怪道をゆく(仮)

酸いも甘いも夢ン中。

怪道vol.115 2008年五島の旅~Epi:1

2008年11月28日 23時38分41秒 | 怪道
連休にちょっと遠出しようと思い立ちまして、長崎は五島列島・福江島に行って参りました。本日は、その旅の序章部分のご紹介デス。

五島列島。追儺で陰陽師をやる、もしくはやりたいと思ったことのあるヒト(どの程度いるんでしょねw)は一度はクチにしたことがあるでしょう、「四方の堺、東の方は陸奥、西の方は遠値嘉・・・」の先を疫の鬼の住処と定めたまうという例の祭文。大八洲の西の果て――「遠値嘉」にあてられるのがこの五島列島とされます。長崎の西方数十km沖に浮かぶ大小140もの群島には、縄文時代から人々が生活を営み、そして記紀神話の国生みのクダリに「ちかのしま」として登場するように、朝廷からは「西の堺」として古くから重要視されておりました。遣唐使の最後の寄港地であったというのはこの島の観光のメダマにもなっておりますね。中世には倭寇の拠点となり、また近世を通して五島藩主だった五島氏の前身である宇久氏は平家の落人を祖にするとも言います。

福江島は五島列島最大の島であり、「五島」を代表する5つの島のうちでは最も西に位置する島。広さは小豆島の約2倍ほどで、車で移動すると島の東⇔西、南⇔北ともに端から端まで所要時間約30~40分というスケール。まとまって広がる砂浜は島の南部、富江の辺りのみ。あとは典型的なリアス式海岸で、深くえぐれた入江に細々とある浜は絵にかいたような遠浅の海岸で潮が引けば景色は一変する。一方、内に目を転ずれば、越えられないほどの峻険な山はさほど多くはないという、つまりは島内の移動は海岸周りよりは比較的内陸側に発達している島と言えそうですネ。


福江島。

出発前はお天気が少々心配されたんですが、旅行のお供に別水軒、毎度のことながらヒデリ神の前に怖いものはないわけです。いつもより深い色で広がる青空を、パールUFOの飛来なんかを期待しつつ見上げたりしながら、対流圏を一路長崎へ。そして金はなくとも時間もないので息着く間もなくボンバルディア小型機で福江島へ。所要時間は長崎での乗継待機時間込みで2時間半ですョ・・・地球も狭くなりましたねぇ。

到着後はなにはともあれ島のオヤブンに仁義を通しに、まずは福江のカッパチャンのござっしゃる水天宮へ行って参りました。

九州地方はカッパ伝説の宝庫なわけですが、五島にもカッパ話はそこここに転がっており、土地の人はガッパとかガァタロとか言うんだそうです。福江のガッパで最も有名なのが、水天宮の火消し河童。なんでも江戸時代、江戸の五島藩邸でこの水天宮を勧請し祀っていたところ、隣の大久保家から火が出た。その時五島藩邸から大勢の「消防手」(案内板、ママ)が出てきてまたたくまに消してしまう。その「消防手」が実はこの水天宮のガッパ達だったということがわかり、五島藩はそれにあやかって水天宮のお守りを売り出したところ飛ぶように売れ藩財政を潤すほどだったという、まぁ商売上手のお手本のようなお話。

お宮ってのは空間移動ゲートになるんですネ。とにかく江戸まで出張してお殿様の危機を救ったカッパの大将が棲んでいたというのが、福江川が大きくS字にカーヴした結果できた川の淵。現在はそこに纏や桶をもったガッパの像が置かれております。


ヒッポリトの攻撃を受けた2匹。


ガッパ達の移動ゲート、水天宮(左)と、ガッパの淵(右)。水天宮の右に見えるトタンの屋根は土俵です。

お昼に入った五島うどんのお店のオバチャンをとらまえお話を聞きましたところ、火消しガッパは淵の主なんだそうです。あそこのカッパはいいカッパだけど、わたしら子どもの頃は、悪いことしたらガッパが来るぞゆうてよく怒られたよとのこと。目撃者はおりますかと尋ねると、最近は聞かないねぇということでした・・・なんかいいなぁこの感じ、とニコニコしてると目に入ったのが店にあったディスプレイのこの壺↓↓↓。



