というわけで、堤邦彦先生の講演「日本皿屋敷伝説 その謎と真実」です。
お菊ちゃんのお話は、江戸の「番町皿屋敷」とこちらの「播州皿屋敷」を両巨頭といたしまして、全国約50ヶ所に分布する、江戸三大女幽霊の一人ですね(残りの二人はお岩ちゃんと累ちゃん。四大、にするとお露ちゃんが入る)。
主家の家宝であるお皿を割ってしまったためにお手打ちにあい井戸に投げ込まれて、夜な夜な皿の枚数を数えるというストーリーとしてよく知られますが、お皿は本当にお菊ちゃんが割るタイプやお菊ちゃんを恨む人に割られるタイプ、隠されるタイプがあり、お皿が割れるのもウッカリ事故のパターンも故意で割るパターンもあります。そもそもお皿が出てこないお話(主人に出したご飯に針を入れる)もあったり、またまた名前も「お菊」じゃないこともあり、井戸に落ちないこともあり。
とにかく全国に広く分布するだけにその類型も様々で、全てに共通するのは、ある家に奉公する女の子が主の非道により亡くなった後、怨霊となって祟りその家を没落に追い込む、というぐらいでしょうか。つまり、キーワードは「お菊ちゃん」ではなく「皿屋敷」なのですね、当たり前ですが。ある一族が滅んで家屋敷がなくなってしまったという、サラ(皿)地→更地に対する恐怖、すなわち「家の繁栄」の対極にある「家の断絶」に対する恐怖が根底にある怪談、ということになっています。
さてこの皿屋敷伝説、堤先生のお話によりますと、皿を数えてすすり泣くお菊ちゃんに、高僧が「十枚目」と言葉をかけてやることによって成仏させてやるという、仏教説話の類型パターンであるということで、いろいろと興味深いお話が聞けました。
そもそも足らずを補うことで幽魂を成仏させる話というのは、上の句を残して死んだ歌人の幽霊を下の句を作ってやることで成仏させる話が原型にあるとのこと。「十枚~」と言うてお菊ちゃんを成仏させてやる了誉上人は浄土宗中興の師なわけですが、増上寺末の大泉寺(盛岡)にもお菊の皿が伝わっていることなどから、浄土宗の説教にはお菊伝説が取り入れられていたことがわかるのだそうで。
対して、江戸麹町にあった常仙寺(曹洞宗)にもお菊の皿は伝わっているそうな。寺の縁起によりますと、お菊の霊を成仏せしめたのは当山三世の文令禅師であるぅ、とのたまわるわけですな。しかも山崎美成の『提醒紀談』によれば、年に何度か江戸の人々にご開帳していたようです。了誉上人はたった一言「じゅうまい。」とゆうてやったわけですが(それで納得したんかいお菊、と思うわけですが)、文令禅師は参禅するお菊にえぇか、えぇかと「法味」を説き聞かせたんだそうです。
ちなみにワタシが以前いった和歌山の窓誉寺(曹洞宗)のご住職によりますと、そこが伝える話によれば、禅宗ではファイト一発的呪文に「トツ」という掛け声があるそうで、お菊に対し「トォツ!」とやったのを、余人が「十(とぉ)」と聞き違えたのだろうとおっしゃっておられました。同じ宗派でもいろいろあります、ハイ(※友人のご指摘より、「トツ」は禅宗で受戒の際にいう言葉ということが判明いたしました)。
お菊ちゃんの皿と伝えるものは浄土宗や曹洞宗に限らず、彦根の長久寺は真言だし個人宅にあるもので真宗寺院から手に入れた(佐賀県)というのもあり(伊藤篤『日本の皿屋敷伝説』より)、いずれの宗派にも唱導とお菊説話というのは密接な関係にあったということなんでしょうね。
また、播州皿屋敷伝説には、周知のとおり、「お菊虫」にまつわる後日談があります。お菊の百年忌にあたる(そいつはちっと出木杉英才)寛政7年(1795)夏、城下で後ろ手に縛られた女のような形をしているサナギが大量発生したのを、人々がお菊が虫の姿を借りて帰ってきた、と噂しあった、というものですね。この「お菊虫」と呼ばれたサナギの正体は現在ジャコウアゲハであろうとされ、姫路市の市の蝶になってるらしい。
お菊虫の図(大田南畝『石楠堂随筆』より)。
堤先生のご指摘によりますと、お菊虫の伝承は関西圏を中心とした西日本に分布が見られるが、関東圏では全くないということ。それらが『桃山人夜話』のような関西系の画家が描くものと、江戸の北斎や月岡芳年が描くものとの差になっているのだろうとは実におもしろかったです。
