先日和歌山にいった時に購入した『おしえてわかやま 民話編』に、由良町に伝わるという「もっくりさんとこっくりさん」というおもしろい話が載っていました。
ある男がよく働く嫁をもらったが、嫁はおかしなことに飯をまったく食べない。ある日出かけるふりをして屋根からのぞいていると、嫁の頭にもう一つの口があって、飯を炊きむしゃむしゃと食べている。おどろいて男が逃げ出すと、嫁が追いかけてきた。男が萱と菖蒲と萱と蓬のはえる草むらに逃げ込んだところ、嫁はどこかに消えてしまった。この婿を「もっくりさん」といい、嫁を「こっくりさん」と言う。以後、もっくりさんもこっくりさんも家に入らないように、家の前に菖蒲、萱、蓬を立てるようになった、というもの。
「もっくりさん」と「こっくりさん」と聞けば、まず思い浮かぶのは、南方熊楠が同じく和歌山は田辺市周辺で採集した「蒙古高句麗(もくりこくり)」というお化けであって、地理的にも近い由良町でも類似の名称が伝わっていたのであろうことを示唆しています。そしてまた、その「蒙古高句麗」に近い名を冠しながらも、物語は全国各地に分布する二口女、もしくは食わず女房の話であり、それに登場する人物(と化け物)に蒙古高句麗の名を分解した名前が与えられている、という特徴を持っていると言えます。
熊楠の『続南方随筆』(「郷土研究一至三号を読む」)が載せる「ムクリコクリ」は、3月3日に山に入るとその怪が出るので浜に遊び、5月5日に海に入ると出るので山に行く。ここでは姿かたちは述べられませんが、別の行では麦畑の中に高く低く一顕一消する、人の形をした化け物であるという。また、同じく田辺市の神子浜地域では鼬姿の小獣が麦畑にいて、夜に畑に侵入するものの尻を抜くという。あるいは、この話を熊楠に伝えた楠本松蔵という方の細君が子どもの頃に聞いた話によると、モクリコクリは水母のような形で群れて海上に漂っているとも言います。蒙古襲来時に水死した人の霊とも伝えるこのムクリコクリは、由良町もあわせれば地域ごとにてんでばらばらの伝承があるわけで、なんかようわからんけどもおばけなんだぁ、という印象だけは伝わってまいります。
そんなわけで、熊楠はさておき、由良町のこの話は一体なんだろう?とこの本を書かれたわかやま絵本の会代表の松下千恵さんにお手紙をしたためてお聞きしてみましたところ、興味深いお話が聞けました。
まず、「もっくりさんとこっくりさん」のお話自体は由良町が出している『文化財』という冊子の2号に載っていたもので、語った方はわからず、ひょっとしたら個人的に食わず女房の話と結びつけられて語られたのかもしれないとのこと。物語り自体がどの程度膾炙しているかどうかもわからないけれども、「もっくりさんこっくりさん」という言葉はわりと知られているようではありました。ちなみにこの話を今に伝える由良町の方々はすでに、「もっくり」「こっくり」が「蒙古」「高句麗」であるとはご存じなかったようです。(余談ですが、由良町には、水がポトリポトリとしたたり落ちる洞窟にこもり修行していたので「ポックリさん」と呼ばれるようになった、というお坊さんの話があるそうで、ポトリ→ポックリの転訛の例から、モクリコクリがモックリコックリとなったのは自然なよんだそうです)。
ありがたいことに、松下さん、今にこの話を伝える方々に問い合わせてくださったんですが、それによりますと、由良の漁民はむかしから九州や千葉まで漁に出ていたので、九州から誰かが聞いて来て伝えたのではないか、とおっしゃっていたらしいのですね(もっともこれは、ワタシがムクリコクリは蒙古高句麗という字が当てられるようですが、と手紙に書いたことに基づいて発想されたのかもしれません)。というのも、由良町のお祭の獅子舞は長崎風なんだとか。もしそれが本当ならば、こういった海を介して伝播する説話、というのはとてもおもしろいことですね。