コレ、「魚人(ギョジン)」というのだそうです。昔、長助という若者がいて病弱な父親を助けて仲良く暮らしていたが、ある晩、漁師仲間と酒盛りをして明け方まで眠り込んでしまった。父親は長助の帰りを待っていたが、あきらめて一人漁に出ると、運の悪いことに嵐にあい、帰らぬ人に。後悔した長助がその後、ようやく漁に出ることができた日のこと。夢中で魚を追っているうちに明けの明星が消えてしまい、方角を見失ってあわてていると、船の舳先で大きな魚がぴょんぴょんと飛び跳ねる。その顔をよく見ると、なんと死んだ父親にそっくりではナイカ!魚はそのまま長助を無事に港へと導き、話を聞いた村人はその後、人の顔をした魚を「魚人」と呼び、崎守として崇め、網にかかると必ず海に帰したのだそうです。・・・目が3つあるっぽかったり角だの牙だのが生えているって、生前のお父さんはいったいどんなお顔をされていたんデスカな話は、福江ではポピュラなものらしい。カワイイデスネ。

うどん屋を後にし、カッパつながりで「勘次ヶ城」なる石塁へ。島の南部、富江湾の西側にのびる半島の先端に位置するこの石塁には、江戸時代末期に勘次という船大工が河童と一緒に作ったというお話が伝わります。勘次がここを住みかとしたのは、彼の父親が沈んだ難破船の幽霊を祀る代わりに積み荷を手に入れた過去があったにも関わらず、父の死後祭祀をしなくなったためにタタラレ、ある日突然気がフレて行方不明になった。村中で探した結果ここで発見されたといういきさつがあるんだそうで、その後も村人が食べ物を持っていってやるとどこからともなく飲み水をわけてくれたといいます。

それはさておきこの石塁。現在は中世にこの島を拠点としていたいわゆる「倭寇」の城館だったのではないかとされています。「倭寇」と聞くとあまりよいイメージで認識されないことも多い言葉なわけですが、五島での倭寇に対するとらえ方は、明が鎖国をしていたことから密貿易に携わったもの全部が「倭寇」と呼ばれたにすぎないというなかなかに好意的なもの。勘次ヶ城の前の溶岩海岸には倭寇の像とかいうタイトルの巨大なものが立ってるんですけどもね。案内板いわく「男たちは鍛えられた強靭な肉体を持ち、集団生活では大きな力となって一つの目的に敢然と立ち向かっていた」と。「一つの目的」のために、たまに手段を選ばないヒト達もいましたからねw ものは言いようですねw

 
(左)山崎石塁の一部。まさに草莽に埋もれる感じ。(右)倭寇像。「団結・忍耐・実行」を表現したものなんだそうです。

こういう像をみると俄然テンションが上がってしまうワタクシですから、よじのぼって倭寇の仲間入りをしたりいろいろ遊んでたんですが、よく見たら「ふれないで」って書いてありました。五島の皆様、スミマセン。

次回以降は、遣唐使編、平家落人伝説編、隠れキリシタン編にわけて、お話をすすめていきたいと思います~。

怪評vol.50 遊星からの物体X

2008年11月20日 02時00分42秒 | 怪評
例年どおり、体調くずしまくりの別水軒です。季節の変わり目に風邪をひきやすいのは世の常ですが、来るべきポカポカ季節にテンションが上がる冬→春の変わり目には最強にたくましいワタシとはいえ、秋は、いけません。寒いのがとことんダメなので気も滅入ってくるんですねぇ、まさに、病は気から。例年通りの風邪引きサンとなって、先週末は完全に寝込みました・・・この様子ですとワタクシの冬眠も間近かと思われます。

さてさて。
今の職場に勤めだしてはや4ヶ月。新たな生活環境で過ごしやすい空間を作るには、周囲に受け入れてもらいやすい形で自身の趣味を暴露しておくことにつきます。最近はすっかり伝説、妖怪、特撮、宝塚、時代劇好きだけどそれ以外には血圧の低ーい人、と微笑ましく見ていただくにいたっております。いやぁ、願ったりかなったりのポジションだ。

先日職場の食堂でワイワイ昼飯を食ってると、仲良くしていただいているオツ主査さんがスタスタスタとワタクシのもとにいらっしゃいまして、コレきっとアナタの好みだと思うんだな、こういうのすごい好きでショ!と貸してくだすったDVDがあったんです。