堤先生のお話においても、「皿屋敷」伝説から見える江戸時代人が怖れたもの、とは家の断絶、家の没落であり、武家などの家経営に対する教訓であろうとしめくくっておられたわけですが。家が没落してしまうことへの恐怖と、井戸で皿を数えるお菊の幽霊に対して抱く恐怖というのは、明らかに質の違うものだと思うのですね。後者の方は、言うなれば、人間の生理的な部分に訴えかける恐怖なわけです。
主の非道を戒める教訓がもとにあって、それに対してこういった別の次元の恐怖をおりまぜていってしまう江戸時代人の発想のすさまじさにはつくづく恐れ入りますね。もっともこれは、当時の人々は現在よりももっと「家の没落」に対して切羽詰った恐怖を持っていたんだなぁという推測ができるとともに、それが希薄になった現在では皿を数える「お菊の幽霊」へと恐怖の比重がスライドしていったと考えた方がよいのかもしれません。・・・とはいえやっぱり、江戸の人も、家の繁栄がどうのよりは、お菊の一まぁ~いの方が怖かったと思うんだけどなぁ(笑)。
そういうわけでたっぷり1時間半、ファンになっちゃいそうな人徳オーラを出し続けられる堤先生のお話を堪能したしました。えぇ、3月の大会でもう一度お会いできるのが本当に楽しみです。
せっかくなので姫路文学館の常設展示を拝観し、三上参次、辻善之助、井上通泰なんて姫路出身のマニアックな方々の展示をなめるように見ておりました・・・KR老師が。辻善之助のラジオの音声が聞けたのはちょっとうれしかったですが。「ガタピシ」というのは相反するものをならべて物事を分別したり、対比したりする、という意味の仏教用語なんですってね、建てつけの悪い扉のことだと思ってました。ちなみに椎名麟三が椎名リンゴに聞こえたのはヒミツです。
閉館時間も近づいたので、小雨降る中、お菊せんべいを買ったり地酒を試飲したりしながら家路につきました。
次はみなさんで、車で行きましょうね。
お菊ちゃんのお話は、江戸の「番町皿屋敷」とこちらの「播州皿屋敷」を両巨頭といたしまして、全国約50ヶ所に分布する、江戸三大女幽霊の一人ですね(残りの二人はお岩ちゃんと累ちゃん。四大、にするとお露ちゃんが入る)。
主家の家宝であるお皿を割ってしまったためにお手打ちにあい井戸に投げ込まれて、夜な夜な皿の枚数を数えるというストーリーとしてよく知られますが、お皿は本当にお菊ちゃんが割るタイプやお菊ちゃんを恨む人に割られるタイプ、隠されるタイプがあり、お皿が割れるのもウッカリ事故のパターンも故意で割るパターンもあります。そもそもお皿が出てこないお話(主人に出したご飯に針を入れる)もあったり、またまた名前も「お菊」じゃないこともあり、井戸に落ちないこともあり。
とにかく全国に広く分布するだけにその類型も様々で、全てに共通するのは、ある家に奉公する女の子が主の非道により亡くなった後、怨霊となって祟りその家を没落に追い込む、というぐらいでしょうか。つまり、キーワードは「お菊ちゃん」ではなく「皿屋敷」なのですね、当たり前ですが。ある一族が滅んで家屋敷がなくなってしまったという、サラ(皿)地→更地に対する恐怖、すなわち「家の繁栄」の対極にある「家の断絶」に対する恐怖が根底にある怪談、ということになっています。
さてこの皿屋敷伝説、堤先生のお話によりますと、皿を数えてすすり泣くお菊ちゃんに、高僧が「十枚目」と言葉をかけてやることによって成仏させてやるという、仏教説話の類型パターンであるということで、いろいろと興味深いお話が聞けました。
そもそも足らずを補うことで幽魂を成仏させる話というのは、上の句を残して死んだ歌人の幽霊を下の句を作ってやることで成仏させる話が原型にあるとのこと。「十枚~」と言うてお菊ちゃんを成仏させてやる了誉上人は浄土宗中興の師なわけですが、増上寺末の大泉寺(盛岡)にもお菊の皿が伝わっていることなどから、浄土宗の説教にはお菊伝説が取り入れられていたことがわかるのだそうで。