そもそも「ムクリコクリ」の語は「蒙古高句麗」のほか「蒙古国(ムクリコク)」だとか「蒙古国裏(ムクリコクリ)」とかであると諸説あります。日蓮の頃からすでに蒙古をして「むくり」と読んだようで(日蓮遺文、「南条殿御返事」1276)その呼び名は当時からなのかな、と思わざるを得ないのですが、「蒙古」をなぜに「ムクリ」と読むか、というそもそもを考えるに、やはり後ろの「高句麗」にひきずられたんじゃないのかと思いますので(でないと「リ」音が現れる理由がわかりません)、おそらく「蒙古高句麗」が正しいのではないかと類推しております。
さて、江戸時代の随筆、噺本などには、子脅しの一種として「むくりこくりの鬼」という形で紹介されていることが見られます。『桜陰腐談』(1712)に「小児の啼くとき之を怖しとして蒙古高句麗来ると曰へは止まざるという者なし」、『籠耳』(1786頃?)に「小児の啼くを止むるときむくりこくりの鬼が来るといふ」をはじめ、それぞれを『嬉遊笑覧』(1830自序)、『世事百談』(1841)がひいています。前の二書には元寇の際に蒙古と高句麗の兵が壱岐・対馬・博多一帯で残虐行為に及んだ話が説明されてもいます。元寇直後より九州北部地域ではそれこそリアルな恐怖とともに人々の口の端に語り継がれていたであろうこの言葉なわけですが、「蒙古高句麗」に付随するこういったイメージは近世末には少なくとも江戸、大阪を中心に、有る程度人口に膾炙していたと考えてよいかと思われ*、「むくりこくり」という言葉はこちらの意味合いが一般的だったはずなのです。
このような子威しの語「むくりこくりの鬼」がもつイメージと、和歌山で伝わっている「ムクリコクリ」はどうも違うような印象を受けます。子威しでつかわれる「むくりこくりの鬼」はやはり蒙古軍に発するいわば外から来る怖ろしい鬼のような、あたかも生身の体を持っていさえするような雰囲気がありますが、和歌山のそれは、たとえ蒙古襲来が喚起されていたとしても、蒙古襲来時に「水死した人の霊」のような捉え方をしているわけです。そこに、前者がもっている「襲ってくる」というような切迫感のある恐怖は感じられないわけで。
由良町の祭の獅子舞が長崎風であることだけで和歌山のムクリコクリが北部九州の伝承が海から伝わってきた言葉とするにはあまりにも乱暴なのはいうまでもございませんが、原型が全く失われてしまったあげく言葉だけが独り歩きしたかのようにまったく別の説話と合体している「もっくりさんとこっくりさん」を見ていると、「むくりこくり」の語が「怖いもの」を指すらしい言葉として伝わる→この地域ではよくわからないけど漠然と怖いモノに対する名付けに「もくりこくり」という語が使用された、というような想像はできるかもしれないな、と思いました。
どうでもいいことではありますが、国語大辞典を調べると、「むくり」と「こくり」をひっくり返した「こくり蒙古遁げる」なる語になりますと、「元寇の時の蒙古と高句麗の連合軍のように、さんざんの有様で逃げていく、ほうほうの体で逃げる」という、意味になっちゃうようです。なお、出典は不明。
最後に、お世話になったわかやまえほんの会の宣伝。こちらの会発行の本には先日ご紹介した『絵解き熊野那智参詣曼荼羅』を含めおもしろい本がそろってます。ものによっては大阪では梅田のアバンザという高いビルの2階のジュンク堂大阪本店の地図売り場で手に入れることができるそうですので、ご興味おありの方は是非、お手にとって見てください。
*・・・『昨日は今日の物語』(1614~1624頃)や『醒睡笑』(1628)、浄瑠璃の「用明天皇職人鑑」(1705)にも鬼や恐ろしいものの例えとして「むくりこくり」の語がみえるようです(国語大辞典)。
