近くにあったようです(現在の三田市役所の辺り)。

なんだか複雑な形をしておりますね。大きさは長辺で80センチぐらい、高さは5~60センチといったところでしょうか。もともとはどうも「酒船石」だった、と案内板にありました。「御霊神社の祭礼に用いる神酒はすべて清浄なこの石で造られた」そうなんですが・・・酒船石ってワタシ、何か意味ありげな石にとりあえず付けておくみたいな名前だと思ってるんですが間違ってますかw ちなみにこの石、別名「茶臼石」とも呼ばれているそうです。茶臼・・・といわれてもやっぱりよくわかりませんね、どの辺がどう茶臼なのかしら。九鬼のお殿様はこんなケッタイな形の石をどないに庭石にしたのかも興味のあるところです。中国式の庭園ですかね、太湖石みたいだしw

10月10日の秋祭りには「ほやほや踊り」という無形民俗文化財に指定されているという田楽系統の芸能があるみたいでして、蛙とび踊りとかしてたりこれまた楽しそうです。のぞけるものならのぞいてみたいですねウフフのフ。祭の詳細はまたのぞけた時のお楽しみとしておきましょう。

御霊神社、かつては金性院なる社坊があったようですが明治2年の神仏分離で廃寺。神社自体が、貴志の集落の北側に位置するこんもりとした丘の、その西端にあり、参道は東の山裾から一直線に山を横断して神社にたどり着くのですね。それがなんだかちょっと不自然な気がするので、かつてはおそらくその丘というか山というかの一帯、参道のあたりに金性院の坊があったのではないでしょうか。


山裾から上がってきて、境内に少し入ったところから撮影。最奥に小さく見えるのが御霊神社です。

金性寺時代のなごりでしょう、御霊神社本殿は、正面の蟇股に十一面観音をしめす「キャ」の種字があったりする見事な神仏習合社殿です。側面には戎や大黒が彫ってあると由緒書きにあったんですが、遠くて(近づけなくて)よくわかりませんでした。

さてさて、買ったものの一度も着ないでいてはもったいない、と一念ホッキして全日本妖怪推進委員会のTシャツを着用したのは前回申し上げた通りですが、それが功を奏した話を一つw そんなナリで妙齢(ジブンデイウナ)のオンナノコが神社をブラブラしているのをおもしろがってくださった地元の方が、御霊神社の怪談を(その辺がこう、もうちょっと「妖怪」を推進せんと行かんのかしらと思うわけですが)してくださいました。

なんでもこの御霊神社裏のケヤキの木は、丑の刻参りに使用されるんだそうです。今も五寸釘が埋まっているとかいないとか。20年ほど前に、深夜、カーンカーンと釘をうつ音を聞いた人がいるらしいです。むふぅ・・・そうですかw みなさんもウロウロされる際には、このTシャツお召しになってはいかがでしょうw 楽しい話が聞けますよ、きっと。

日本全国津々浦々、何にもない場所なんてのはございません。三田もかなりのオモチロ街でした。


国指定重要文化財の御霊神社本殿。