対して、江戸麹町にあった常仙寺(曹洞宗)にもお菊の皿は伝わっているそうな。寺の縁起によりますと、お菊の霊を成仏せしめたのは当山三世の文令禅師であるぅ、とのたまわるわけですな。しかも山崎美成の『提醒紀談』によれば、年に何度か江戸の人々にご開帳していたようです。了誉上人はたった一言「じゅうまい。」とゆうてやったわけですが(それで納得したんかいお菊、と思うわけですが)、文令禅師は参禅するお菊にえぇか、えぇかと「法味」を説き聞かせたんだそうです。
ちなみにワタシが以前いった和歌山の窓誉寺(曹洞宗)のご住職によりますと、そこが伝える話によれば、禅宗ではファイト一発的呪文に「トツ」という掛け声があるそうで、お菊に対し「トォツ!」とやったのを、余人が「十(とぉ)」と聞き違えたのだろうとおっしゃっておられました。同じ宗派でもいろいろあります、ハイ(※友人のご指摘より、「トツ」は禅宗で受戒の際にいう言葉ということが判明いたしました)。
お菊ちゃんの皿と伝えるものは浄土宗や曹洞宗に限らず、彦根の長久寺は真言だし個人宅にあるもので真宗寺院から手に入れた(佐賀県)というのもあり(伊藤篤『日本の皿屋敷伝説』より)、いずれの宗派にも唱導とお菊説話というのは密接な関係にあったということなんでしょうね。
また、播州皿屋敷伝説には、周知のとおり、「お菊虫」にまつわる後日談があります。お菊の百年忌にあたる(そいつはちっと出木杉英才)寛政7年(1795)夏、城下で後ろ手に縛られた女のような形をしているサナギが大量発生したのを、人々がお菊が虫の姿を借りて帰ってきた、と噂しあった、というものですね。この「お菊虫」と呼ばれたサナギの正体は現在ジャコウアゲハであろうとされ、姫路市の市の蝶になってるらしい。
お菊虫の図(大田南畝『石楠堂随筆』より)。
堤先生のご指摘によりますと、お菊虫の伝承は関西圏を中心とした西日本に分布が見られるが、関東圏では全くないということ。それらが『桃山人夜話』のような関西系の画家が描くものと、江戸の北斎や月岡芳年が描くものとの差になっているのだろうとは実におもしろかったです。
堤先生のお話においても、「皿屋敷」伝説から見える江戸時代人が怖れたもの、とは家の断絶、家の没落であり、武家などの家経営に対する教訓であろうとしめくくっておられたわけですが。家が没落してしまうことへの恐怖と、井戸で皿を数えるお菊の幽霊に対して抱く恐怖というのは、明らかに質の違うものだと思うのですね。後者の方は、言うなれば、人間の生理的な部分に訴えかける恐怖なわけです。
主の非道を戒める教訓がもとにあって、それに対してこういった別の次元の恐怖をおりまぜていってしまう江戸時代人の発想のすさまじさにはつくづく恐れ入りますね。もっともこれは、当時の人々は現在よりももっと「家の没落」に対して切羽詰った恐怖を持っていたんだなぁという推測ができるとともに、それが希薄になった現在では皿を数える「お菊の幽霊」へと恐怖の比重がスライドしていったと考えた方がよいのかもしれません。・・・とはいえやっぱり、江戸の人も、家の繁栄がどうのよりは、お菊の一まぁ~いの方が怖かったと思うんだけどなぁ(笑)。
そういうわけでたっぷり1時間半、ファンになっちゃいそうな人徳オーラを出し続けられる堤先生のお話を堪能したしました。えぇ、3月の大会でもう一度お会いできるのが本当に楽しみです。
せっかくなので姫路文学館の常設展示を拝観し、三上参次、辻善之助、井上通泰なんて姫路出身のマニアックな方々の展示をなめるように見ておりました・・・KR老師が。辻善之助のラジオの音声が聞けたのはちょっとうれしかったですが。「ガタピシ」というのは相反するものをならべて物事を分別したり、対比したりする、という意味の仏教用語なんですってね、建てつけの悪い扉のことだと思ってました。ちなみに椎名麟三が椎名リンゴに聞こえたのはヒミツです。
閉館時間も近づいたので、小雨降る中、お菊せんべいを買ったり地酒を試飲したりしながら家路につきました。
次はみなさんで、車で行きましょうね。