ある男がよく働く嫁をもらったが、嫁はおかしなことに飯をまったく食べない。ある日出かけるふりをして屋根からのぞいていると、嫁の頭にもう一つの口があって、飯を炊きむしゃむしゃと食べている。おどろいて男が逃げ出すと、嫁が追いかけてきた。男が萱と菖蒲と萱と蓬のはえる草むらに逃げ込んだところ、嫁はどこかに消えてしまった。この婿を「もっくりさん」といい、嫁を「こっくりさん」と言う。以後、もっくりさんもこっくりさんも家に入らないように、家の前に菖蒲、萱、蓬を立てるようになった、というもの。
「もっくりさん」と「こっくりさん」と聞けば、まず思い浮かぶのは、南方熊楠が同じく和歌山は田辺市周辺で採集した「蒙古高句麗(もくりこくり)」というお化けであって、地理的にも近い由良町でも類似の名称が伝わっていたのであろうことを示唆しています。そしてまた、その「蒙古高句麗」に近い名を冠しながらも、物語は全国各地に分布する二口女、もしくは食わず女房の話であり、それに登場する人物(と化け物)に蒙古高句麗の名を分解した名前が与えられている、という特徴を持っていると言えます。
熊楠の『続南方随筆』(「郷土研究一至三号を読む」)が載せる「ムクリコクリ」は、3月3日に山に入るとその怪が出るので浜に遊び、5月5日に海に入ると出るので山に行く。ここでは姿かたちは述べられませんが、別の行では麦畑の中に高く低く一顕一消する、人の形をした化け物であるという。また、同じく田辺市の神子浜地域では鼬姿の小獣が麦畑にいて、夜に畑に侵入するものの尻を抜くという。あるいは、この話を熊楠に伝えた楠本松蔵という方の細君が子どもの頃に聞いた話によると、モクリコクリは水母のような形で群れて海上に漂っているとも言います。蒙古襲来時に水死した人の霊とも伝えるこのムクリコクリは、由良町もあわせれば地域ごとにてんでばらばらの伝承があるわけで、なんかようわからんけどもおばけなんだぁ、という印象だけは伝わってまいります。
そんなわけで、熊楠はさておき、由良町のこの話は一体なんだろう?とこの本を書かれたわかやま絵本の会代表の松下千恵さんにお手紙をしたためてお聞きしてみましたところ、興味深いお話が聞けました。
まず、「もっくりさんとこっくりさん」のお話自体は由良町が出している『文化財』という冊子の2号に載っていたもので、語った方はわからず、ひょっとしたら個人的に食わず女房の話と結びつけられて語られたのかもしれないとのこと。物語り自体がどの程度膾炙しているかどうかもわからないけれども、「もっくりさんこっくりさん」という言葉はわりと知られているようではありました。ちなみにこの話を今に伝える由良町の方々はすでに、「もっくり」「こっくり」が「蒙古」「高句麗」であるとはご存じなかったようです。(余談ですが、由良町には、水がポトリポトリとしたたり落ちる洞窟にこもり修行していたので「ポックリさん」と呼ばれるようになった、というお坊さんの話があるそうで、ポトリ→ポックリの転訛の例から、モクリコクリがモックリコックリとなったのは自然なよんだそうです)。
ありがたいことに、松下さん、今にこの話を伝える方々に問い合わせてくださったんですが、それによりますと、由良の漁民はむかしから九州や千葉まで漁に出ていたので、九州から誰かが聞いて来て伝えたのではないか、とおっしゃっていたらしいのですね(もっともこれは、ワタシがムクリコクリは蒙古高句麗という字が当てられるようですが、と手紙に書いたことに基づいて発想されたのかもしれません)。というのも、由良町のお祭の獅子舞は長崎風なんだとか。もしそれが本当ならば、こういった海を介して伝播する説話、というのはとてもおもしろいことですね。