それが、『遊星からの物体X』。

・・・なんでやねんw と思わずツッコミを入れるところでありました。
原題は"THE THING"。ジョン・W・キャンベルの短編小説「影が行く」を原作とし、1951年に一度映画化されたものを80年代にリメイクした、いわゆる「SFホラー」なるジャンルに分類される映画で・・・ワタクシこの分野には全くもってウトイためによくは存じませんが、「のちのSFXやクリーチャーデザインに大きな影響を与えた」(Wikiより)名作なんだそうです。

えぇ、ウトイどころか、完全に敬遠している分野w
確かに怖いのは比較的平気な方です(正確には平気になったと言うべきですが)。全国各地にある伝説(怪談含む)のたぐいを渉猟して歩き、稀に夜の墓場を散歩したりすることもあるとは言いました(夜景がキレイに見えるとこ知ってるかと聞かれたので某山手にある霊園、と答えただけなんだけど)。生憎とワタクシ、好き好んで気持ちワルイものを見て喜ぶような趣味もなければ、血とかすごいダメなんです。墓場も肝試し目的で行ってるわけじゃないですし、ワッと驚かされたりするのも楽しいと思わないワケ。だから我が人生においてホラーと名の付く映画は『シャイニング』、『オーメン』と『呪怨2』しか見たことないんだぁぁぁ、とひそかに脳内咆哮。

つまりですね、お化けとか特撮が好きという辺を気持ちよく誤解されていることが判明しましたわけですねw 多分、ワタシの嗜好においてのキモである「ベタ」とか「和物」とかいう要素が抜け落ちるとそういうことになるのかなぁと思ったわけですが。とりあえず邦題の胡散臭さが妙にツボだったこともありまして、借りた(借りざるを得なかった)以上は見たわけです。久しぶりの熱にうなされた翌日、毛布にくるまりながらのんびりと。

有名な映画らしいのでご存じかと思いますが、簡単にだけストーリー紹介しておきますと、周囲と交信が途絶えた南極基地という閉鎖空間に、人間の体内に侵入して同化・擬態し増殖する謎の"生きもの=THING"がはいりこむ、というものでこの"THING"てのが遊星からやってきたという設定になっております。「遊星から」というフレーズはファイトのオヤブンの幻の12話を彷彿とさせますが、宇宙から来た生物が人間に擬態する、というぐらいしか共通点はない感じですねw 12人の隊員が互いに誰が「人間」で誰がTHINGに擬態された「モノ」かわからないという極限の疑心暗鬼に陥る中でのヒタヒタとした恐怖と、突然に姿を現すTHINGと人間との同化シーンによる衝撃的かつサプライズ的な恐怖、という、二種類の「怖さ」のバランスがとてもうまい作品でした。

全体的に、とにかく丁寧に作ってあるなぁという印象です。
後世に影響を与えたというだけにクリーチャーの造形が、キモチワルイという感覚よりもなんかスゲェwと思わず食い入るように見てしまう感じ。にょーんとのびてちぎれた首から蜘蛛みたいなアシがぴょん、て生えてノタノタ歩き出したとこなんて思わず吹き出しちゃうぐらいハイセンス。そしてまたそういうビジュアル的な面で与えられた衝撃よりも、なにげない 廊下やなんかを淡々と映しているだけのシーンが、なんともいえない緊張感にあふれておりましてね。それがまためちゃくちゃ怖いし、たまらなくイイんですナ。

ついでに背景が、懐かしいことに今みたいにCGとかじゃなくてマット画なんですよ。それがまたイイ。昔は当たり前だったんですが、ホントになくなりましたよね、こういうの。『魍魎の匣』なんかもですね、上海ロケはそれはそれなりにおもしろいなと思いましたが、ああいった昭和を舞台にした映画は、マット画なんかで背景つくってみたりしたらまた違った味が出てイイんじゃないかとか思ったりしますね。まぁ大変でしょうけどw

今回、もっとも画期的だったのは。・・・ワタシが、一度も目を背けることなしにホラー映画見れたの、はじめてだということなんですョ(゜∀゜)。人間、恐怖の基準はそれぞれですが、最近のワタシにとってのそれは、平たく言ってしまえばおそらく自分の身に起こりうるかどうか、という辺りがバクダンな気がするわけです。だからといって、「南極とか行かへんしなぁ」という身もフタもないことを考えていたわけではないですよw 目の前の人間が人間でありながら人間でないかもしれない、という恐怖は得てして日常の隙間にも見いだしうるものですし、ネタばれになりますから言いませんけど結末がまたイヤな感じなんですョ。とはいえ・・・なんせ遊星からいらっしゃってますからネw その時点で目がキラキラしてたんでしょうねw

