怪道をゆく(仮)

酸いも甘いも夢ン中。

白峰、あれこれ

2006年10月29日 22時47分23秒 | ヘンろみち
みなさんご存じの、バランちゃんの後ろ姿です。というわけで本日は82番根来寺まで打って参りました。

この期に及んで実はもクソもないんですが、81番白峰寺と82番根来寺は私を四国へいざなったキッカケの寺であります。今年の3月にケゥちんがこの2ケ寺に行った話がうらやましくて、ワタシも行きたい、2つ行くなら…全部行っちまぇ、というので出発したのがそもそもで今エライ目にあってるわけですが、旅も終わりに近づいてようやっと念願果たせて、感慨もひとしおです。

白峰寺は言うまでもなく日本一の大怨霊、崇徳上皇の御陵がある場所で、八大天狗の相模坊なんかもいらっしゃるとこなわけです。相模坊さんは松山天狗などにも出てきますように崇徳上皇の廟所に夜な夜な通うとかいうイカついイメージがありましたが、地元には寺の小僧さんが夕暮れ時に豆腐を買いに行くのを手伝ってあげる、というようなかわいらしいお話も伝わっていてなかなか親しまれてるようでした。

さてさて白峰寺の崇徳上皇、毎度お馴染み明治の廃仏毀釈時には、付近の寺などの存続にどうも一役買っていたようです。

琴平に鎮座するこんぴらさんこと金刀比羅宮は明治以前は麓の松尾寺と共に金毘羅大権現をまつる神仏混合のお宮さんだったわけですが、金毘羅というたらクビラなわけです。孔雀王でユン・ピョウがやってたやつですね(違)。あるいは毘沙門天ともいわれる金毘羅、当然ながら排撃の対象になります。で、ご存じのごとく金刀比羅宮は大物主さんに祭神を変えてしまい、それと同時に、さらに神格をあげるために崇徳上皇も合祀しちゃいます。こんぴらさんの崇徳院伝説はすべて、明治以降の創作らしいですわ(奥の院の白袴神官談)。

昨日の早朝、久々のはぐれ遍路でこんぴらさんに行ってたんですが、奥の院に行かれた方はご存じでしょうが社務所の中はもちろん岸壁にも天狗の面が飾ってあるんですね。お聞きしたところこれは別に崇徳がらみではなく、こんぴらさんのある象頭山は修験道の盛んな場所だったのでその辺からではないですかとのことでしたが、クビラは天狗の長とか言われるわけですから、まんまなんとちゃうんかいと思われます。崇徳を合祀したのも、この辺りには元々クビラ等とも関わる天狗伝説があるなどして、それと崇徳上皇が結び付けやすかったんじゃないですかね。ちなみに象頭山の東にある山は愛宕山っていうんですって、太郎坊でもいるのかしら(笑)。

仏さんが廃される話ばっかりしてますが、逆に、昨日打った76番金倉寺では、境内のど真ん中にぽつんと鳥居が立ってるのを見つけました。不思議に思ってどの堂舎がこいつの対象なのかしらと真下に立つと、本堂とカリテイモさんのお堂をつなぐ長めの渡り廊下と正対する鳥居なわけです。お寺の方に尋ねてたら、さぁ…カリテイモさんの鳥居じゃない?とかおっしゃるんですが。これなんかひょっとして明治の頃にアリバイ的に神社を置いていたのを、ほとぼりが冷めた後につぶしたかもしくは火事で燃えたけど社殿を再建しないままで、鳥居だけなんとなく残ったんじゃないかとか思うわけです。

ちなみに金倉寺は智証大師円仁さん生誕の地。さすがにお大師さんの姪御さん(だったっけ)をお母さんに持つ方なだけあって、お大師さん生誕の地と目と鼻の先でした(善通寺が75番で金倉寺が76番)。直線距離にしても2、3キロてとこです。

明後日には結願、来月2日には帰阪の予定です。なんだかんだで終わりが見えてきましたねぇ。最後だしのんびり観光がてら行こうと思ったものの、資金が尽きかけていることにようやく気付いたもので。寄り道自粛令を発動することになりました。

明日は屋島の禿に会いに行きます。