そもそも「ムクリコクリ」の語は「蒙古高句麗」のほか「蒙古国(ムクリコク)」だとか「蒙古国裏(ムクリコクリ)」とかであると諸説あります。日蓮の頃からすでに蒙古をして「むくり」と読んだようで(日蓮遺文、「南条殿御返事」1276)その呼び名は当時からなのかな、と思わざるを得ないのですが、「蒙古」をなぜに「ムクリ」と読むか、というそもそもを考えるに、やはり後ろの「高句麗」にひきずられたんじゃないのかと思いますので(でないと「リ」音が現れる理由がわかりません)、おそらく「蒙古高句麗」が正しいのではないかと類推しております。
さて、江戸時代の随筆、噺本などには、子脅しの一種として「むくりこくりの鬼」という形で紹介されていることが見られます。『桜陰腐談』(1712)に「小児の啼くとき之を怖しとして蒙古高句麗来ると曰へは止まざるという者なし」、『籠耳』(1786頃?)に「小児の啼くを止むるときむくりこくりの鬼が来るといふ」をはじめ、それぞれを『嬉遊笑覧』(1830自序)、『世事百談』(1841)がひいています。前の二書には元寇の際に蒙古と高句麗の兵が壱岐・対馬・博多一帯で残虐行為に及んだ話が説明されてもいます。元寇直後より九州北部地域ではそれこそリアルな恐怖とともに人々の口の端に語り継がれていたであろうこの言葉なわけですが、「蒙古高句麗」に付随するこういったイメージは近世末には少なくとも江戸、大阪を中心に、有る程度人口に膾炙していたと考えてよいかと思われ*、「むくりこくり」という言葉はこちらの意味合いが一般的だったはずなのです。
このような子威しの語「むくりこくりの鬼」がもつイメージと、和歌山で伝わっている「ムクリコクリ」はどうも違うような印象を受けます。子威しでつかわれる「むくりこくりの鬼」はやはり蒙古軍に発するいわば外から来る怖ろしい鬼のような、あたかも生身の体を持っていさえするような雰囲気がありますが、和歌山のそれは、たとえ蒙古襲来が喚起されていたとしても、蒙古襲来時に「水死した人の霊」のような捉え方をしているわけです。そこに、前者がもっている「襲ってくる」というような切迫感のある恐怖は感じられないわけで。
由良町の祭の獅子舞が長崎風であることだけで和歌山のムクリコクリが北部九州の伝承が海から伝わってきた言葉とするにはあまりにも乱暴なのはいうまでもございませんが、原型が全く失われてしまったあげく言葉だけが独り歩きしたかのようにまったく別の説話と合体している「もっくりさんとこっくりさん」を見ていると、「むくりこくり」の語が「怖いもの」を指すらしい言葉として伝わる→この地域ではよくわからないけど漠然と怖いモノに対する名付けに「もくりこくり」という語が使用された、というような想像はできるかもしれないな、と思いました。
どうでもいいことではありますが、国語大辞典を調べると、「むくり」と「こくり」をひっくり返した「こくり蒙古遁げる」なる語になりますと、「元寇の時の蒙古と高句麗の連合軍のように、さんざんの有様で逃げていく、ほうほうの体で逃げる」という、意味になっちゃうようです。なお、出典は不明。
最後に、お世話になったわかやまえほんの会の宣伝。こちらの会発行の本には先日ご紹介した『絵解き熊野那智参詣曼荼羅』を含めおもしろい本がそろってます。ものによっては大阪では梅田のアバンザという高いビルの2階のジュンク堂大阪本店の地図売り場で手に入れることができるそうですので、ご興味おありの方は是非、お手にとって見てください。
*・・・『昨日は今日の物語』(1614~1624頃)や『醒睡笑』(1628)、浄瑠璃の「用明天皇職人鑑」(1705)にも鬼や恐ろしいものの例えとして「むくりこくり」の語がみえるようです(国語大辞典)。