そういうことを差し引いても、恐怖に対しひとまず冷静に向き合うことができるようになってきたんだなと。コワイコワイと逃げ回ってた頃に比べたら、なんだかワタシ、ちょっと成長したみたいw てなことを実感できたという、実に充実した時間を過ごせたのでした(熱に浮かされていただけとは、思いたくないw)。

オツ主査は、相当なDVDコレクターなことがすでに判明しております。勘違いしてもらってることをいいことに、しばらくこの系統の映画を無料レンタルしていただこうと目論み中なのはヒミツです。

怪道vol.114 高松さんちの桃太郎~下巻

2008年11月12日 01時41分52秒 | 怪道
高松に戻ってきたところで、桃太郎遺跡もいんですがRX遺跡の確認にも行ってきました。RXって、仮面ライダーBlack RXのことですよ念のため。いわゆるご当地モノの回で、当時開通したばかりの瀬戸大橋を記念してクライシス帝国が攻撃してみたりしたので高松には少々遺跡があるんデス。玉藻公園もその一つでしてね、四国を空母化しようとしたオバカサン達の一人が、光太郎の目をそらすための陽動作戦に出向いた場所。せっかくだから同じ立ち位置で「南光太郎!」なんて指差し絶叫してやろうと思ったんですが。


(左)キメる怪魔獣人大隊長、(右)大隊長の立ってた・・・ところのはず?

い、石垣の解体工事してるし・・・(TAT)。
ちなみに瀬戸大橋も今年で開通20周年ですよ。倉田てつをも年とるわけだなぁ。

それはさておき、「鬼無」です。鬼無は仙太郎センセィによる桃太郎伝説探求の出発点であり、仙太郎センセィいわくの桃太郎物語はじまりはじまり~の場所でもあります。つまりは爺婆の家跡とかモモが流れてきた川とかモモタロウが祀られているお神社があるとおっしゃるんですね。JR高松駅から予讃線を2駅ばかり行くと鬼無駅、降りるなりなんだか見覚えがあるトコだなぁ・・・と思ったら、それもそのはず、お遍路歩きをしていた時に宿をとったところ。そういえば「鬼無」ってなんだろうと思ったような記憶があります。

前々回に紹介した洞窟の怪説に出てきた桃太郎サンのお供の「雉」の出身が「讃岐鬼無の雉ヶ谷住人」と云はれておりましたでしょう。その雉ヶ谷があるのが、JR鬼無駅の北西約1kmの鬼無町佐料付近でして、桃太郎サンにとってはご近所さんだということになりますね。ところがどっこい、桃太郎サンのお話で仲間になる順は犬→猿→雉でありますな。洞窟の怪説いわくの「犬島」とは岡山県は牛窓の南西沖に浮かぶ島、猿の出身である讃岐陶村は現在の綾歌郡綾川町陶で、道真サンが滞在していたという滝宮の近くであります。遠い所に住んでるやつから順に仲間になったということはですよ?・・・よっぽど胡散臭いやつと思われてたんですなぁ、砂とかこぼしながら歩いとったんちゃうか。

おじぃさんとおばぁさんの家という「大古屋」は何気にスルーして(なぜなら一般の方がお住まいの普通の民家なんです)、遍路道に沿って本津川へ。そしたらありましたョ、「おばぁさんの洗濯場」なるものが。


(左)おばぁさんの洗濯場、(右)モモはこの先から流れて来たことになります。

・・・まぁ、水が流れておれば洗濯もするでしょうから間違いではないとは思いますけどね。この看板、ゲートボール場の隅にありまして、えぇ、まさにおばあちゃん達のココロの洗濯場。

気をとりなおして鬼無最大のハイライト、桃太郎神社へ。案内板によりますと、その御神徳は子供守護、除災招福はまではいいとして、・・・「万物創造」ってナニw? あっ、そうか仙太郎センセィはこの神社の御神徳によってモモタロ伝説を創ゴニョゴニョ。桃太郎神社の傍らにそびえる小山は、なんと柴山というそうで。

さらに、桃太郎神社にはなんと。桃太郎さんのお墓があるんです。桃太郎さんだけじゃアリマセン。おじぃさんとおばぁさん、はては犬・サル・キジの墓まである!それがこれです。↓↓↓



