怪道をゆく(仮)

酸いも甘いも夢ン中。

思えば遠くへ来たもんだ

2006年10月13日 22時32分13秒 | ヘンろみち
どうも、迷える大人たち、ウォーカーズです。遍路仲間同士、しみじみいい時期に来たよねワタシ達、と言い合っております。放送開始はちょうど帰阪直後になりそうです、やれやれ(かんかんに怒りながらも絶対見ると思うけど)。

で、書くのさぼってるうちに菩提の道場に突入しました。近ごろ歩きやすい山道などは「山伏!」とか言いながら軽く走るのがブーム。

さらに近況のご報告をしておきますと、引き続き元ガードマンな兄チャンを道連れにしております。やけに体格がいいと思ったらずいぶん長く少林寺拳法をやってたというし、やけに講釈タレのオッサン顔のくせに3つも年下で、しかも枕返し好きと来たもので、意気投合中(笑)。下ノ加江で泊まった晩には小豆洗いの音に悩まされ寝付けなかったそうです(歯ブラシでコップ洗うみたいな音だったらしい)。

さて、愛媛に入る前の話になりますが、39番延光寺を打つ前にしっかり月山神社を廻ってきました。38番金剛福寺から月山詣でのルートをとるのは遍路さんの1割前後というだけあって、山道は特に、毎日誰かによって踏み固められているこれまでとは一味違う、やや厳しい道程でした。なんでも数年前に復旧されたばかりの遍路道ということで。そうしてたどりついた先には、まぁそこそこ楽しい神社が待っておりました。

月山神社はもとは守月山月光院南照寺というお寺。ご他聞に漏れず、明治初年に神社になっただけの元は神仏混合の霊場でありました。足摺を越えた後にまわるのが不文律となっていた神社、なんてガイドブックに書いてあったもんですから江戸の頃から神社なのかと思うじゃないのょと言いたくなります。宮司さんに、お遍路さんがこちらへお参りされることになにか特別な意味はあったのでしょうかとお尋ねしましたら、あっさり「さぁ?」てな返事でございました。ふん。

ご由緒を書いた立て看板によりますと、白鳳期に役小角が月影の石を発見、月読とスサノヲを奉斎したのがはじまりなんだそうです。こんなとこにもいましたねトレッキングの神様が。といいますか、小角さんが月読とスサノヲですか、ふぅむ。ちなみにその霊石というのが冒頭の写真です。月と言われれば月ですね。ご本殿の真裏の崖を10数メートルほどよじのぼったところにありました。やはりここはツキヤマ神社であってガッサンではないのねと納得。ご朱印もこの月影の石をモチーフにしたもので格好いいです。

後に空海がこの月影の霊石の前で二十三夜の月待密供を行なったんだそうで。以降陰暦1月23日がこの神社の例祭日。現在の祭神は月読さんですが、宮司さん(守月さんておっしゃるんですョ)にお聞きしたところ、明治以前は文殊菩薩がご本尊だったということです。境内には本殿のお隣に安政5年に建てられたという大師堂がちゃんと残っておりました。参道前に鳥居があるなんともおもしろい大師堂です。

やはり維新の勝ち組だけあって、「土佐は鬼の国」と言われるほど高知は廃仏毀釈がきつかったんだそうです。徳島と違って、高知の札所のお寺は本堂にせよ大師堂にせよやたらと新築な堂舎がほとんどだったんですね。当初は札所って儲かるんだなぁ、きれいに改築して、ぐらいに思ってたんですが、実はご一新の時にほぼ全ての堂舎が破壊され、多くが昭和30年代~50年代にかけてようやく再建がなったというのが本当の所のようです。「神でまつるか仏でまつるか」と詰め寄られて、仏と言った途端に仏具も本尊も堂舎も全て焼き払われたんだとか。儲かるどころか大変なご苦労をされたんですね。逆に神を選んだら、月山神社のように安政年間の大師堂が残ったりしたわけで。

ということは、いまワタシがこうして歩いている88ヶ所参りというのも、復旧されたのはわりと最近なのでしょうね。なんか遍路道を世界遺産に、とかいう話もあるそうですが。

というわけで、今日は人生初の三畳部屋で一夜を明かし、明日は愛媛入って初の寺を打ってきます。