・・・まさに、信じるヤツがジャスティス。
手前のでかい石が多分モモタロさんですね。右端から犬、石碑を一コとばして雉と猿。テキトーにゆってんじゃないですよ、添えられた板っ端にそないに書いてあるんです。案内板には桃太郎・爺婆・犬・猿・雉の墓、とあったので、残りの石コロ碑が爺婆の墓でしょう・・・誰か、1基ずつ作ってあげてください。ちなみにこの石碑には「左堂神」の文字が刻まれておりまして、何やら意味深です。

さてこの桃太郎神社、もとは熊野神社で、扁額には小さく「熊堅権現」とあったりします。仙太郎センセィによるモモタロ伝説の体系化以前、『全讃史』『讃州府志』といった江戸期の地誌によると、この辺りを荒らしまわっていた鬼を熊野権現が倒したことをたたえてこの神社ができた、というのが元々伝わっていた話。熊野権現が鬼退治とは珍しいデスナ。そこで、フと遍路でここを通った時のことを思い出したわけです。鬼無にたどりつくその直前、陽も傾きつつある頃にお参りしたのは、確か五色台の82番根香寺だったではないか、と。鬼無は五色台のすぐ麓にあるわけで、根香寺と言えばアナタ、バランちゃんこと牛鬼さんがいた寺ではありませんか。


根香寺の牛鬼像。

ということは、ですよ。「鬼無」の「鬼」は桃太郎の鬼ではなく、この牛鬼だったのではないかと思うわけです。根香寺の伝承での牛鬼は塩江町の山田蔵人高清が射倒したことになっているけれども、その麓の鬼無では「この辺りを荒らしていた」という「鬼」は熊野権現が倒している。根香寺というのは、四国88ヵ所の寺だけに開基は空海なんですが、めずらしく天台系の寺なのですね。なので寺のある山の麓に熊野系の神社があるのはさほどおかしな話ではないのですが・・・うーん、この齟齬をどう考えるかを語るには、あまりに情報がなさすぎますネ。気が向いたらそのうち調べてみますw ちなみに根香寺のある五色台というところは、保元の乱にやぶれ怨霊となったとされる崇徳上皇が埋葬されているところだということも、付言しておきましょう(81番札所 白峰寺)。

そう考えると、気になるのが仙太郎センセィによってすっかり「桃太郎の鬼ヶ島」という話が定着してしまった女木島の元ネタですネ。鬼の洞窟は仙太郎センセィが「発見」したことになっているとはいえ、島民がそれまでその存在を全く知らなかったということはまずないと思うのですョ。仙太郎センセィ以前にはひょっとすると、別の伝承があったのかもしれない。特に、所は瀬戸内、しかも山の麓には住吉がある。ひょっとすると、第5シーズンの鬼太郎よろしく、牛鬼のすむ穴だとかいう話があったかもしれません。タブー話の多い女木島だけに、行ってはいけない入ってはいけないという禁忌つきでね。となると仙太郎センセィ、おもしろいんだけど、罪なことをしてくれたなぁと思っちゃいますね。果たして仙太郎センセィが何の伝承をして桃太郎と結びつけたのか、そして高松一帯にある180もの桃太郎遺跡とはいかなるものなのか、ぜひともご著書を拝読したいところでありますナ。


イヤハヤ、鬼無とはまさに、桃太郎神社の御神徳がすみずみにまで行きわたる町でありました。 え?オチにはやっぱりアレを言ってほしぃとおっしゃる?・・・そうですか、では申しましょう。

最初から最後まで、クライマックスでした!



桃太郎神社とその扁額。


神社のある山を下りてすぐにある鬼塚。ここいらの伝説では、鬼ヶ島で一度倒された鬼がリベンジに村を襲い、モモタロに返討にあったとする。


駅名表示板と、駅構内にある桃鉄の像。

怪道vol.113 高松さんちの桃太郎~中巻

2008年11月09日 02時02分57秒 | 怪道
引き続き、鬼ヶ島in高松です。

吉備津彦命と鳴釜神事の伝承を核として展開・錯綜する岡山側の桃太郎伝説は江戸の頃からあったような記憶があるようなないような、なわけですが、これに対し女木島をはじめとする香川の桃太郎伝説の吹聴はそもそもいつにはじまったのかというと、意外に最近でどうも昭和6年を前後する頃のようです。その立役者とも言うべき人が、高松郊外の鬼無村は上笠居小学校にて当時教師をしていたという、橋本仙太郎氏。

それというのも大正の末年、時の大臣・大隈重信が高松へ遊説に来た際に、高松郊外の「鬼無(キナシ)村」を訪れた。地名をネタに大隈は、心に鬼を棲ませぬ人となるがよいと説諭。この時の大隈の言葉、鬼が無しとはハテどういうことだろうとの疑問にかられ、人生を狂わせた人――それが仙太郎センセィその人だったわけです。たちまちフィールドワークを開始したセンセィ、土地の伝承、古老の語りを調査の結果、「鬼」とは昔話の桃太郎に退治された鬼であり、鬼無周辺には180に及ぶ桃太郎遺跡があるとして、それを体系づけたというのですね。かの洞窟内にあったすべての怪説および桃太郎written by 菅原道真も、仙太郎センセィ発するところの説を基としていることをお伝えしておきましょう。

センセィは女木島こそが鬼ヶ島であろうとの信念のもと、島にわたり、そして昭和6年。今日の「その時」です(by松平アナ)。島の北部に円錐状にそびえる鷲ヶ峰山頂付近で、全長400メートル、総面積4万平米に及ぶ洞窟を発見、これぞ鬼の棲みかであったに違いないとされたわけですな。

女木島に上陸するとまず目に飛び込んでくるのが、まるで城壁のように海岸線にのびる石垣。島の人が「オーテ」と呼ぶそれは、高さ約3~4m、厚さはなんと1mほどもある。このオーテは、女木島特有の自然環境の元にうみだされたもので、おおまかに言うと島は南北に細長く、稜線を島の中心線にとる山がこれまた南北に縦貫しておるんですが、この山に瀬戸内の季節風である西風が吹き付けると、「オトシ」と呼ばれる烈風が島の東側に吹き下ろすのだそうです。それが海面の水をまきあげ、東浦の集落を直撃する。そのために、かくも頑強な壁が作られたそうなんですが。

東浦の集落は山のクチにある住吉神社から海側へと扇状に広がり、オーテがそのぐるりを囲っております。また集落の内部はオーテの隙間から路地が細く複雑に入り組んでいる。仙太郎センセィ、ムラのこの構造をみて、これぞ襲撃にそなえる海賊(=鬼)のシマに違イナイと判断したらしい←単純ですネ、ものすごく。ていうかただ襲撃にそなえるだけなら千数百年以上も経った現在にまで残ってると思うか(退治されたんは崇神天皇の頃ですからね)、島の人は風がきつぅて海から波が吹きつけてねぇ、て言わはらへんかったかw?と申し上げたいわけで。ということは、仙太郎センセィは鷲ヶ峰山頂の例の洞窟は最後の砦的存在で島全体が鬼の棲む所だと思うたわけですよね。・・・女木島の人、ちょっと怒った方がいいと思いマスョ。


海岸沿いに続く「オーテ」。

周囲9kmに満たない島でありながら、この島には様々な伝承が伝わります。「コンナウエ山」なる山(島の南部の方らしいです)の山頂に祀られるミーサンは祈雨の神サンで、ミーサンを祀る祠の傍らの松を切ったらタタリで病気になった人がいたとか、俵石なる10m大の巨石にコトワリをいれてからでないと山の木は切ってはいけないだとか、鷲ヶ峰と日蓮山の間にあるマルヤマは平家の落ち武者が宝物や甲冑を埋めたところとされ、掘るとタタラレるだとかですね(落ちるもなにもココは戦場真っただ中ぐらいだと思うんですケドw)。なんだかタブーに関わる伝承が多いようですね。ちなみにタタリを恐れぬ現代人によって調査されたマルヤマは5世紀頃の古墳であるらしく、朝鮮系の耳飾りなんかが出てるようです。

日蓮山というのはですね。日蓮のでっかい像が立ってるんですよ、この山には。なのでここは日蓮宗の島なんでしょうな。四国本土はほぼオダイシに支配されてますから、ほおりだされた感が漂っててなかなかヨロシイ。ちなみに日蓮像、南東である高松すなわち四国本土に向いて立っておりますわけで、蒙古にケツを向けてでもお大師にガンとばしておるんですネ。・・・日蓮、オマエは正しいゾ。

島の案内板によると、東浦の集落には「谷の神石」なる石があるという。なんでも誰の墓だかわからないけれども長く供養されている墓があったために、ある時、家のヒトが祈祷師を呼んでうらなってもらった。すると祈祷師、「タニ!タニ!」とうなり続けたので、きっと谷サンという平家方の武士の墓にチガイナイということになった。以後、谷の神石と呼ばれ、厚くおまつりされているという。それは・・・なんてテキトーなw

そんなオモシロイ石は見ずにおられるわけがない、ということで、フェリーの出発時間までのヒマツブシに出かけたところ、これなかなか見つからない。畑仕事をしているオバァチャンに遭遇したので、「タニノカミイシ」はどこにありますかと聞いたら、見るからに「???」。5回ぐらい説明してようやく「」となって、飛び出した言葉が「あぁ、谷さんトコの石のことやな」。おばぁちゃんによりますと「谷の神石」とは、どうやら谷さんの家のウラで祀られてる石、ということらしい。整理された民俗伝承は時に地元の認識とズレがある・・・というのは間々あることです。埋葬されている人の名前もそれをお祀りしている人の名前も谷サンとなると・・・上の話は「谷」姓を名乗る由来になった伝承だったりするのでしょうか。


これが谷さんとこの石。

今回は洞窟と東浦のみの探索しかでけませんでしたが、西浦や島の北端、そして島の南部にも、まだまだ散歩のしがいがある場所が埋もれていそうですゾ。
というわけで、次回は高松本土の桃太郎伝説の地へと突入していきます。



港にそびえるモアイ像(とワタシ)。イースター島でのモアイ修復の実験用に使われたものをもらってきたそうで。立ち位置的にコイツは日蓮像と見つめあってるんじゃないかと思われマス。


このヒトが、橋本仙太郎センセィ(洞窟入口にて)。

怪道vol.112 高松さんちの桃太郎~上巻

2008年11月07日 23時58分27秒 | 怪道
やりたいことややらにゃならんことが山積するのに比例して、ヒドイ活字中毒に罹るという困った習性がありまして。必然的にコチラがおろそかになります。どうも、ご無沙汰しがちでスイマセン。

有馬の方は、確認したい文献があるんだけれども見れずにおりますのでしばし留めおきます。大阪市内は北区およびその周辺で夜遅くまで開いてる、蔵書がそこそこ豊富な図書館をご存じの方はぜひおせぇて下さい、ということで(もうホント、時間がなくてなくて←単に出歩きすぎという噂)。

さかのぼること3週間ほど前。無性に讃岐のうどんが食いたくなったので、視界の内にいた友人知人同僚上司を巻き込んで、香川へ食べに行ったわけです(軽で4人乗りあわせると一人アタマ往復5000円程度で行けちゃうんですなこれが)。その時。高松市内はサンポート高松辺りを走行中に女木島行きフェリーを発見し。女木島ってここから行けるのかぁ!となったらもうダメです。2週間後、たまらず行ってきました女木(メギ)島へ。

周囲約9kmほどのこの小島は、香川県は高松沖約4kmに位置します。かの源平合戦の舞台の一つ、屋島のほんの目と鼻の先ということもあり、島の名の由来は那須与一が射抜いて「めげ」た(←壊れた、の意)扇が流れついたからだなんて最もらしい言い伝えがあるようです(「喜びも悲しみも幾歳月」の舞台になったというお隣の男木(オギ)島はどうなるんでしょうか)。島の北部に円錐状に屹立する海抜187mの鷲ヶ峰山頂からは弥生時代の貝塚が発掘されているなど、当時は現在より海岸線は多少前進していたとはいえ四国からも近いですからね、古くから人の往来はあったのでしょう。文献上に明確に登場してくるのは江戸時代以降で、高松藩領と天領(の時は倉敷代官支配下)を行ったり来たりしていたようです。これほど高松に近いのに、ご一新後しばらくは倉敷県に属していたというのはかつて天領だったことと関係するのでしょうネ。

瀬戸内海に浮かぶこの女木島なる場所の何にテンションをあげているかと言いますと、島の別名が「鬼ヶ島」と聞けば、そのココロはおのずと知れますね。鬼ヶ島なんていうだけに、そのネーミングは昔話の桃太郎サンに由来するわけで、瀬戸内海をはさんで岡山と香川が互いに桃太郎伝説の元祖を張り合っているのは有名な話。女木島を鬼ヶ島たらしめるもの・・・それは、鷲ヶ峰山頂付近にある、全長400mに及ぶという、謎の洞窟。ここが鬼の棲み家とされたというのですね。伝説・伝承のたぐいが村おこしのタネとして注目される昨今、とみに名が知られるようになったこの島には、実にワタクシ好みのベタとトンデモの世界が広がっておりまして、一度は行きたい離島の2位ぐらいにランクインしていたわけです。

というわけで、本日はそのサワリの部分、鬼ヶ島の鬼の洞窟のお話をば。
12時発の女木島行きフェリー「ねおん2号」に乗船し、いざ、不思議の島へ。乗船時間は約20分、上陸後、はりきって鷲ヶ峰を踏破する…つもりでおりましたが、ツレの2人にソッコー拒否られ洞窟行バスに乗車。降車するなり、藤岡弘似の巨大な鬼大将像が待ち受け、早くもテンション急上昇



洞窟入口にたどりつくや、「せとうちファンタジー 鬼ヶ島謎の洞窟」の文字が躍ります。身をかがめなければ歩けないほどの横穴を数メートル行くと、めくるめく繰り広げられる、鬼のオブジェと奇怪な解説の嵐。

「桃太郎征伐の童話の発祥は菅原道真公が讃岐滝ノ宮に6年間を在任中執筆されたと云はれ桃太郎さんに第7代孝霊天皇の第8皇子稚武彦命、犬に備前岡山の犬島の住人、猿は讃岐陶村猿王の住人、雉は讃岐鬼無の雉ヶ谷住人(略)と云はれております」

・・・さァどこからツッコミましょうかねw 正統派的に天神さんがナンタラという辺でしょうか、それともそもそも桃太郎が征伐される話ナノカョな辺でしょうかw 道真公執筆説はさらに、道真公讃岐国司在任中に「漁夫」から聞いたという具体性を持つ始末。まぁでもご安心ください、この道真サンは「宇田天皇に手腕と力量が認められた」人であらせられるそうで、きっとそんなパラレルワールドがあるんだと思われます。ちなみに稚武彦は吉備津彦の弟さんで四道将軍となった兄にくっついてきた人ですナ。兄ちゃんの伝承が岡山で高松は弟の話、ゆうことにしたら仲良ぅできんのとちゃいますかね。

各地点の名称がまたスゴいんですよw 宝庫に貯蔵庫、監禁室って、何を根拠にw人骨とかモノが出てきたんでしょうか。しかも再現のためにわざわざ宝箱設置の上ライトアップされていたりーの、お姫様人形が不気味に閉じ込められておりーの。中でもひっくり返る思いをしたのが「仏間」。お、鬼のお宅に、仏間w??と半笑いをしてしまいがちなんですが、一応理由はありまして、なんでもここから石仏が見つかったらしい。

その石仏というのが、どうやら鬼子母神だという。解説(怪説w?)いわく「構造上、鬼共がお祭りしたものでなく鬼によって殺された犠牲者の冥福を祈るため後世の人の手によって安置された」というんですが・・・弔いに鬼子母神とはまた面妖なw。なまじ弔いとしても、鬼子母神をウルトラの母的に鬼のハハだと勘違いしたヒトが鬼を弔うために置いたとかいう方がオモシロいんじゃないですかね、というのは余計なお世話ですかそうですかw ちなみにこの鬼子母神像、かつて洞窟より持ち出した島民がおり自宅に飾っていたものの、どの向きにおいても気づけば洞窟の方を向くために恐ろしくなって戻された、というありがちな伝承をお持ちです。

確かにすごいことはすごいんです、どうも人の手に寄って掘られたもの、なんですね。おそらく全てがそうだというわけではなく、もともとあった自然窟に手を加える形で拡大していったのかなぁと思われます。まぁ、何はともあれとかく楽しめる洞窟であるには間違いありません、ハイ。


仏間。わかりにくいですが、中央にある小ぶりの石像が鬼子母神らしい。風化が激しいのと近づけないのとでよくワカリマセン。


(左)出口付近でにこやかに送り出してくれる鬼サン達。(右)いたるところにいる鬼のオブジェ、バックスタイル。


監禁室。フツーにコワイからw


真実の岩。ローマの人に怒られると思うの。


矛盾と・・・そして脅迫に満ちた謎の看板。